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「追われてる……って、何に?」
十五万の都市に、四千人も冒険者がいるライデンの治安はすこぶる良い。
例え長耳の男の子と尻尾の女の子に、良からぬことをしようとする者が居ても、ブランカが逃げ出すはずがない。
アドラーの見るところ、ブランカは本気で恐れ怖がっていた。
『幼いとはいえ大陸を統べる祖竜、そのブランカをこれほど怯えさせる存在とは……?』
アドラーはぐるりと見渡したが、街は平穏そのもので、とても神話の破壊神が降臨した気配はない。
「おい、キャル。起きろ」
哀れにも、キャルルはブランカの片腕に担がれている。
この体勢で屋根から屋根へ運ばれ、目を回していた。
『可哀想に……男のプライドがぼろぼろだな』
背丈が同じくらいの女の子に片手で運ばれるなど、男子としては屈辱もの。
ようやくキャルルの意識もはっきりしてきた。
「んんー……こらっ離せ、ブランカ! 人を荷物みたいに持つんじゃない! あいてっ」
ブランカが素直に手を離してから、アドラーの背中に隠れ込む。
「来た! やつらが来た!」と震えながら。
街角から、十代半ばの少女の集団が姿を見せた。
「居たわ!」
「キャルルくんよ!」
「あの女はどこ?」
「とっ捕まえて、何処の地区の子か吐かせるのよ!」
どの子もとても勇ましい。
「あーそういうことか……」
やっとアドラーにも理解が付いた。
エルフの血を引き、この地区の女子に絶大な人気があるキャルル。
それが見ず知らずの女の子を連れているとあって、少女達は一致団結して問い詰めるつもりのようだ。
ブランカは、祖母の方針で人間の学校に通っていた。
特徴のある白金の髪と角、さらにスカートの下から伸びる尻尾を、子供達に散々からかわれて、今もトラウマ。
『あの年頃の女の子に追い回されたら、俺でも逃げる』
アドラーは、背中に隠れているブランカに同情した。
ぱたぱたと駆け寄って来る少女達。
魔物や軍勢なら恐れぬアドラーも、これには困る。
「ちょっとおじさま、その子を引き渡してくださる?」
「そうよ。協定違反よ、お仕置きよ!」
『なんの協定だ!?』と聞きたいとこだが、口を挟む隙さえ与えぬ猛口撃。
絶体絶命のアドラーを救ったのは、元凶のキャルルでなくその姉だった。
「あなた方、騒がしいわよ」
リューリアの見た目は、ミュスレアと違い攻撃的なところはない。
髪も穏やかな茶色混じりのブロンドで、性格もおしとやかだが、表情を作ると年齢らしからぬ気品がある。
「あ、キャルルくんのお姉さま……」
「これは、ごきげんよう……」
姉弟に共通する緑色の目で睨まれた少女達は、途端に静かになった。
「この子はね」
「ひゃ!?」
リューリアがブランカを引っぱり出す。
「わたしの所属するギルドで面倒を見てる子です。とても遠くから、団長を頼ってやって来たの。今日はキャルルに街を案内させていたのだけれど……何か問題があって?」
「そ、そういうことなら」
「仕方ないわ、ねぇ?」
少女達は大人しく引き下がる、小姑には逆らえない。
「分かってもらえて嬉しいわ。今後、仲良くしてあげてね」
少女達は渋々ながらも解散していった。
アドラーは感心した。
このカリスマ性があれば、将来は立派な指揮官になることだろうと。
ブランカの尻尾が全力で左右に揺れる。
「す、すごいな! 料理が美味しいだけでなく、あんな簡単に追い払うなんて!」
「困ったことがあればわたしに言うのよ?」と、角のある頭を優しく撫でながら、リューリアは厳しい視線を弟に向けた。
「女の子一人守れないとは。我が弟ながら、情けないわねぇ」
「うっ……だって……急に囲まれて、そしたらブランカが急に飛び上がって……」
半泣きのキャルルを、アドラーは慰める。
「仕方ないさ。男には何も出来ない時もある」
「兄ちゃん……! それで良いの?」
「良いんだ。嵐――怒れる女性――は頭を低くして過ぎ去るのを待つのが男だ」
「何言ってんの。男なら体を張って嵐を鎮めてみなさいよ」
今日の次女は、とても辛辣であった。
この事件は、解決したかに思われた。
だが街中で人目を引いたことで、クォーターエルフの姉弟に目を付けた者があったのだ。
――数日の後。
アドラー達のギルドハウスに来客がある。
「はい、どうぞ」
リューリアがお茶を出すが、客の種族が気になる様子。
客は、エルフと人間の組み合わせ。
「ありがとうざいます。この香りは……クリュの葉を煎じたものですね。私の国には無いものですね」
エルフの男が爽やかに挨拶を返す。
二人共に身なりはしっかりとして、会話も滑らか。
『どこかの役人かな?』と、アドラーは予想を付けた。
「申し遅れました。自分はスヴァルト国、ライデン駐留大使のファゴットと申します。こちらの”太陽を掴む鷲”団様へ、依頼があって参りました」
――スヴァルト国は大陸南部の針葉樹林帯にある、珍しいエルフの国である。
『遂に国家諸侯から直接の依頼が!』と、アドラーは大いに喜び感激したが、直ぐに浮かれた頬を引っ込めた。
「お話は嬉しいのですが、どうしてうちに?」
幾ら何でも、わざわざこの団を選ぶ理由がない。
「単刀直入に申し上げます。我が国の王女、その身代わり、いや影武者になって欲しいのです」
「えっ!? わたしが? いやーそんなの出来るかなあ」
長女のミュスレアが嬉しそうに照れた。
「違います。王女殿下はまだお若くて」
「あっそ、んなこったろうと思った。けど、その言い方は傷つくぞ!」
「えーわたしがお姫様? そんなー無理よー。けれど、足の伸ばせるお風呂には興味があるわ」
次女のリューリアは、やる気満々のようだった。
「いえ違います。王女殿下はもっと小柄で明るい金髪に緑の瞳でございます」
アドラーと姉妹、居合わせたマレフィカ、さらにバスティとブランカの目まで末の弟に注がれた。
「はぁ? ボク!? 女の真似なんて絶対やだ、ふざけんな!」
興味なしで聞き流していたキャルルが飛び上がる。
「先日、街でお見かけしたところ、髪と瞳の色から背格好、顔立ちまでそっくりなのでございます! なにとぞ、お願いできませぬか!?」
一国の大使、かなり高位の官僚であるファゴットが、年端もいかぬ少年に全力で頼み込んだ。
スヴァルト国は遠い。
海路でサーレマーレ島までの十倍以上ある。
この商談がまとまれば、アドラー達にとってこれまでにない大冒険となる。
※地図
緑の部分に人族の国家が連なる。
スヴァルト国は南の森の中。




