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アドラーが倒れる所を、ミュスレアは真後ろで見ていた。
ミュスレアは悲鳴こそ飲み込んだが、無敵の団長が崩れ落ちたのに驚き、それ以上に激しく動揺する自分に驚いていた。
彼女は、死にかけのアドラーを知っている。
弟が見つけた行き倒れの上着を脱がしたところで、「これは無理だ」と思ったほど。
肩からヘソまで体を裂く傷があり、本人の魔力でかろうじて繋がってるのを見て、虎の子のへそくりを使って医術師を呼んだ。
その時は冒険者らしく冷静だったが、今はそうもいかなかった。
「アドラーっ!?」
ミュスレアが全力で駆け寄って頭をかかえた。
体にはケルベロスの吐いた紫の粒子がこびりつき、ミュスレアは慌てて叩き落とそうとして、ブランカの視線に気付いた。
アドラーとミュスレアを交互に見る目は大きく開き、どうして良いか分からぬ迷子犬の瞳。
ミュスレアは、自分を取り戻す。
彼女のことは、正式ではなくとも副団長格だと皆が認めている。
ここ最近、妹と弟に見つからぬように読み書きの勉強もしていた。
指揮を執るなら文字が分からないと話にならない。
教師はアドラーとマレフィカ。
深夜、キッチンの机でこっそりアドラーに習っていると、起きてきたキャルルに見つかったことがある。
一瞬驚いたキャルルは、頭を寄せ合う二人を見て「ごゆっくり~」と言いながら生意気な笑みを浮かべた。
弟に誤解されるのと今更勉強を始めたこと、どちらが恥ずかしいか天秤にかけて、ミュスレアを前者を選んだ。
一つ深呼吸して、ミュスレアは冷静にアドラーの容態を確かめる。
「脈も呼吸も、意識も……ある。マレフィカ、わたし達にも抗毒魔法を。ダルタス、団長を背負って。ブランカが先頭、一気に地上まで戻るわよ!」
「了解した」
「はいな!」
他にも怪我人が多く、ここでの治療は無理だとミュスレアは判断した。
命令が出て、ようやく団が動きだす。
全員に指示を出したミュスレアが、アドラーをオークの背に縛り付け、自分の槍をエスネに投げた。
「それ、頼むわ」
「うむ、任された。後で様子を見に行くからな」
エスネは片手で槍を受け取った。
「マレフィカは、わたしの背中に。喋ったら舌を噛むわよ」
三人は、全力で走り出した。
ブランカは、アドラーのと合わせて両手に剣を持つ。
行く手に何が出ても二刀両断するつもりだったが、焦りと心配に起因する竜の怒りの前に出てくる魔物はなかった。
道中では、他団の者が道を譲る。
大物が出て怪我人多数の情報は回っていて、仲間を背負った冒険者を邪魔する者はない。
中には「お、おい! 担架あるぞ……!」と声をかける者もあったが、声が届く前に白い尻尾の少女とエルフとオークが走り抜ける。
「速いな、何処だ?」
「知らんのか? あれが太陽と鷲だぞ」
本戦初日の終わりを前に、帰り路に着くギルドを次々と追い越してゆく。
その中に”鷲の幻影”団もあった……。
紫色の毒素にまみれたアドラーを見たリューリアは卒倒しかけたが、冷静沈着な姉を見て、何とか平静になった。
駆け出しのヒーラーに出来ることは何もない。
てきぱきと毛布を広げ湯を沸かす姉に代わって、アドラーの頭を自分の膝に乗せるのみ。
「近づいても大丈夫だ。毒は無効化されてる」
マレフィカが首をひねりながら顔をあげる。
詳細に検分しても、アドラーを倒すほどの毒素は見当たらない。
ロゴスが咄嗟にかけた耐毒魔法は完璧で、マレフィカにも原因が分からぬ。
「兄ちゃん!」
「だんちょー!」
「アドラー!」
二人と一匹が、横たわるアドラーにしがみ付く。
「病人よ、降りなさい!」と怒鳴りながら、リューリアは少し寂しく思っていた。
彼女は、もう勢いに任せて飛びつけるほど子供ではない。
よく覚えてない父のようでも、優しい兄のようでもあるアドラーを慕ってはいたが距離が難しい。
「反抗期でないだけ感謝してよね!」というのが、偽らざる本音。
アドラーの食器や洗濯物を洗うのに、文句を言ったりはしない。
しかし、目の前で倒れているのを見るとたまらなく不安になる。
リューリアは、長女のミュスレアとアドラーに、自分と弟が守られているのをよく分かっていた。
「どう?」
ミュスレアが硬い表情でマレフィカに尋ねた。
「すまない、分からん。たぶん、命に別状はない。急激な衰弱で、原因は……私とロゴスの魔法が同時にかかったせいかも……」
アドラーは自身も魔法を使える。
そこに二つの魔法がかかり、悪い影響が出たのかもと魔女は判断した。
「では、ロゴス団長を?」
「うむ、俺が連れてこよう」
ダルタスが天幕を出ようとした時、ロゴスからやって来た。
「遅くなってすまぬな。ちと、人手を集めてたものでな」
「いえそんな、ありがとうございます。こんなに早く、良いのですか?」
ミュスレアが感謝を込めて応対する。
「他は普通の怪我人と火傷ばかりじゃ。それに、礼を言うのはこちらじゃ。あっさりとあれを蹴散らすとはのう。みな、こっちじゃ。入れ入れ」
ロゴスに続いて、三人の老人がやって来た。
「わしは”南の教授”レイトンという」
「わしの名はジン。”東の医聖”などと呼ぶ者もおる」
「お初じゃな。わしはクロトンのアルクマイオン。”西の賢者”じゃ、知っておるか?」
いずれも、治癒系の冒険者なら誰でも知ってる有名人。
「そしてわしが、”北の導師”ロゴスじゃ!」
これ以上ない面子を、ロゴスは集めて来た。
最後に顔を出したエスネが、ミュスレアに槍を渡しながら言った。
「ふっ、借りは返すのが私の流儀でな」
マレフィカでも一歩引いて老賢者達の話に耳を傾ける。
リューリアは苦しむ団長の頭を膝に乗せたまま、伝説を目の当たりにして緊張気味。
そして、四人の賢人会議が始まったが……。
「すまん」
エスネが短く謝り、ミュスレアがうなだれていた。
同格の四人が集まり、議論は加熱し、様々な仮説が出て、治療は一歩も進まなかった。
時折「ううー」とアドラーの声が響くのみ。
ふとキャルルが何かに気付く。
「兄ちゃんのきのこが!」
こんな時に下ネタを言った弟を、次女が恐ろしい目で睨む。
「おう、本当じゃ。きのこが生えておる!」
四賢人の誰かが叫んだ。
アドラーの体、紫になったところから、きのこが生えていた。
「つまりじゃ!」
「ケルベロスが吐いたのは!」
「毒でなく胞子じゃったか!」
ようやく答えに辿りついた。
――マカイキノコ類。
名前の通り恐ろしい菌糸類。
生物の体に張り付き、その魔力や体力吸って育つ。
「こんなもの初めて見るわい」
「ふむふむ。ロゴスの魔法でほとんどは死滅しとるの」
「せいぜい、数百本といったところじゃな」
四賢人の観察は続く。
「それで! どうやったら治るの!?」
ついにミュスレアが切れた。
「まてまて! それを今から考える!」
「無理に剥がすと散らばるかの?」
「わしも一つ持って帰りたいのう。研究用に」
再びミュスレアが爆発しようとした時、文字通り救いの女神が現れる。
「はーい、今晩は。女神特製の聖水はいかが? 出したてよん」
次女が声の主をきつく睨む。
やってきたのは、美貌溢れる女神のアクアだった。




