ご近所コース編
──「そう、私はランナー」
こう言ってしまうと「貴方は本格的なアスリートなのですね?」という誤解を招きそうなので、早めに撤回しておこうと思う。ランナーと言っても、私は趣味レベルのランナーである。フルマラソンをするでもなし、大会にエントリーするわけでもない。個人的趣味として、週に三回程度、五~六キロの距離をさほど速くもないペースで走っている。
「ジョギングを始めたきっかけは?」と訊かれると、運動による脳の活性化云々、心身のリフレッシュと自律神経のバランスを整える効用が云々、新陳代謝効率を上げる効果が云々、難しい言葉を並べるつもりもないし、私がジョギングの効果や効能を理論的に説明されても理解できない可能性の方が大きい。
自分が気持ち良ければそれでよし、である。
趣味ランナーという言葉に少しばかり肉付けをすると"趣味でご近所をジョギングをしているランナー"である。
ご近所ランナーとは何か。それは"決まった道しか走りません"の一言に尽きる。例えば、ジョギングやウォーキングのハウツー本を開いたり、ハウツーサイトを閲覧してみると「マンネリ防止のために違うコースを走って(歩いて)みよう」という一文はよく目にする。
──しかし。私はそれをしないし、する気もない。何故ならば、私は極度の方向音痴なので、知らない道を走ったが最後、迷子になる確率は百パーセントである、と言っても過言ではない。事実、とある晩夏の夕方の出来事。この角を左に曲がれば家に帰れるけれど、ちょっと右に曲がってみようかな?迂回できるはず。という不要な好奇心を出してしまった私は、二十分後、案の定知らない路地に迷い込んでしまった。段々と空は暗くなってきて、汗は冷えてきて、いけない、このままでは死んでしまう! 軽いパニック状態に陥った私は知らないお宅のチャイムを鳴らして「迷子になりました、ここはどこですか?」と現在地を訊き、帰り方を教えて頂くという最低最悪な事態を招き、突然チャイムを鳴らしたお宅の女性(推定五十歳)の射るような視線は、きっと棺桶に入るまで忘れられないだろう。
そういった"前科"もあって以来、自動車で三十分ほど走った先にある運動公園の周回コースをぐるぐると回るか、家から出発しておよそ六キロ、母校の小学校を迂回するコースの二択を、気分で選ぶようにしている。比率で言えば後者の方が圧倒的に多い。
「そんな変わり映えのない所を走って、飽きないの?」というご指摘がりそうなので、最初に答えてしまおう。飽きません。
代わり映えしないと思われがちな同じ道。そこをを何度も何度も、それはもう数えきれないほど何度も何度も走ると、分って(見えて)くるものがある。例えばここの直線約八百メートル、二個目のマンホールの蓋の手前は窪んでいるから、そこに着地してしまうと足を捻ってしまうので、要注意。ちょっと歩幅を大きく取ろう。とか、この角を曲がると左手はアスファルト舗装が痛んでいるから路面が変わって足首に負担がかかるので、小回りはせずにこの角は大きく回ろう。とか、復路の八百メートルの直線は対向車とのすれ違いが多いから注意、等々。
そして、コース特性を把握するとともに、あまり知りたくないものも知ってしまう、これがご近所ランナー最大の苦悩であり、苦痛であり、でもちょっと楽しかったりもする。
こんなことがありました、という例を紹介しようと思う。
往路と復路の折り返し地点にあるとある新興住宅にお住いのAさん(仮名)宅には、牧羊犬がいて、たまに飼い主(男性で四十代と思われる)の腕から逃走して逃げ出してしまう。逃走した白い牧羊犬、健脚である。犬好きな私は、逃走して私の方に駆けてきた牧羊犬をキャッチし、愛でつつ飼い主の男性に返してあげたところ、その牧羊犬の名前はRちゃんで、男性にはなつきやすく、女性にはなかなかなつかないことを知ってしまう。どうやら飼い主の男性は、ガレージを見る(だって視界に入るんだもの仕方がないじゃないのさ)と、外車メーカー(X社)のセダンと外車メーカー(Y社)のコンパクトカーと二台の自動車を所持していることから、所得はかなりの高額であり、外車贔屓である、と推理できてしまう。さながら名探偵兼ランナーな私である。
続いて、復路の終わり、私が走り始め、走り終える地点にお住いのこれまた男性(三十代後半だろうか)の一戸建て住宅は、庭が花で満たされていて、通る度に花の香りが漂ってきていた。このお宅には男性と同居している女性がいて、いかにも値が張りそうなオレンジ色の綺麗なロードバイクに乗っている。黒髪のロングヘアを風になびかせながら颯爽とペダルを漕ぐ姿が美しい。その女性(三十代だと思う)はガーデニングも趣味らしく、花の手入れをしている光景をよく目にしていた。なんだか優雅である。そしてそのロードバイクのお隣には、海外メーカー製の大型バイクが駐車してあって、時々そのバイクに跨って外出する男性を目撃していた。男性は自動二輪、女性は自転車。成る程、二輪が好きなカップルなのだな、と把握できた。休日に恋人同士でガーデニングをする光景が視界に入ると、何だか微笑ましくなる。そう感じていたのだけれど──。とある日を境に、ぱったりとその女性を見かけなくなってしまった。自転車とバイクが仲良く置いてある玄関前からオレンジ色のロードバイクが姿を消し、そこを通るたびに花で埋め尽くされていた庭は段々と荒廃していって、しばらくするとそこは、更地になっていた。恋の終焉だろうか。それを第三者として不可抗力ながらも見届けてしまった私の心には、妙な傷心と、いったいどちらに非があったのだろうか、という勝手な推理心が働いてしまって、意識的にそのお宅を視界に入れないようにするには、努力が必要であった。
拙作、「ZONEとは何か」でZONE体験に触れているけれど、私がこうしてご近所コースを走る限り、前述したノイズは避けて通れないのだから、諦めるしかないのかも……とこの原稿を書きながら思っている。
更に苦悩は続く。
私が居を構える地方の片田舎は、十二月にもなれば、雪でアスファルトが覆われてしまって、とてもじゃないけれど外を走るには不可能な状態になってしまう。雪融けまでのおよそ四ヶ月、外を走りたくても走れないというストレスは非常に大きい。その対策として、室内で使えるウォーキングマシンを購入し、厳寒期は"ウォーカーちゃん"と名付けた電動ウォーカーの上に乗り、サウナスーツを着て、機械音をBGMに歩いているのだが、やはり歩くのと走るのでは使う筋肉やスピード感覚がまるで違うし、機械の上と地面の上を歩く、走るを比較するとどうしても地面を使う方に軍配が上がる。それに、自室でサウナスーツを着てウォーカーちゃんの上を歩く私の姿は、非常に滑稽で、ちょっと泣きたくなる。
それならば──冬季限定で湿度、温度、あらゆるコンディションが一定のスポーツジムを使えばいいじゃないのさ、という至極簡単な結論に至るのだけれど、やれ一回分の利用料が高いだの、凍結した路面を苦手な自動車の運転をして往復する精神的リスクを冒すくらいなら、滑稽な姿でウォーカーちゃんに乗るもん、と自分に"いかにも"な理由をこじつけて、早二年。そんな私の偏屈と言い訳がましい私に、意識改革を起こさせる出来事が先日あった。
先日のジョギングの最中、ロードバイクが消えてなくなり、手入れされた花壇が更地になっていたお宅の前を通過した際のお話。いつも視界に入っていた海外メーカー製の大型バイクの隣に、国産のスポーツタイプのバイクが停まっていて「初めて見るバイクだなぁ……」思った私は、クールダウンのふりをして、腕のストレッチをしつつ、横目でその"新車"を眺めていた。すると、幸か不幸か、きっと後者なのだろうけれど、玄関先から男女の笑い声が聞こえてきて、いかにも恋人、これぞ恋人、といった男性と女性がお揃いの皮ジャケットを着て外に出てきた。一時的に聴覚の鋭くなった私は、二人の会話を聞き逃さなかった。
「今日は二人で初めてのツーリングだね」茶髪のセミロング、二十代後半と思しき、細身の女性が言った。間違いない、新しい恋人である。私は聞こえない程度の舌打ちをし、再び春がやってきた男性を羨みながら、再び走り出した。この時、私の頬を涙が伝っていたのはきっと気のせいだと思う。
この原稿を書いているのは、ぐっと気温の下がり始めた秋である。あと二ヶ月ほどで本格的な冬がやってきてしまう。先日の"めでたい春が再びやってきた事件"で意識改革をされた私は、今年の冬こそはスポーツジムに入会しようと思う。そう、バイクが好きな男女が趣味のバイクを通じて知り合えたように、私も走るのが好きなランナー。きっと、真冬のスポーツジムで、素敵な出会いがあること間違いなしである──と思わないと、少々辛い。
ご近所ランナーの苦悩を思い出し、記事として書いていたら何だか頭が痛くなってきた。少々心も痛い。何故だろうか。きっと肩が凝ったのだと思う。こんな時こそ心身のリフレッシュにもってこいなジョギングをするのである。ウェアに着替えて、いつものご近所コースを走ってこよう。良くも悪くも、往復約六キロの道すがら、何かしらのドラマがあるはずだ。
──たぶん。
(続く)