174
冒険者も兵士も、仕事の大半は歩くこと。
車も電車もない世界に来て育ったアドラーも、脚だけには自信がある。
特殊強化は身体能力も跳ね上げ、ダルタスと二人なら一日で百キロを超える移動も可能だったが……ユニコーンはもっと速い。
もし尻の皮が剥けたり足に血が溜まるのを気にしなければ、一日で五百キロは運んでもらえるだろう。
「ちょっ、ちょっと待って。ここらで休もう……」
アドラーは完全に消耗する前に止まった。
「えーもう?」
「あたしは楽しいぞ! いけボス!」
身軽なキャルルとブランカはぴんぴんしているが、女性陣を代表してリューリアが訴えた。
「お、お尻が痛くなってきたの……」
「リューねえは尻もぺったんこだからなあ」
飛んできた癒やしの杖をキャルルが馬上で器用にかわす。
少年には、馬に乗る才能があった。
「ここらで休もう、暗くなってきたし。大丈夫か、ダルタス?」
「こ、これほど走ったのは、子供の頃に逃げた毛長牛を追いかけて以来だ……」
疲れきって良い場所ではなく、アドラー達はしっかりと休む。
ユニコーンらは立ち去る事もなく、周りで草を食み歩き回る。
余程気に入られたようだった……特にリューリアが。
長い舌でベロンベロンとエルフ少女の顔を舐めては、体の臭いを嗅ぎまくる。
「もうやめてよ、汗臭いから恥ずかしいわ」
リューリアの言葉を聞いたユニコーンどもは、いっそう近くに寄って舐め回しスカートを角でめくろうとする。
「ちょ、ちょっと! やめ、やめなさいって!」
動物のいたずらだと思っているリューリアは強く叱れない。
「噂は本当だったか……」
アドラーは、この光景を自身が書く予定の博物誌の1ページにすると決心した。
これを人の男がやれば即逮捕である。
困り果てたリューリアがついに助けを呼んで、応じたブランカが、一角馬のボスに命じてやめさせた。
「おまえら離れろ、リューリアが困ってる! ボス、ちゃんと言っといて」
「へぇ、ちゃんと言うこと聞くんだなあ」
アドラーも驚く。
「あたしのことが分かるみたい。せっかくだから下僕にする!」
ブランカは一際立派なボスの角を撫でた。
この夜は、何も起きなかった。
異変は、崩れ落ちた塔に着いてから始まる。
マナが暴走してクレーターの中心になった塔の周りに、天敵ナフーヌの姿はない。
アドラーは酒瓶を持って塔へと歩み寄った。
文字の書かれた、風化してない真新しい石碑が一つある。
「なんて書いてあるの?」
マレフィカが代表して聞いた。
「七人が挑み三人が戻らず。ヒト族のアドラー、オーク族のオルタス、ゴブリン族のガスラーク、ここに眠る。引き換えに我等は平穏を得る。永久に祈りを絶やすことなかれ、とね」
何をしたかは一行も書かていない、アドラー達の墓石だった。
短く簡潔な文章はアドラーの好みで、誰か知り合いが選んでくれたものだろうと思った。
かつての仲間、オルタスとガスラークが死んだのはアドラーも知っていた。
「すまん、俺は生き残った。五人も生き残れたのは、お前らのお陰だ」
入り口で一人敵を防ぎ続けたオークと、閉じ込められた時にゴブリン族しか通れぬ隙間を抜けて仲間を救い出したゴブリンへ、アドラーは瓶一本分の酒を捧げた。
アドラーは亜種族と呼ばれる全ての種族に偏見がない、何度も助け合って来たからだ。
例え同族と呼ばれるヒト族を殺す事になっても、アドラクティアの平和を守る。
それがアドラーの指揮下で戦い死んだ者への約束だと、今も固く信じている。
七人と一匹が静かに祈ったあと、アドラーはまた口を開いた。
「これが今の旅の仲間だよ。色々あったが、俺は元気にやってる。また大きな問題が起きてな。だが、何とか上手くやってみる。今度の敵は話が通じるんだ。じゃあな、また来る」
クレーターを出たとこで、アドラーはマレフィカに偵察してくれと指示を出す。
しばらく前から、北の空が黒く濁っていた。
一見すると雨雲か砂嵐に見えるが、高さはもっと低くアドラーには覚えがある。
「戻る必要がありそうだ。俺たちが呼ばなくても、敵さんは一直線に南下してる」
マレフィカがほうきに乗って浮き上がり、アドラーの右後ろにミュスレア、左後ろにはダルタスが立つ。
「何もせずとも、両軍に魔物が突っ込むと?」
ダルタスの質問に団長は頷く。
「見たことある空の色だ。数十万のナフーヌが一斉に走りだせばああなる。それも予想できたな、十万人も住む街なんてこちらには数えるほど。それが平地に展開してるとあれば……」
「なら、報せないと!」
ミュスレアは優しく、今はアドラーも同意見。
「今、マレフィカを飛ばせた。猶予は余りない、急いで戻るぞ!」
キャルルとブランカとリューリアは、もうユニコーンに乗っていた。
それから、マレフィカがナフーヌの群れが見えるまで高度をあげようとした時、攻撃を受けた。
「うわっ!?」
物理防壁を持った魔女とバスティが弾き飛ばされたが、ダルタスが地上に着く前に掴み、黒猫は見事に着地する。
アドラーは、ユニコーンと子供達の悲鳴が上がる中、全ての強化と能力を全開にして動いていた。
「多い!? 何故こんな距離まで……!」
近くの草むらから、二十人余りの男が現れる。
魔法で姿と気配を消した集団で、手にする武器は南の大陸メガラニカの物。
倒れるユニコーンから落ちたリューリアを捕まえようと、男達の手が伸びる。
敵の距離が近すぎて、アドラーも間に合わない。
だが二人の子供が姉だけでも逃がそうとする。
「姉ちゃん!」
「りゅーりあ!」
キャルルとブランカが、アドラーに向けて勢いよく次女を放り投げた。
「おっと、動くなよ? かわいい顔に傷が付くぞ?」
出てきた男どもは、予想以上に素早い。
残ったキャルルとブランカを人質にして、刃物を突きつけていた。
アドラーの腕の中でリューリアが目を開く。
「リュー、大丈夫か?」
「う、うん、ちょっと腰が痛い……。えっ、キャルル、ブランカ? ユニコーンも!」
悲鳴を出しかけた次女をそっと長女に渡し、アドラーは敵に頼んでみた。
「……子供らを、放してくれないか?」
現れた連中は、並の兵士には見えない。
魔術師も連れていて、身につけた装備はかなり上等なもの。
ブランカが大人しいのは、隣でキャルルが捕まったせいもあるが、首に腕を回した男が強い。
アドラー並の強化倍率を持つ戦士が、しっかりと捕獲していた。
「何者だ?」と、もう一度アドラーが尋ねる。
「それはこっちの台詞だぁ、お前らこそ何者だ? このガキ、凄い力で暴れたぞ」
ブランカを捕らえた男が答える。
そのすぐ隣でキャルルが怒鳴った。
「おい、女の子だぞ! 解放しろ! 人質は一人で良いだろ!」
「威勢のいい子だな、好感が持てる。だが時と場所を選べ、黙らせろ」
男の合図で、キャルルが剣の柄で殴られた。
エルフの少年は、口元から血を流すだけで倒れずに耐えていた。
「きさま……!」
怒った時ほど冷静になる必要があるとアドラーは知っている。
目だけで素早く周囲を確認すると、すぐ後ろにミュスレアが来て、残りはダルタスが背中に守っていた。
アドラーには、付き合いの長いミュスレアの考えが読める。
キャルル達に、絶対防壁をかけた隙に飛び込めと言うのだ。
じわりじわりと近づく二人――魔法には届く距離がある――を、敵の魔術師が制した。
「止まれ、何かする気だろ。それに強化魔法を解け、化け物かお前」
アドラーの魔法まで見切られるほど、個々のレベルは高い。
「……サイアミーズの貴族か?」
強化魔法を解いてからアドラーが尋ねた。
「ほう、知っておるか?」
ブランカを捕まえた男と後ろの騎馬が、自慢するように鎧や盾に付けた紋章を見せつける。
「あー名前は知らんが、見たことある気がする。高名な家かな?」
まったく知らないが相手に乗る。
「そうかそうか、ならば名乗ろう。サイアミーズ王国の槍との誉れを頂く、セヴィニエ公爵家が一男、ギヨーム・ド・シャルクシアンぞ!」
後ろにいた騎乗の男達も、前に出てきて名乗る。
それぞれの名乗りを聞き流しながら、アドラーはブランカを目で抑えていた。
この連中は、統率の取れた軍人が主力になって、戦場に居場所がなくなった貴族の子弟。
だが祖先から受け継いだ個々の力は強く、今も特権階級であることに変わりはない。
命令も出てないのに、アドラー達を疑って勝手に追ってきていた。
もちろんそれで処罰されるような身分ではない。
手強い相手だったが、それよりもアドラーが気になるのは、竜の子ブランカ。
「ブランカ、俺を見ろ。落ち着くんだ」
アドラーが目を合わせようとしても、ブランカは撃たれたユニコーンのボスと、殴られたキャルルだけを交互に見ている。
竜の逆鱗は、既に逆立っていた。




