一話
頭上の雲は、もうすでに「暗雲」というにふさわしいどんよりとした色をしていて、幸樹は家路を急いだ。
彼は公立高校に通う一年生。日焼けした肌に、広い肩を持つ体はまさしくスポーツ少年である。
今日は春休みでサッカー部の練習帰りだったのだが、夕方にもかかわらず夜のような暗さに、もうすぐ雨が降るのだと感じた。
河原の土手を足早に歩く。
一年間高校に通った結果、ここを進むのが一番近いことがわかっている。
だが、そのルートを通ったとしても間に合わない。
ずっと向こうに見える空は、もっと黒くて、傘を持ってないことを後悔した。
朝食を摂りながら、耳に入ってきたニュースでは、にわか雨の可能性が高いと予報していた。
しかし、朝練に遅刻しかけだった幸樹は、傘を持つ余裕が無かったのだ。
数百メートル先にある橋まで見据えて、朝の失態を思い出し、ため息をつく。
と、俯いた拍子に見えた下の河川敷に、見慣れない制服を見つけた。
背中しか見えないが、あの青色のブレザーは確か、隣県の私立男子高校の制服だ。
電車を二回乗り換えないといけない学校へ、ここから通っている同年代がいるのは珍しい。
自分の行ってる学校もそれなりの偏差値だが、それを無視してわざわざ遠方の進学校まで行っているのか。
きっと勉強熱心なやつなんだろう。
そこまで考えて、はたと気付く。
そうだ、いたじゃないか。そんな勉強熱心な、同い年の男を。
後姿だけとはいえ、すぐに気付かなかったことを我ながら意外に思う。
はやる心を抑えつつ、サッカー部で培ったフットワークで、幸樹は河川敷まで駆け下りた。
人違いだといけないので、後ろから近づいて顔を確かめた。
「ああ、やっぱり! 太一じゃんか!!」
久しぶりに見た幼馴染の顔に、彼は歓声を上げた。
太一と呼ばれた少年は、振り返って声の主に驚く。
「幸樹!? うわ、久しぶりだな」
「ちょうど一年ぶりくらい?」
「うん、中学卒業してからは会ってないな。ホント久しぶりだ」
中学までずっと同じ地元の学校だった太一は、突然の再会に頬を緩めた。
高校で進学先が別れてからは、互いに忙しいこともあり、ほとんど連絡は取れなくなっていたのだ。
当時気の合う友人として、笑い合っていたのを幸樹は思い出す。
興奮して、声が大きくなるのを抑えられない。
「学校変わると全然会えないもんなー。でも今日は何で、ここ歩いてんだ? 駅からお前んちだと反対方向だろ」
「この春休みに、幸樹の学校の近くにある塾に通ってんだ。それで、今がその塾からの帰り」
「へー、がんばってんだな」
成り行き上、一緒に話しながら帰ることになる。
太一のほうが若干背が低いため、幸樹は少しだけ見下ろす形になる。
外で運動している自分に比べ、視線の下にある太一は遥かにさらさらした黒髪で、運動系の部活には入ってないんだなと感じる。
運動系に入ってると、嫌でも外の風や光が頭に降りかかるので、髪の毛は自分みたいにざらつくからだ。
「学校は楽しいか? この辺からあの学校行ったのってお前だけだろ」
少しおっとりしているが、頭の回る彼なら嫌われることはないだろうと思い、聞いてみる。
しかし、聞いた瞬間戸惑ったように太一の目が揺れた。
「ん、ああ、楽しいよ。部活は入ってないけど、クラスの皆とは仲良いし。それより、お前こそどうなんだよ? 山っちとかさーちゃんとか元気にしてるか?」
話をそらしたいのか、中学三年生時の同級生の名前を出して聞き返してくる。
「おう、皆元気だぜ。なんとびっくり、またまた同じクラスになったんだけどよ」
「マジかよ。腐れ縁にも程があるって」
「山っちなんか、俺四年連続一緒」
「それってディスティニー?」
「ちょっと古いって、その台詞」
「あ、やっぱり?」
何となく聞いてはいけないことなのかと察して、幸樹は彼の会話に乗った。
いじめられているような感じでもない。
中学の時、他クラスでいじめがあったが、当時被害にあっていた生徒の顔と今の太一の顔の雰囲気は何となく違う。
しかし、悩みを持っていることは確実だと思う。
幼馴染が一瞬見せた陰りは、今まで見たことの無いものだ。
高校で何かあったのか。
いじめでないなら、一体何が。
表面上は時に腹を抱えて笑いながら、心の中ではどうやってその事を聞き出そうかと考えをめぐらす。
そして、いつの間にか数メールにまで近づいていた橋の下を見て、あそこに着いたら思い切って聞いてみようと決意した。
くよくよ考えるより、正面から聞いたほうが早い。
太一とは違い、そこまで自分は気の利いた台詞を言えるタチではないのだ。
それに誠実な態度で聞けば、答えてくれるはず。
だって自分達は幼馴染なのだから。
高校が変わったくらいで、疎遠になろうとも、信頼までが薄らぐことはないと信じたい。
心中、そう願っていると、隣で太一が空を見上げた。
「……やべ、雨降ってきたんじゃないのか、これ」
「え?」
太一の手のひらに落ちた水滴を見て、彼も天を仰ぐ。
すぐに、幸樹の顔にも冷たいものが当たって、しまったと思う。
太一のことに意識がいっていたため、雨が降りそうなことをすっかり忘れていた。
「なあ太一、傘持ってるか」
「いや、忘れてきた。お前は?」
「俺も忘れた」
その瞬間、全身を叩きつける雨が一気に降り出した。
どこか遠くのほうで、雷の閃光もきらめく。
予報通りの夕立だ。
バケツをひっくり返したかのような勢いに、二人は慌てる。
「おい、あそこの橋の下まで走るぞ!」
「ああ」
同意と共に走り出す。
幸樹のほうが足が速かったので、太一の背中を片手で押す。
触れた手のひらから、じんわりと体温が伝わる。
そんな彼の肩が存外薄く細いことに気付いて、何故か幸樹は、内心むず痒いものがシミのように広がった。