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 本当の大事業はこれからだった。


 百人の無傷の捕虜と、六百人の弱ったゴブリンが二つの集団を作る。

 仲良くさせる必要はないが、乱闘になればアドラーでも止められない。


「ダルタス、こいつを捕まえててくれ。握り潰すなよ」

「了解した」


 この指揮官は生命線である、アドラー達でなく兵士達のだが。

 完全装備のアドラーとダルタス相手に、鎧も兜もない一般兵など紙切れも同然、万が一にも抵抗すれば一瞬で百の死体が転がるだけ。


「団長さま! お父ちゃんです!」

 クルケットが父の手を引いてやってきた。


 一触即発の雰囲気の中で、にこにこと笑うクルケットからは穏やかな空気が流れ出ている。

 子ゴブリンの笑顔だけが、ゴブリン族の男達の復讐心を抑えていた。


「なんと、お礼を言ってよいやら……」

 父ゴブリンは膝を付いて祈る姿勢を取ろうとしたが、アドラーは直ぐに抱えて立たせる。


「お礼なら娘さん、クルケットに言ってあげてください。あの子の勇気に応えただけです」


 それからアドラーは、ようやく解放された実感が出てきたゴブリン達を見渡して口を開いた。

 鉱山に連れて来られてから私語は厳禁、自由に喋れる喜びを実践していたゴブリン達が一斉に黙り、アドラーへと注目する。


「まず、復讐はなしだ。ゴブリンとヒトとの争いを残してはならん」


 ゴブリン達はうなずき、兵士達も胸を撫で下ろす。


「本来なら数日は養生させたいが、今日の昼にはここを発つ。一人も残さない、全員連れて行く。まずは体を洗って飯を食え、臭うぞお前ら」


 冒険者流の冗談は少しだけ通用した。

 ゴブリンの男達の一部が、初めて声をあげて笑った。


「一度に沢山指示しても混乱するだけだ。ダルタス、そいつを寄越して食堂に行ってありったけの食事を作らせろ。腹いっぱい食わせて昼まで休憩だ」


 承知したダルタスが、将軍を投げて返す。


「リューリアは怪我人や病人を看て、キャルルはその手伝い。ブランカとミュスレアは、他の士官を集めて連れてきて。縄は切ってもいいや」


 全員に具体的な指示を出し、アドラーは将軍を引っ立てる。

 責任者達と兵士の処分は自ら下すつもりだった……。



「ほら歩け、直ぐそこだ。心配するな、命も取らないし拷問もしない」


 たった一人の冒険者に、百二十の軍人が行進させられる。

 命令を出す前に、アドラーはデモンストレーションをして見せた。


「鉄の剣がこうで……。逃げたらこうだ衝撃弾(ブラスト)!」


 剣を空中で八分割し短距離の攻撃魔法を見せると、全員が大人しく従った。


 鉱山の坑道入り口まで歩かせたところで、兵士の緊張が急激に高まる。

 田舎から連れてこられたり、食う為に兵士になった若者達も気付いたのだ。


「ここで始末されて、穴に埋められるのではないか? 相手は一人、将軍閣下を犠牲にしても立ち向かうべきなのでは?」と。


 だがアドラーが指揮官級だけを引き連れて横穴に入っていくと、兵士達は露骨に安心した。


「お前ら、部下に好かれてないな。誰も助けようとしないぞ?」

 アドラーが楽しそうに聞いた。


「お、お願いです、い、命ばかりは……」

 将軍が、命乞いを始めた。


「そうやって祈るゴブリンを、何人殺した?」

 アドラーの返事は冷たい。


「み、自ら、手は下しておりません……」

 最高責任者のはずの将軍とやらの言い訳は、惨めだった。


「お前な、せめて部下を庇おうとは思わんのか?」


 呆れたアドラーが、坑道の入り口から三十メートルほど行ったところに二十人を並べる。

 魔力で刃圏が伸びるアドラーの刀なら、二振りで全員を殺せる。


「水はやろう。頑張って助けて貰うんだな」


 アドラーは大きな水袋を投げ渡し、十メートルほど離れてから、刀の威力を全開にして……天井を斬った。


 兵士達は、信じられないものを見る。

 穴を支える木枠のみならず、その上の岩盤にまで何条もの裂け目が入り、一気に崩落した。


「げほっ、やるもんじゃないな。落盤を自分で起こすなんて」

 土煙に巻かれたアドラーは、少し後悔する。


 崩落した横穴の奥に士官と将軍、外には兵士達と、アドラーは頭脳と手足を分断した。


「あー良いかね諸君。将軍閣下と上官どもは、この先で生きておられる。まあ水もあるし、五日は持つだろう。頑張って掘り出してあげなさい」


 それだけ告げると、アドラーは坑道を後にした。

 将軍らが助かろうが死のうが、どちらでも良いこと。

 百人の兵士が、これからしばらく、坑道に貼り付けになることが重要なのだ。



 アドラーには、やるべき事が沢山ある。


 まずは六百人を歩けるようにして、故郷に戻るだけの水と食料の確保。

 炊事係の民間人に、全ての食材を出させて弁当と保存食を作らせる。


 ただ連れ出して餓死させては意味がないのだが、さらに深刻な問題をリューリアが相談に来た。


「アドラー、怪我人や病人の中で七十人ほど、弱って動けない人がいるの」


 全力で治療しても歩けない者もいる。


「それでね、わたしにこう言うの。『ありがとう、置いていってくれ』って、わたしどうしよう……」


 治癒魔法は、回復力を上げて手足の復元さえ出来るが、体が弱りきった者には効果がほとんどない。


 飢えて萎えた体を健康に戻すのは怪我を治すよりもずっと難しく、絶食していたゴブリンの長老達にもリューリアが出来ることはなかった。


「リュー、おいで。辛い思いをさせたね。彼らは全員連れて行くよ、馬を使って担架も作る。助からない者もいるかもしれない、それでも故郷の村に帰してやろう」


 しがみついて泣くリューリアの背中を、アドラーはあやすように何度も叩いた。


 この鉱山に連れてこられたゴブリンは全部で709名だった。

 歩ける者が584人で歩けぬ者が68名、既に亡くなった者が57人にもなる。


 アドラーは、将軍の部屋にあった金庫を破った。

 中には数百枚の金貨と裏帳簿。

 他の金庫や机も破って回る。

 軍用の連絡球を見つけて砕いたが、直後に暗号表を見つけて後悔する。


 施設の経費に地図、編成表、士官名簿、逃走に必要なものは全て奪ったが……。


「この金貨は、ゴブリンのものだ。返してやらんとな」

 アドラーに私腹を肥やすつもりはない。


 昼前には数人の兵士がやって来て、おずおずとアドラーに尋ねた。

「つるはしを使って良いですか?」と。


 アドラーは「俺達が去れば許可する」と答えた。

 命令に慣れた若い兵士たちは、それでもほっとした表情を浮かべる。


 ついでに付け加えた。


「天井を木で補強して覆いながら進め。落盤は十数歩分だ、三日もあれば掘り返せるだろう。そして、助け出した後は逃げろ。この国は、フェリペ伯爵はもう終わりだ。俺たちがたった数人で来たと思うか? 故郷に帰れ、罰する者はいなくなると、全員に伝えろ」


 半分はったりだったが、兵士に取られた若者達は首を何度も縦に振った。


 兵士の槍と毛布で作った担架一つを、四人のゴブリンが運ぶ。

 十五頭いた馬にも水や食料、野営用の薪に寝具とありったけを載せたが、それでも歩けるゴブリンは荷物を背負う。


 強行軍など不可能で、じわりじわりと進むしかない脱出が始まった。

 だがゴブリンの男達は文句の一つも言わず顔も明るい。


 待っているのは、彼らの故郷と家族なのだから。


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