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「だんちょー?」
兵隊が並ぶ通路へ突っ込む前のブランカが、頭の上の団長をちらっと見て尋ねていた。
今なら止まれるけど、どうしようかと。
「マレフィカ、ちょっと」と、アドラーは呼んだ。
「どうかな?」
「まあこの子なら余裕でしょう。むしろ立ってる団長が危ないが」
そしてアドラーは命令を出す。
「ブランカ、そのまま突っ切れ」
四百五十歩の間隔で止まった二つの軍隊の間を、白い竜が走り抜けていく。
気合を入れたブランカが、アドラーの特殊強化を受けてさらに防御力を上げた。
背中の短い翼を広げて、アドラー以外の全員をしっかり守る。
寄ってきた風の上級精霊には、リューリアがお願いして弾道を曲げる。
マレフィカは物理防壁を準備していたが、問題なさそうなので使わない。
そしてキャルルは、ミュスレアに捕まって遠慮のない平手をお尻に貰っていた。
「女の子のお尻を木の棒で叩くなんて、あんたって子は!」
「ごめんなさいー!」
本気泣きの弟を、長女は問い詰める。
「なんであんな事したの?」
「ぐす……えっとね、竜騎兵になりたくて……」
子供向けのお話に出てくる竜に乗った戦士、幼い頃に憧れた伝説の竜騎兵になる機会がやってきた、とキャルルは思った。
ブランカなら言うことを聞いてくれるだろうと思ったが、現実は酸っぱく甘さなど何処にもない。
ただ小さい頃のように、姉に本気で叱られただけだった。
一方のブランカは、ご機嫌である。
「痛いっ!」と大げさに走り出せば、お尻を叩いた失礼なキャルルが怒られるのは分かっていた。
「ばーか、ざまぁみろ!」
ちらっと舌を出して、両サイドから降り注ぐ弾丸の雨の中を突き進む。
こんな金属製の弾など、偉大な祖竜が恐れるはずもないのだ。
「団長、これを」
ダルタスが盾を差し出すが、アドラーは別の物を指差した。
「あっちをくれ」
やれやれといった表情のダルタスが、姉に取り上げられたキャルルの剣を渡す。
両側の兵士は、アドラーを狙っていた。
恨みがある訳ではなく、頭の上などと目立つとこにいるのが悪いのだ。
競い合うように撃ち落とそうとするが、アドラーは両手に剣を持って迎え撃つ。
魔物にも効く大型の弾丸を上に狙って撃つと、速度は急激に落ちる。
高い金属音を響かせて、アドラーの二刀流が敵弾を切り払う。
竜の牙を仕込んだ刀とエルフの宝剣、どちらも鉄や鉛の弾になど負けはしない。
「やれやれだな」
「ほんとに子供ねぇ……」
ダルタスとミュスレアは、ブランカの頭の上で剣を振り回す団長に呆れ顔。
事実アドラーは、竜に乗って二刀流というこの上ないシチュエーションに男心が燃え上がっていた。
「こういうのがやりたかったんだよ!」と叫びたいくらい。
あとは黒い仮面と衣装があれば完璧だった。
「すげー! 兄ちゃんかっこいい!」
「え、今までで一番良くない?」
そしてキャルルとリューリアには好評だった。
大人のマレフィカも密かに賛同する。
「……私も良いなと思ってしまうんだな、これが」
兵士達は、命を張った見世物を大歓迎した。
数百歩先に並ぶ敵のことなど忘れたかのように、歓声を上げて撃ちかける。
だがバルハルトとロシャンボーは、苦虫を噛み潰していた。
いまさら兵士を怒鳴り散らすような指揮官ではないが、千載一遇の好機が失われたと二人には分かる。
短い足を高速回転させる白い巨犬に釣られた敵兵に攻撃すれば、一瞬で完勝したはずだったが、もう遅い。
並んだ兵士どもは、魔弾杖に詰めた弾丸を揃って撃ち放してしまった。
「再装填を急がせろ。攻撃されたらひとたまりもないぞ」
二人の名将は、ほぼ同じ内容を周囲の士官へ命令したが、もう殺し合いをする気迫が兵士達から失われたと悟っていた。
ずらり並んだ戦列の長さは三キロ近くあったが、ブランカは九十秒ほどで走り抜け、勢いのまま川へ飛び込む。
ざぶざぶと対岸まで泳いで渡り、背中の仲間に言った。
「体を振るから、降りて?」
誰もが「本当に犬みたいだ」と思ったが、口には出さない。
体を振って水気を飛ばしたブランカに、頭に乗ったままのアドラーがいう。
「ブランカ、悪いけど対岸に戻ってくれない?」
「もう一回遊ぶか!?」
竜の目はキラキラと輝く。
「いや、そうじゃなくて。奴らに伝えることがあってな……通り過ぎたら駄目だろ」
「そういえばそんな話もあった」
アドラーは、ミュスレア達を対岸に置いて再び戦列の間に立つ。
両側の兵士が「走れ!」「こんどこそ!」と煽り立てる。
「生意気なやつらめ、あたしの速さを見せてやる!」
ブランカは乗り気で、アドラーは仕方なく「行け」と合図を出した。
二度目の滑走は、兵士もよくよくアドラーを狙って撃ったが、それ以上にブランカが速い。
今度は三キロを60秒で駆け抜け、ゆっくりと歩きながら戦列の中央に戻る。
もう拍手をする兵士は居ても、撃ちかける兵士はなかった。
二本の戦列の間に白竜に乗ったアドラーを、東側からバルハルト、西側からロシャンボーが見つめる。
そしてアドラーが、右手をあげて北を指で示す。
兵士には誰一人として意味が分からないポーズだが、バルハルトが気付く。
「先程、哨戒部隊から報告があがっておったな。今直ぐに斥候を出せ、騎兵だ。将校斥候だ、貴様も行け」
副官の頭を殴るようにして追い立てた。
このミケドニア軍の動きからロシャンボーも気付く。
「偵察だ! 騎兵は……あの貴族の小僧どもはどうした!? くそっ、肝心な時に! 別隊を用意しろ、ミケドニアは無視して構わん! 北に何があるか見てこい!」
開戦間際だった両軍は、そこで半刻ほど待機する。
アドラーも二人の総司令官も、動かずにじっと待つ。
軍楽隊だけが、時折音楽を奏でて沈黙を破る。
ほぼ同時に、バルハルトとロシャンボーの元へ通信が届く。
文面は双子のように同じだった。
「見慣れぬ魔物の大集団が南下中。地面の七分が覆われる大群」だと。
バルハルトが意を決して、単騎でアドラーのところへやって来た。
「絶対に撃つな」と厳命したロシャンボーも馬に乗って一人で出てくる。
アドラーは二大国の名将を見下ろしていた。
「どうすれば良い?」と、バルハルトが尋ねた。
「戦うしかない」
アドラーの答えは簡潔だった。
「アドラー団長、もう少し助言してくれい」
バルハルトが厳つい顔でにやりと笑う。
「あの魔物、天敵どもは、恐れを知らぬ突撃を何度もしかける。防御陣を深くして、取り付かれぬようにするのが最善。多段の防御線を引き、敵との距離を保ち続ければ、あるいは」
「ふむ」と頷く老将には、既に戦闘のイメージが浮かんでいた。
もう一人の総司令官も尋ねた。
「お初にお目にかかるな。バティスト・ロシャンボーと申す。あの魔物は貴公か、またはここの住人が放ったのか?」
丁重に会釈してから、アドラーは答える。
「残念ながら違います。あれは、知恵ある二足種族を狙う。この地で大軍が見合った時点で、こうなることは決まっていました」
「この大地では、あれが襲って来るのが日常だと?」
「そうです、恐らくは何千年も。ヒト族のみならず、あらゆる種族が力を合わせて戦ってきました」
今度はバルハルトが尋ねる。
「ならばアドラー団長。その天敵を始末すれば、この大陸の者は喜んでくれるかの?」
「それはもちろん! 自分が宣伝して周りましょう。やって来た軍隊は敵ではないと」
アドラーは笑顔で答えた。
「と言うことじゃ、ロシャンボーよ」
ロシャンボー上将は、利用されてるようでいささか渋い顔をしたが、こうなってはやるべき事は一つだと理解していた。
「やれやれ、剣と弓を携えて他人の土地に踏み込んだ報いか。仕方あるまい、バルハルトよ、貴様との決着はお預けだ。アドラーとやら、後で食事でもどうかね?」
思わぬ申し出に、アドラーは愛想笑いを浮かべるのみ。
両将が馬の首を返したが、最後にバルハルトが尋ねた。
「ところで、その白いでっかいのはなんじゃ?」
「これは竜です」
二大国を代表する、稀代の名将が揃って吹き出した。
丸い瞳に短い手足、とても風を切り裂けぬ飾りのような翼を持ったものが、伝説の竜とは信じられなかったのだ。
むかっとしたブランカが、大きく息を吸ってから全力で吠える。
その遠吠えは、集まった五万七千全ての兵が凍りつくのに充分な迫力があった。
ミケドニア軍もサイアミーズ軍も、戦わずして自陣営に戻る。
僅かな猶予しかなかったが、防御線と戦術を素早く定めて戦いの準備に入る。
数刻の後、北の空が巻き上げられた砂塵で黒く濁り、ナフーヌの先頭集団が北の高台に姿を見せ、一気に駆け下りた。
魔物の目標は二つの大軍、東西に別れて一気に包み込む。
魔物が三百歩の距離まで来ても、バルハルトとロシャンボーは攻撃命令を出さなかった。
その少し南、川を超えた所にアドラー達は居た。
ほうきに乗ったマレフィカが降りてきて、バスティが上空から撮った画像を差し出す。
「うわっ、多いな。過去最大規模かもな」
アドラーの推測では、敵の数は八十万体程度だったが、南下するにつれて集合を繰り返したナフーヌの群れは、百二十万体を超えていた。
「始まった!」
キャルルの声で、アドラーは北岸を見る。
二百歩に迫ったとこで、南の大陸で最強の軍隊が一斉射撃を開始した――。




