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バスティの黒い尻尾とブランカの白い尻尾が、走って揺れる。
二本の尻尾を追いながら、アドラーは気付いた。
「霧が濃くなってきたな……ぺろっ。こ、これは魔法の霧!?」
「へーそんなので分かるの、兄ちゃん?」
「いや、言ってみただけだ」
森の中心部だけにかかる霧が天然物なはずがない。
誰かの魔法か、でなければ古代の魔法。
それくらいはアドラーにも予想がついた。
先を走る二匹は乳白色のカーテンの中を迷わず進む。
アドラーが一人きりなら、諦めて引き返したところ。
『だってこれ、来るな! の合図だよなあ』
隣のキャルルが落ち着いてるのを見て、アドラーは特に警戒もしなかった。
――霧の結界を抜けた。
「だんちょー、なんかある!」
「あるにゃん!」
指先と肉球が一軒の家をさしていた。
円形に開いた森の中央に、三階建ての木の家。
緑の蔦に覆われて風情がある。
広場には、机に椅子やブランコとシーソー、木登りしやすそうな低木に、手を洗える水場と小さな池まで。
まるで児童公園だった。
「あーあ、見つけちゃったよ……」
キャルルが困ったなといった顔になる。
「子供の秘密基地にしては……手が込んでるな。キャル、ここはなんだ?」
大人に秘密を言っていいものかどうか、真剣に悩む子供の顔をしてからキャルルが喋った。
「うーんとね、うちの大家さんの家だよ!」
「えっ、持ち主が居たのか!? あの家!」
「じゃあこの広場は?」
「そりゃボクらの遊び場だよ。お菓子も出るんだ」
疑問は何一つ解決しなかったが、家の戸が静かに開いた。
「入っても良いって!」
キャルルは怖がることもなく家に入る。
バスティ――猫型――も、ブランカも恐れる様子はなく続く。
「お、お邪魔しまーす。お騒がせしてすいません……」
アドラーだけがこっそりと訪いを告げた。
家の一階は、リビングような広めの空間。
壁には鳥の足やコウモリの羽、からからに乾燥した木の実やトカゲの尻尾、そして大きなホウキ。
「はぁー魔女の家だぁ」
アドラーから見たままの感想が出た。
正面の揺り椅子には、目の下まで黒いフードを被った老婆がいる。
森の魔女は、ゆっくりと喋った。
「おやおや、変わったお客さんが大勢だねえ。大人がここへ来るなんて、何十年ぶりだろうか」
老婆の声は、スピーカーからでも響くようにはっきり伝わった。
この家と森は、本物の魔女のもの。
子供たちは森で遊ぶうちに魔女の家を見つけるが、大人になるとなると忘れてしまう。
悪さをする魔女ではなく、森と地域を守護する魔女。
だから長い間、忘れた大人達からも大事にされる場所なのだと、アドラーは理解した。
「突然押しかけてすいません。それに、勝手に住み着いたのも……。理由があるのですが、聞いていただけますか?」
アドラーは丁寧に老婆に語りかけた。
礼を失して良いことは一つもない。
パチンッと魔女が指を鳴らすと、奥の部屋から椅子が三脚とテーブルが歩いてくる。
椅子は三つ並んで止まり、テーブルの上にはティーセットとお菓子。
『凄い魔法だ。無機物をこれほど器用に動かすとは』
アドラーでさえ驚いた。
キャルルとブランカが、お礼も言わずに菓子の山に手を突っ込む。
「こらっ、お前ら! せめていただきますくらい言え!」
「ほほほ、良いのですよ。子供は元気が一番、ほんとかわいいわぁ」
魔女は寛容だった。
アドラーが二人の頭を掴んで椅子に座らせる。
バスティを膝に抱えようとしたとこで、猫が魔女の足元へ向かって走り寄る。
「バスティ、こっちだ! 普通の猫みたいにうろうろするんじゃないの!」
魔女の足をくんくんと嗅いだバスティは、アドラーを見て言った。
「これ、木製の作り物だにゃ」
きょろきょろと何かを探し始めた猫と竜が、同時に叫ぶ。
「上だ!」
二階へぴょんと跳ね上がるブランカと、螺旋階段を駆け上がった猫が一室へ飛び込んだ。
「う、うわっ、なんだお前ら。どうしてここが!? ぎゅう!」
老婆ではない若い女の声がした。
急いで追いかけたアドラーが見たのは、ひとり暮らしの女の家と理科室をぶち撒けたような部屋。
そこでブランカとバスティに捕まる一人の女性。
眼鏡に白衣、ぼさぼさの髪に手入れなしの肌、大学の研究室でも見ないレベルの女子だった。
「す、すいません! 離れなさいお前たち!」
アドラーも焦ったが、女の方も焦っていた。
「ごめんなさいー、子供が好きだったんですー! 見てるだけで手は出してませんからー!」
なにやら物騒な謝罪を申し出てくる。
森の魔女はマレフィカと名乗る。
机や椅子を歩かせて、人と間違うほどの木製ゴーレムを操る、間違いなく超A級の魔女。
それがブランカの尻尾に巻かれて頭には黒猫を乗せて、涙目ながらに謝っていた。
「……キャル、知ってた?」
「ううん、まったく。けど、水遊びとかしてると、二階から誰か見てるなーとは思ってた」
「えへへ……キャルルくんはお気に入りなのです……うふふっ」
森の魔女マレフィカは、ちょっと駄目な感じで笑った。
マレフィカを助け起こしたアドラーは、彼女の話を聞くことになった。
怪しかろうがマレフィカは大家さん、なんとか住む許可を貰わねばならないのだ。




