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アドラーが船室へ降りて行くと、ファゴットが剣を持って立っていた。
その周囲には、六人の海賊が転がってうめき声をあげる。
「これは……大使殿が?」
アドラーが尋ねると、ファゴットは曇り一つない新品の剣を横に振った。
「いえいえ、私はまったく。こちらのお嬢さんが」
エルフ族らしく背の高いファゴットの向こうから、ブランカが顔を出す。
「弱かったぞ。手加減もしてやった」
ブランカが褒めてくれと寄ってくる。
「良くやった良くやった。で、これだけ?」
「多分残りは……」と、ブランカが上を指差した。
客室の上、甲板からは弓の弦が空気を弾く音が間断なく聞こえてくる。
ドゥルシアン船長の指揮の下、エルフの船員達が本格的に反撃を始めていた。
「結構捕まえちゃったな。海軍が来る前に話を聞かないと」
客室のある船内に転がる六人に加え、甲板にも十数人が倒れている。
通報を受けた警備の軍艦が来る前に、海賊親分から雇い主を聞き出す必要があった。
「さて、ファゴットさん。あなたにも聞きたい事があるのだが……」
アドラーは、長身で顔の良い若手官僚風のエルフを信じかねていた。
敵意がないのを示すかのように、ファゴットが先に剣をしまう。
「私ではありません。わざわざ呼んで海の上で、なんて面倒なことはしません。ただまあ……もう少し詳しくお話しする必要が……」
「あるよな?」
「はい、ございます」
ファゴットが話すと約束したので、アドラーは先に親分を尋問することにした。
「ご一緒してよろしいですか?」
「殺すなよ? 剣を抜いたら腕を折るぞ」
「そんな事しませんよ。私は平凡で平和を愛するエルフですから」
ファゴットは嘘くさく笑った。
アドラーとファゴットが甲板に上がる。
何時の間にやら二隻目の海賊船も逃げ出し、倒れた松明や放り込まれた火炎瓶を消すために、小さなサンドゴーレムが忙しく動き回っていた。
普段は防火砂と書かれた樽の中で眠るサンドゴーレム。
船に火がつくと、自動的に出てきて火の上に座って消火、終わると自分で樽に戻る優れた魔法道具の一つ。
「便利なものだなあ」
「凄いでしょう。あれも我が国の製品です。精霊を使った商品は、我がスヴァルトの特産ですので。ただまあ、その技術を狙う者……国もありまして」
ファゴットが含んだ話し方をする。
お家事情を詳しく教える気になったのだと、アドラーは思うことにした。
鎖骨が砕けた親分へ、アドラーは単刀直入に聞いた。
「目的と雇い主を話せ。嘘だと判断したら……お前らどっちだ? ミケドニアの出身か? ならアビシニアに引き渡す」
海賊は基本的には縛り首。
だが自国の漁民の小遣い稼ぎは……少しは大目に見てもらえる。
こんな連中でも、戦時となれば貴重な海上戦力に早変わりするからだ。
「ミケドニアに渡して貰えるんですかい?」
折れた肩を押さえた親分が聞き返す。
「話の内容次第かな。船長は矢の練習台にすると息巻いてるぞ、二十人は捕らえたから、海賊の五人や十人は海神に捧げるのだとよ」
アドラーは嘘をついた。
「話す、話します。あっしらは殺しはやらない、優しい海賊なんでさ」
「賊に優しいも厳しいもあるか」
アドラーには海賊に優しくしてやる理由がない。
「おっしゃる通りで……実を言うと、簡単な仕事だと聞いてたんでさ。化け物みたいな護衛が付いてるなんて聞いてませんでさ。義理もないんで全部話します」
「良いだろう」
アドラーは、ようやく剣を腰に収めた。
「ガキを一人……金髪のエルフの子供をやってくれと、殺しの依頼で」
アドラーは、アビシニア側に引き渡すことを検討し始めた。
「いやいや! さらって売れば良いと思ってたんで、本当ですぜ? 前金で全額ですし中型の帆船が目標。小遣い稼ぎにはもってこいの依頼だったので、つい」
「それで、頼んだのはどんな奴だった? 直接会ったか?」
ファゴットが質問した。
「依頼人は、何時もの仲介人ではなかったです。見たこと無い奴でした」
「エルフ族か?」
ファゴットは自分の長い耳を強調するようにして聞いた。
「違います。間違いなく人族でさ、ただ訛りが南の方でしたな」
「貨幣は、何処の国のものだった?」
今度はアドラーが聞く。
「ミケドニアの共通金貨でさ。依頼の理由は何も、まあわしらも聞きませんでしたが」
「それで、依頼は何時来た?」
次はファゴット。
「二日前でさ。時間的にはギリギリですぜ、これ以上遅いと襲うのも間に合わない。あっしら、普段は漁とか水先案内とかやってるんですぜ?」
二日前は、アドラー達がとっくに出港した後になる。
連絡球があるこの大陸の情報伝達は驚くほど早く、ファゴットの側近から漏れた線は薄くなった。
さらに幾つか質問を重ねたが、有用なものはない。
親分は痛みをこらえて愛想笑いを浮かべていた。
縛り首になるか、数年の重労働かの別れ際、嘘ではなさそうだとアドラーは判断した。
「運が良いなお前」と、アドラーは夜の海を親指でさした。
闇夜を漕いで、大型の戦闘用ガレーが近づいてくる。
マストには、ミケドニア帝国の海軍旗があった。
「さて、大使殿。詳しく話してもらいましょうか」
海賊どもを引き渡した後、アドラーはファゴットを問い詰める。
「実はですな。我が国は一枚岩というわけでなく……」
エルフの役人は、分かり切ったことから話し始めた。
「まずは王党派。和平派と言ってもよく、オークとの会談成功を祈る者。そして主戦派。実は、サイアミーズ王国が軍を出すのでオークを叩き潰せと、煽り立ててまして」
「サイアミーズが?」
サイアミーズ王国は、三大国のうちの最後の一つ。
ミケドニア帝国の南方に広がり、中央集権の進んだ軍事強国である。
「軍を借りてオークなど一掃すべしとの勢力も根強く、王子のご病気は奴らの呪いなのではとの噂まである程です」
「呪いねえ……」
この世界の人々は、妙なとこで迷信深い。
魔法と神の力を使いこなすのに、実態のない呪いやたたりも恐れる。
いや、むしろ正しい態度なのかなと、アドラーは少し考えなおした。
「それで、あんたはどうなんだ。キャルルに害をなすなら……」
「もちろん私は和平派です! ほんとです! 信じて下さい、殺気をおさめて下さいってば!」
裏の読めぬ役人は信用ならない。
アドラーは、クォーターエルフの一家に手を出すなら、迷わず真っ二つにするつもりであった。
「え、えーっとですね。信じて貰えるかわかりませんが、今回の費用は私の自腹です。と言っても、父が出しましたが。父は外交事務を取り仕切る重臣で、和平派のトップです」
「外国と繋がってる立場じゃないか」
「だからですよ。サイアミーズの軍を国内に入れればどうなるか、よく知ってます」
とりあえずだが、アドラーは刀の柄から手を離した。
「ふぅー、分かって貰えて嬉しいです。もう一つ打ち明けますが、団長殿がお強いのも良く知ってます。調べましたので」
ファゴットは青年に見えるが、エルフ族なら四十から五十年は生きている。
その渾身のドヤ顔にアドラーはいらっとしたが、今のところは大使を信用することにした。
アドラーが船室に戻ると、ミュスレアがまだ起きていた。
夜会で着る予定だった、裾の長いドレスを着ていた。
「どうかな?」と、ミュスレアが聞いた。
「ああ、ちょっと問題がある。あまり安全とは言えなくなった」
「そうじゃなくて!」
「えっ? スヴァルト国の事情でしょ?」
「もういい! 寝る!」
ドレスの裾を踏みつけるかのように、ミュスレアは大股で女子部屋へ消えた。
首をかしげたアドラーの寝室は、キャルルとの二人部屋。
少年もまだ起きていた。
「兄ちゃん……今のはないよ……」
年若いクォーターエルフが呆れた声を出した。
長い夜になったが、無事に朝には大運河を抜ける予定であった。




