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三話

 人差し指についたゴミは、薄っぺらく一ミリほどしかないものだった。

 ほこりと言っても良い。だが、そんな小さくても目の中に入れば別だ。

 太一に強制的に涙を流させたそれを、幸樹は少しついた唾液と共にズボンでぬぐった。

 心は妙に落ち着いている。目玉を舐めるという、普通なら考えもつかないことをやってのけたにも関わらず、なぜかその行為が自然の成り行きのように彼には思えたのだ。


「えっと、……目はどうだ?」


 ゴミを取ろうとして舐めたが、その動機が太一のためではなく、自分の心を揺さぶる原因である涙を止めるためだった。

 そんな内心を悟らせないよう、あくまで目の保護が目的だと思わせるために、幸樹は問う。

 聞かれた太一は、答えない。 

 やっぱりドン引きされたのかと、幸樹は心配になって手を伸ばそうとした。

 すると太一が、だらりと伸ばしていた足を山折りにした。

 俯いたままで顔は見えないが、逃げる気なのかと、幸樹は焦って腰を浮かす。 

 だが、太一を若干見下ろす状態になって、彼が足を曲げた本当の理由を知ってしまった。

 勃起している。

 少しだけだが、ズボンからでもわかるくらいに太一の性器は勃っていたのだ。

 まさか、目玉を舐めた時に感じたというのか。

 舐められる側の感覚はわからないので、幸樹は腰を浮かせた中途半端な姿勢のまま、凝視してしまう。

 口を開けるが、どう言ったらいいものか戸惑うばかりで。

 気付かない振りをしたまま、何事も無かったかのように振舞うべきか、それとも真っ向から謝った上で、走り去るべきか。

 頭の中に色々な案が出されては、消えていく。

 そうこうしている内に、太一が俯いたままかすれた声で呟いた。


「なんでだよ……」

「え」

「なんでなんだよ!!」


 かなりの勢いで顔を上げたかと思うと、突然太一は幸樹の肩を掴んで、思い切り地面に押し倒した。 


「お前まで俺を女扱いするのかよ!? 俺は女じゃない! 男だ!!」


 雑草がクッションとなって怪我は免れたが、少しだけ頭がぐらつく幸樹は、彼を見上げることしか出来ない。

 太一が目玉を舐められた衝撃で動けなくなったのと、同じ状態だ。

 幸樹の上に馬乗りになった状態で、太一は叫ぶ。


「色白だし、髪も変につるつるだし、他の男に比べたら細いかもしれないけど、それでも俺は男だ! 太一っていう男だ!!――なのに、」


 成すがままの幸樹の肩を掴んでた、両手に入る力が弱まる。


「なんで……俺は感じたんだよ…っ」


 幸樹は、彼の言葉と泣きそうな声に目を見開いた。

 目の前いっぱいに広がる太一の顔は、悔しさと悲しさが入り混じった感情を表していた。


「太一……」

「ちくしょう、ちくしょう……」


 さっきまで、頑なに拒否していたはずの涙が、太一の目からぽろぽろと零れ落ちる。

 それを下から頬で受け止める幸樹は、何故彼が涙を流したくなかったのかがわかったような気がした。

 出来るだけ優しく、ゆっくりと彼を両手で押しどける。

 案外大人しく、太一は彼の上から身を引いた。

 そして再び俯く太一の肩に、彼はぽんと手をかけた。


「お前、もしかして学校で女扱いされているのか?」


 鼻をすすっていた太一の体が硬直する。

 押し倒した時、お前まで、と彼は言った。

 つまり、太一を女扱いする者が他にいるということだ。そんなことをされそうな、彼がいる場所といえば、学校しかない。何より、先ほど学校は楽しいかと聞いた時に、彼は戸惑っていた。

 黙りこんだまま答えない彼を急かそうとはせず、幸樹は待ってみる。

 暫くの間、激しい雨音だけが二人の間に流れていたが。

 ブレザーの袖で目をこすった太一は、幸樹のほうに向き直り頷いた。


「そうだよ。いつの間にか俺は、クラスの中で女役になってたんだ」

「女役?」

「ああ……。男しか居ない空間にいると、皆自然に”女”を探すんだ。男として振舞うために、女を探す。その役回りが俺に来た」


 太一の話を要約すると、思春期を男子校で過ごす生徒というのは、共学の生徒に比べ”男”を感じる機会が圧倒的に少ないらしい。

 男子生徒が女子生徒に代わって重い物を持ってやったり、高いところに置いた物を取ってやったり。それこそ、恋をしたり。

 共学だと、意識しなくてもそこらにある機会が、男子校には無い。

 すると、生徒は探すのだそうだ。 

 そういった、自分が男であるために必要な”女”を。


「それがお前に来たということか」

「……多分、さっき言ったように肌が白かったり細かったりで、外見が女々しかったからだと思う」

「どんなことをされるんだ」

「皆、変に俺をちやほやする。俺がゴミ当番の日とか、代わってやろうかと言ってくるんだ。去年の体育祭でも、前日準備で一緒にマットを運ぼうとしたら、いいって言われた。その代わりに、ゼッケン縫ってくれって。当日なんか、勝利の女神とか言われて、応援席の一番真ん中に座らされた」


 気にしなかったら、どうということないことかもしれない。

 第三者が聞けば、面倒なこと全部クラスのやつらがやってくれるんだしいいじゃないかと、思うかもしれない。

 だが、クラスで取られるそんな態度は、太一のアイデンティティを揺るがせたのだ。


「自分も、周りと同じようにその雰囲気に呑まれて、女役として立ち回れば楽だったかもしれない。でも俺には出来なかった。どうしても、男でありたかった」


 太一がそこまで男としての己に執着することに、幸樹は意外さを覚える。

 中学の時、そういったことを意識しているようには見えなかったが、男子校でそんな状況になって逆に意識してしまったのか。


「それを、クラスの奴らにはー…言いにくいか。やっぱ」   

「ああ。それに、俺を女扱いすることさえ除けば、皆良いやつなんだ。悪気があってそうするんじゃなくて、その場の雰囲気に流されてそうなってるみたいだから、俺嫌だって言えなくて……一年間我慢した。でも、」


 段々、太一の目線が地面に下がる。


「終業式の日に、クラスが分かれるからってものすごく皆から寂しがられた。それが友人としてじゃなくて、女役に対する寂しさだと思ったら、少しだけ涙が溢れたんだ。そんな俺を見た瞬間の、皆の目が……すげえ嫌だった」


 男が演じる女ではなく、本当の女のように見られてた。気持ち悪かったし、怖かった。

 そう太一は言う。

 泣くから女みたいだ、という考えは、昨今の日本では減ってきた意見だ。

 しかし狭い檻の中にいる少年達にとって、太一の涙は己の中の何かを刺激したのだろう。

 何せ、共学である幸樹の一般的な感覚をも麻痺させたのだから。

 

「だからお前、泣くのが嫌だったのか」

「うん……ごめん」


 太一は謝ると、再び後ろに下がろうとする。


「気持ち悪いだろ? 俺。お前はゴミを取るために舐めたのかもしれないけど、俺はそれで勃っちまったんだ。どれだけ嫌がっても、俺はあの雰囲気に呑まれて女になってたんだ」


 また涙声になって、彼はずるずると後ずさっていく。

 勃起したのがよほどショックだったらしい。

 その姿が、あまりにも痛々しく、悲しくて、幸樹の胸にあった痺れが再びうずきだした。

 立ち上がって、雨がかかる寸前まで下がった太一の腕を彼は捕まえた。



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