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魔女占いをしていたマレフィカが、驚きの声をあげた。
「おおお? アドラー団長に付いていた、女難の相が消えた!」
キャルルが魔女の手元を覗き込みながら言った。
「そんなの見てたら分かるじゃん」
バルハルトとロシャンボー、二人の将軍と共に、アドラーとイグアサウリオとダルタスが会議室へと消える。
アドラーの左右を譲らなかった二人のエルフ娘は、ここに来て一歩引くことを覚えた。
重要な会談に争いを持ち込むのを避け、男達に託すことにしたのだ。
「ところで、マレフィカ。ボクの運勢は?」
魔女のカードを見ながらキャルルが聞く。
「うーん、ちょっと待ってねぇ……あれ、キャルルくんに女難ありと出てる」
「なんでボクに?」
キャルルに好きな女の子はおらず、ライデン市なら追いかけ回される事もあるが、ここには団の面々しかいない。
不思議そうな顔をしたキャルルは、ヒト族の基準年齢なら十二、三歳。
女の子を追いかけるには少し早い。
魔女の占いを疑うキャルルの首根っこを、長女が捕まえた。
「さて、難しいことは団長に任せて、わたしたちはお風呂を借りましょうか。キャルル、あんた臭うわよ?」
風呂、特にお湯は贅沢品だ。
薪を拾って人肌まで温めるのは大変で、貧乏ギルドでは毎日入るとはいかない。
しかもミュスレアやリューリアが優先的に使い、キャルルは一週間くらい黒い顔でも平気。
そしてここバルハルトの大邸宅には、贅沢にもお湯を張った巨大な浴室が用意されていた。
「や、やだよ! あとで兄ちゃんと入るからっ!」
年頃の弟は必死の抵抗をするが、長女は逃さない。
「駄目よ。アドラーと一緒だと、あんたトンビの行水じゃないの」
せっかくの機会に、ミュスレアは弟をしっかり洗うつもりだった、昔のように。
ぽんと、リューリアが手を叩いて言った。
「じゃあみんなで入りましょうか。ここのお風呂、大きいんだって」
「はーい!」と女性陣が声を揃える。
華やかな声を聞いたキャルルは一瞬で青ざめた。
「な、なに言ってんの! ボク、男だよ!? ね、姉ちゃん、お願い放して! 放せ、この馬鹿力!」
弟を抱え上げたミュスレアの腕力は、ますます強まっただけだった。
――大浴場にて。
「おい、キャルル。こっち見ろよ」
「見ろよ!」
「見るにゃ!」
半泣きのキャルルを、バシウムとブランカとバスティが取り囲み、いじめていた。
キャルルは恥ずかしくて顔も上げられない。
一方のバシウムは、軍隊育ちで裸体を晒しても平気なタイプ。
ドラゴンのブランカも、女神さまのバスティも全裸の方が自然。
「あ、あっちいけよ! 何でこっちくるんだよ!」
キャルルは不幸を満喫していた。
こういう態度が少女達を面白がらせると、分かってはいても羞恥が勝る。
見かねたミュスレアが、少し反省して助け舟を出した。
「そこらへんで許してあげて。キャルル、ごめんね? お詫びに頭洗ってあげるから」
「……ゆっくり洗って」
キャルルはぎゅっと目を瞑って姉の手を待つ。
早くに母親を亡くしたキャルルにとって、姉に世話してもらうのは恥ずかしくないことだった。
それに加えて、ずっと目を閉じてたから見てないと言い訳が出来て、一石二鳥である。
姉に頭を触られながら、キャルルはやっと一息ついて呟いた。
「ボクって、なんて不幸なんだろう……」と。
一方その頃、アドラー達五人は密室にいた。
魔法や精霊の盗み聞きを防ぐ、狭い狭い部屋である。
禿げた頭にカイゼル髭のバルハルト、垂らした顎髭のロシャンボー、ひたすら巨体のダルタスと、横幅のあるリザード族のイグアサウリオ。
「……むさ苦しいなあ」
アドラーは男の臭いに囲まれ、つい本音が出た。
全員が一級の軍人か戦士、筋肉が充満した部屋は居心地が良いとは言えない。
「わはは、そう言うでないアドラー殿。泥にまみれた戦場での作戦会議よりはましであろう?」
バルハルトは何時もと変わらず豪放磊落。
もう一人の将軍、ロシャンボー上将は硬い表情のまま。
五人が席に着き、一通りの挨拶を終えた後で、ロシャンボーが立ち上がって言った。
「まずは、謝罪せねばならない。名誉にかけて有翼族を返すと約束したが、私は誓いを破った」
深刻な話題で真面目な会談は、まだ始まったばかりだった。
そしてキャルル。
「この手はリュー姉だね。それくらい分かるよ」
生まれてこの方、クォーターエルフの末弟は、自分で頭を洗うより二人の姉にしてもらった方が多い。
目を閉じていても、頭に触れた手がどっちの姉かくらいは分かる。
次の手が伸びて、泡だらけの頭に指を突っ込む。
「うーん、これは爪があるから……ブランカ?」
「はずれにゃ! うちだにゃ!」
誰がキャルルの頭を洗っているかゲームが始まっていた。
裸の女達が集まり、ダークエルフ族のリヴァンナまでやって来て参加する。
もちろん、遊ばれているキャルルは余り面白くない。
湯船の中から、マレフィカが誰にも聞こえないように語った。
「……また私の占いがあたってしまったかー。だがねキャルルくん、今の君と代われるなら、金貨百枚だって払う男はいるのだよ……まだ分からないかなー」
女性陣の長いお風呂が終わっても、アドラー達の会談は続く。
風呂上がりの果実をかじる者もあれば、紛糾する会議の中でアドラーは水で喉を潤す。
ロシャンボーの持ってきた情報は、サイアミーズの国家機密。
だが「国を裏切るものではない」と上将は断言し、アドラーにも抑制を求める。
しかしアドラーは、有翼族の一家を返さなければ実力行使も辞さずと条件を曲げない。
長い会議が終わる頃には、キャルルら子供達はすっかり寝静まっていた。
アドラーとロシャンボーは、握手して別れる事が出来た。
バルハルトが疲れた目頭を抑えながらアドラーに言った。
「また迷惑をかけるのう、我ら国家の都合で」
「いいえ、問題ありません。ただ迎えに行くだけですから」
アドラーは疲れを隠して答えた。
半年前、サイアミーズ国は、二個軍団の壊滅に加えて四個軍団が大規模な損失を出した。
ミケドニア帝国も一万近い死傷者が出たが、サイアミーズの損害は倍以上。
精鋭の即応軍団が、同時に六個も機能不全に陥ったことで、両大国の緊張は急激に高まった。
この好機を逃すなとミケドニア帝国内では主戦派が声をあげ、バルハルトと穏健派が暴走を抑えにかかる。
幾つかの分野でサイアミーズが譲歩し、軍のトップに位置するロシャンボー上将がミケドニア帝国を訪問したことで、戦争は回避されたばかり。
その事情はアドラーにも充分に伝えられた。
「ですから、軍人ではない自分たちが、なるべく騒ぎを起こさずに取り戻します」
アドラーの言葉に、バルハルトとロシャンボーはようやく笑顔を見せた。
機密に属する情報と、サイアミーズ国内の通行許可、偽造ではない他人の証明書、アドラーには作戦を果たすに充分な物が手に入った。
空腹を満たそうと、食堂に入ったアドラー達を、ミュスレアとリヴァンナが起きて待っていた。
お互いにどうしようと見合った二人は、張り合うこともせず、ダルタスとイグアサウリオにも同じように食事を出す。
二人が下がった後で、ダルタスが言った。
「ふう……妙な緊張感があるな、団長?」
「この世界にも胃薬がいるなあ」
適当に答えたアドラーが、温かいポトフにスプーンを突っ込む。
「仲良きことは良いことだな」
最後に、これまた適当にイグアサウリオが応じる。
男三人は、深夜の湯船に使って足を伸ばす。
明日から、サイアミーズの国内に潜入すると決まっていた。




