118
アドラーの細いアテが外れた。
縁のあるスヴァルト国、知り合いの船が駄目となると、もう一般の航路しかない。
「テ、テレーザさーん! レオン王国の北まで行く船ってありますか?」
アドラーはギルド本部へ駆け込んだ。
「それはまた遠い所まで……。ひょっとしてゴブリン少女の依頼を受けたのですか? アドラーさんらしいですけど」
にっこりと笑顔を見せた有能な受付嬢テレーザは、世間話をしながらアドラーの要求に確実に応える。
ミケドニア帝国の更に北にあるレオン王国。
そこの最北部を占めるのがデトロサ伯爵領。
ヒトの国家はデトロサ伯爵領が行き止まりで、そこから北は乾いた不毛の大地が広がり、ゴブリン族が点在して住んでいる。
「ライデンからレオン王国までは、交易船は出ますが客船はないですね。便乗するなら本部から紹介状を出しますけど?」
「その船、いつ出港するか分かりますか?」
「あーっと、九日後ですね。小さな国ですから月に何度か交易すれば済むようで」
それでは遅い。
「陸路のが早いじゃないですかー」
「もう、そんな都合よく船便なんてありませんよ! うーん、ちょっと待って下さいね」
冒険者の移動の為に、あらゆる街道や航路に精通するギルド本部はとても役に立つ。
高い登録料を巻き上げるだけのことはある。
「サーレマーレ島! リヴォニア伯国から交易船が出てますね。リヴォニアへは定期船がありますから、こっちの方が早いかも」
リヴォニアは、アドラーにも聞き覚えのある国名。
一度訪れた事があり、蛇の魔物テトラコンダを退治して、お偉いさんとも知り合いになったが……。
「気軽に頼めるような仲ではないけど……借りが出来たら返せば良い。当たってみるかな。ありがとう、テレーザさん!」
「どういたしまして。あっ、出かけるならクエスト行程表は出して下さいねー!」
優秀な受付嬢の声に送られて、ギルド本部を飛び出したアドラーは、リヴォニア伯国の大使館兼商館へ飛び込んだ。
「あの、すいません。エルマー・クレサーレさんに連絡したいのですけど!」
「……はい?」
リヴォニア人の受付嬢は、自国の王子の名前を出した胡散臭い男を思い切り睨みつけた。
「あ、あの、エルマー殿下とは以前一度、彼が軍人の頃に……クエス……トで……」
受付嬢のプレッシャーに、アドラーの語尾が細く消えそうになる。
だが助け舟は、商館の奥からきた。
様子を伺っていた商館長が、アドラーの所へやってくる。
「失礼ですが、殿下とお知り合いでしょうか?」
「艦長の頃に少し……」
「殿下が軍務についておられたのは、存じております。奥でお話を伺いますので、こちらへどうぞ」
アドラーは、貴族王族階級と言うものに馴染みがない。
前世では、当然ながらただの歴史用語。
この大陸に来て幾人かと出会いはしたが、幸運にも気さくな人ばかり。
だがアドラーは忘れていた。
階級において恐ろしいのは、頂点に立つ者でなくその周りだと。
女子カーストのトップに馴れ馴れしい態度を取ってしまい、取り巻きどころか下位グループからも袋叩きにされる”あれ”である。
「アドラー・エイベルデイン様、でございますか。本国に連絡を取りますので、しばらくお待ち下さい」
商館長は、事務的に手続きを進める。
この生真面目なお役人は、賭けの対象になったシュハラトも、冒険者といった粗暴な職業にも詳しくない。
今から連絡球を用いて、わざわざリヴォニア政庁に問い合わせるが、もしもエルマーがアドラーを忘れていると大変な事になる。
不審者として身元を問われ、その後に解放されたとしても、受付嬢のゴミムシを見る視線に晒されて、アドラーの前世のトラウマが蘇る。
「ごくり……」と、アドラーは唾を飲む。
言い知れぬ重圧は、最上位の魔物と対峙した時と匹敵した。
しばらく待つと、表情を変えぬまま商館長が戻ってきた。
「アドラー様」
「はい! ど、どうでした?」
商館長は、直立不動のままで告げた。
「あらゆる便宜を図り協力せよと、殿下直々のご命令にございます。わたくしどもに、望むものをお伝え下さい」
アドラーは、久しぶりに神に感謝した。
「リヴォニアまでの船に乗りたい」
「ライデン市に係留する国の高速船がございます。二十名まで乗れますが、こちらでよろしいですか?」
「充分です。荷車は乗りますか」
「もちろんです。直ぐにでも出港出来ますが?」
商館長は右手で職員に指示を出しながら質問を重ねる。
「明日で……いや、レオン王国へ行く交易船に乗り継ぎたいのです。そちらの情報がありますか?」
「少々お待ち下さい」
生真面目な商館長は、あらゆる事務を的確にこなしてくれる。
「出港予定は三日後ですが、アドラー様の乗船次第に変更させます」
「明日の朝に、サーレマーレ島までお願い出来ますか?」
「了解いたしました。日の出より埠頭で待機させておきます」
「助かります。あの……事情は聞かないのですか?」
表情を変えない商館長は静かに語った。
「わたくしは、クレサーレ家に仕えて三十年になります。エルマー様も、弟君のテイラー様も、生まれた時からよくよく存じ上げております。先程、アドラー様に付いての詳報が国から届きました」
テイラー王子は、魔物に襲われた時に部下を庇って死んだ。
その魔物と親玉は、アドラー達が退治したのだ。
「テイラー様の仇を取っていただき、ありとうございます。わたくしには、それで充分でございます」
商館長は丁寧に辞儀すると、必要な手続きは全て済ませてくれた。
最後に、「受付の者が無礼を……」と言い出したが、アドラーは慌てて止めた。
「いやいや、何の先触れもなく、手ぶらで来た自分が悪いだけです。ありがとうございます、助かりました」
この時に、初めて商館長は表情を崩した。
少しだけ笑みを浮かべて、アドラーの冒険を祝福する。
「良き旅路とご武運がありますよう、祈っております」
アドラーは幸運であった。
何かと煩雑になりがちな、帝国外への船旅の手続きが半日もせずに終わる。
勢いで飛び出していって船が見つからないという、格好悪いところを団員達に見せずに済んだ。
しかも家に戻ると、ご馳走が待っていた。
「直ぐに出発でしょ? 今日は食材を使い切ったわよ!」
リューリアが腕によりをかけていた。
「み、見たことないです……! た、食べても良いのですか?」
長旅でボロボロの服から、姉妹のお下がりを貰って着替えたクルケットが目を丸くする。
「もちろんよ。休む暇もなくてごめんね、代わりにいっぱい食べてね」
ミュスレアが、クルケットをキャルルの隣に座らせた。
「きょっ!? お、おうじさまの隣ですか!?」
クルケットが顔を真っ赤にして俯く。
「おもしろいでしょ? キャルルを見てからあの調子なのよ」
ミュスレアが楽しそうに笑う。
爽やかな面立ちに表情の良く浮かぶ緑の瞳、童話の王子さまのようなキャルルの容姿がゴブリン少女には刺さったようだった。
「気持ちは分かるわー。あと十も若ければ私もそうなったわー」
マレフィカが遠い目をしてクルケットに同意する。
「ふん、ボクには何が何だか。おいチビ助、料理を取ってやるよ。皿寄越せ」
キャルルが、無関心を装いつつもクルケットの面倒を見る。
ブランカに身長を追い越されてから、自分より下の者が出来るのは初めてだった。
一口食べたクルケットが、また大きく目を見開いた。
「うま、美味しいです! こんなの食べたの初めてです! 村のみん……」
空気を読んで途中で感想を切り上げた女の子に、アドラーは言い切った。
「大丈夫だ。絶対に魔物を倒して、平和に暮らせるようにしてやるからな」
頷いたクルケットが、次の料理に手を伸ばす。
今回のクエストで、アドラーは魔物を倒すだけで済ませる気はない。
テレーザに、レオン王国とデトロサ伯爵領についての資料を頼んでいた。
大陸を揺るがすことになる、ゴブリン奴隷大脱走事件の始まりであった。
この章は大きな話になり、次の章で新大陸編へと続きます
モチベにするのでブクマ・評価などお願いします