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「連行せよ!」
代官のラドクリフは、最初の命令だけは堂々としていた。
「おおおおおっ!」
アドラーの右側から一歩前に出たダルタスが雄叫びをあげた。
重低音の効いた地響きのようなうなり声に、ラドクリフの乗る馬が棹立ちし十歩ほど後退する。
続いてアドラーの左側にミュスレアが進み出て、迷いなど欠片も見せずにあっさり剣を抜いた。
「いやいや、駄目。ちょっと待て!」
アドラーは両手で二人を止める、大事にするつもりは一切ないのだ。
「き、きさまらぁ! 抵抗するか! 半人の分際で帝国に逆らうかぁ!?」
兵士の間に逃げ込んだラドクリフが吠えた。
半人――エルフ族やオーク族を罵る言葉――呼ばわりに、温厚なアドラーでも眉毛を寄せる。
開かれた交易都市ライデンは、他種族の扱いはマシな方だと言われる。
諸侯によっては、土地の所有どころか水を与える事を禁止する法が残るところもある。
他種族が触れることで汚れるとの思想が根強いのだ。。
帝国の官僚であるラドクリフの態度は、この大陸では当然のもの。
しかしアドラーを怒らせるには充分だった……が。
「いよー、朝っぱらから喧嘩か? 混ぜろよ」
アドラーの飲み友達、”銀色水晶”団のタックスがやって来た。
「相変わらず、耳が早いな」
以前もタックスは、ギムレットとの喧嘩に真っ先に参加した。
アドラーの天幕の周りは、ライデン市のギルドが固まっている。
本来ここに居るのは本戦出場ギルドだが、四日目が終わると予選落ちしたギルドもやってくる。
宴会が始まるからだ。
「へへ、寝ようと思ったら騒ぎがしてよ。ほれ、みんなも来てるぜ」
予選落ちしたギルドは、暇を持て余す。
”銀色水晶”は、団長のシルベート以下、団員全てが赤い顔で集まってくる。
そして後ろからもぞろぞろと、ライデン市の冒険者が集まってきた。
特に緊張感もなく、世間話をしながら。
「なんだこいつら?」
「バカっ! こう見えても帝国の正規軍様だぞ」
「太陽と鷲に喧嘩を売りに来たのか? 死にたがりの阿呆か」
「俺も混ぜろ」
屈強な冒険者たちは、軍隊を見ても何とも思わない。
「な、なんだお前ら! 散れ、失せぬか!」
ラドクリフが喚こうが知らぬ顔。
「アドラーさん、おはようございます」
また見知った顔に声をかけられる。
「マークスか、お久しぶり」
「ご無沙汰してます。今度は帝国軍が相手ですか? やりますねえ」
”鷲の翼を持つ猫”のマークス。
かつて湿地帯でナフーヌ――昆虫型の魔物――に囲まれたところを、アドラー達が助けた。
「いやー、腕がなるなあ。予選落ちするとやることなくて」
マークスと団員達も参戦希望。
「よく分からんが、一度は対戦した縁がある。手伝ってやろう」
ハーモニアが”偉大なる調和”団を率いて首を突っ込む。
「そういうことなら、うちも。同盟ギルドですから」
”鷲の幻影”のアストラハンまで。
ただし女神アクアは、離れた所から面白そうに人の営みを眺めている。
起き出してきた、または一晩中飲んでいた冒険者は、あっという間に千人を超え、可哀想な帝国の兵士達を囲み始めた。
「ミュスレア、ダルタス」
アドラーが二人に声をかけると、どちらも武器をしまう。
「拳で充分だな」
「人を殴るのは久しぶりだ。ダルタス、どっちが多く倒すか賭けるか?」
ミュスレアの目が鋭く光る。
そして喧嘩上等のエルフ娘よりも、更に目つきが悪いのがやって来た。
「何事だ、いったい! こんな朝っぱらから!」
ライデンのトップギルド、”シロナの祝祭”団、青のエスネが百人ばかりの団員を引き連れてやってきた。
今回も総合1位を走るシロナ団と、個人1位のエスネ。
全勝した第一部隊と三勝した第二部隊で、金貨千枚を優に超える稼ぎがある。
その代償は激烈だった。
一日の半分以上をダンジョンで戦い続けるエスネは、闇落ち寸前の顔。
青から黒へ変わる直前の目つき。
「何だアドラー、また貴公か」
「いやーその、ごめんなさい」
予想通りといった顔のエスネに、アドラーは素直に謝った。
「貴様らぁ、こんなとこへのこのこやって来て、無事に帰れると思ってるのか?」
エスネは堂々と帝国軍を恫喝する。
目の下にくまを作った美人の脅しは怖い。
震え上がった兵士たちは、訓練どおりに円陣を組んで小さく固まった。
「え、栄光ある帝国軍が、なにをやっておるか! 抜刀せよ、武器を取れ!」
ラドクリフが幾ら叫ぼうが、所詮は代官。
先頭に立たず円陣の真ん中で騒ぐ男には、とても従えない。
今や数千になった冒険者は、完全に包囲していた。
「やんのかこらぁ!」
「こっちは素手だぞ! 武器なんぞ捨ててかかってこい!」
「迷宮の奥に放り込むぞ? 半年後に迎えにいってやる」
「財布置いてけ!」
一部の者は、アドラーを引き渡すつもりなど毛頭ない。
また大半の者は、喧嘩が出来れば良い。
相手が正規軍であろうとも、死なない程度に殴り合うのに何の問題もない。
夜の酒場ではよくある事だ。
大多数の冒険者は、面白がっていた。
そしてまた、『太陽と鷲は何処でも騒動を起こす』と話題になる。
最初に悲鳴を上げたのは、ラドクリフの乗った馬。
周りからの圧力に耐えきれず、背中の荷物を振り落とし、円陣の外へ飛び出す。
兵士は慌てて代官を助け起こすが、ラドクリフは「腰がー、腰がー」と騒ぐのみ。
絶体絶命の兵士達を救ったのは、急遽駆けつけた将軍だった。
「待たれい、待たれよ衛士諸君!」
夜を徹して駆けつけたバルハルトが間に合った。
”宮殿に住まう獅子”の総団長の一人にして帝国男爵、さらに将軍としての戦歴もある老将に、さすがの冒険者も道を作る。
「すまぬ、すまぬな、衛士諸君」
バルハルトは、冒険者の古い呼び名を口にしながら進み出る。
千人の兵士が潰れんほどに固まった状況を見て、バルハルトは悲しそうな顔になり、次いで取り囲む冒険者達に告げた。
「アドラー団長を連行せよとの命令は誤りである! ただ話を伺うだけである。決して勇敢な冒険者を拘束したりはせぬ! わしを信じてここは引いていただけぬだろうか」
指揮官の持つ朗々たる声が響き、腕をまくった男共と少数の女も顔を見合わせる。
「騒ぎについては、わしが謝る! 対抗戦の最中に軍を押し入れるなど、過ちであった。詫びとして、今宵は酒を百樽届ける。全てオイラー産の葡萄酒だ。どうか、許してくれい!」
手土産持参で頭を下げたバルハルトに、それならば……との空気が流れ始めた。
もちろん、アドラーには願ったりである。
「タックス、マークス、ハーモニア、アストラハン。あとエスネも、みんなも引いてくれ、お願いします」
アドラーの願いは叶った。
暴れ損ねたといった様子で、冒険者達はそれぞれの天幕へ戻り、朝食の準備にかかる。
「すまんことをしたな、アドラー団長」
バルハルトが、もう一度謝罪した。
「いえそんな、来ていただいて助かりました」
これはアドラーの本音。
「後で、話を聞かせてくれ」とだけ言ったバルハルトは、帝国の兵士の方を向いた。
「はぁ……情けないのう。戦役から遠ざかったとはいえ、そのざまか」
帝国の名将を前に、兵士たちも頭を下げるのみ。
「まあ良い、今回は相手が悪い。あの連中を相手にするには、十倍の兵が必要じゃが……総員駆け足、ダルメシアまで走って帰れ!」
今回、一番不幸だったのは、何も知らぬ兵士とそして代官。
「あ、あのー閣下、私は腰を痛めまして……」
落馬したラドクリフは、帝国軍の駐屯する重要地ダルメシア伯国代官の任を解かれ、何もない穏やかな土地へと回された。




