1-7
王都ガードは気持ちのよい秋晴れが続いていた。
牧歌的な青空が広がり、鮮烈な日差しが、おとなしく佇む煉瓦の建物に活力を与える。
時刻は昼前で、裏通りにあたる場所でも生活感があふれている。かちゃかちゃと騒がしい食事の支度の音、人の話し声、遠くからは馬蹄が地面を叩く固い音が聞こえてくる。
マユラとクリスファーはザンデ地区の五番街道路を歩いていた。クリスファーは仮面とコート姿で先頭を行き、少し離れてマユラとライが続く。ライはマユラの服の裾に手をやって歩きながら、珍しそうに周囲を見回している。ライに合わせて歩みは遅い。
猫耳としっぽを生やした半獣人の男女が軽やかな足取りで三人を抜いていく。
道路の前方からは、背中に荷台をくくりつけられた飴色の甲羅の亀が、のっそのっそと荷物を運んでくる。
「マユねーちゃ、あれなーに?」
「あれはですね、亀車ですよ。荷物を運ぶお仕事をしているんです」
亀車は馬よりも重い荷物を運べるため、引っ越しによく使われる。
亀車の手綱を握る御者はソーサリーと呼ばれる能力者で、彼らは生き物と意思疎通ができる力を生かして、運搬業をやっていた。マユラは一度、ソーサリーの操るヒッポグリフが空を駆ける姿を見たことがある。
ライはすれ違った後も振り返って、興味津々に亀車を見ていた。
「じゃ、あっちのあれ、なーに? あれ!」
しかし、さすがは子供、あっという間に次の興味対象を見つけたようだ。
「どれですか」
ライの指差す方向を見つめたマユラは、訝しげに眉をひそめる。
小さな指が示す空中には、よくわからないもじゃもじゃの毛玉が浮かんでいた。大きさはパーをつくった手くらい。外見はまさに毛糸玉としか言いようがない黒い物体だ。むしろこちらが正体を聞きたい。
「うーん、何でしょうか? 空中に漂うおっさんの鬘、じゃありませんよね……」
しかし、頭にある知識と照らし合わせても、おっさんの鬘以上に的確な表現が思いつかなかった。前を歩くクリスファーが立ち止って、そんなマユラを呆れたように見る。
「君は何を言っているんだ。それはクリッターだ。普段はもっと高所にいるんだが、こんなところで見かけるなんて珍しいね」
「クリッターですか。目が三つあります?」
「クリッターは不確定な要素が多いモンスターで、たしか形も決まっていない」
マユラが想像した茶色い生き物とはまた違うようだ。
「ライ君、あれは禿げたおっさんの鬘みたいなクリッターらしいです」
ライは目を真ん丸にしてクリッターを眺め、きゃいきゃいと声をあげる。
「カツラクリィー? ライ、カツラクリィー好き! 黒くて面白いの!」
変な名称を植え付けてしまったようだが、気にしないことにする。
「どれだけ鬘に見えるんだ。はあ。……クリッターは最近まで、UMAだと思われていた生物だ。UMAは知っているか?」
「ユクシー、エムリット、アグノムでしょう」
学校でクラスメイトが話しているのを聞いたことがあったので、得意気に答える。だがクリスファーはなんだそれはと言いたげな顔をした。つまるところ不正解らしい。
「ユナイデンテファイド・ミステリアス・アニマル……目撃情報があるだけで存在が確認されていない生物のことだよ」
「はあ」
「たとえばイエティ。雪山に生息する二足歩行の類人猿なんだけどね、近隣の住民からの目撃情報や鳴き声や足音など、見聞きした人も多いんだけど、その存在は確認されていない。それもそのはずで、調査団や懐疑派のアーリー・ベルクスは、登山家達が資金源を得るために故意にイエティを未確認生物に仕立て上げていたとの結論を出した。未確認生物の全てが嘘とは思わないけど、その可能性が高い」
(私からすれば、この世界そのものが懐疑的なんですけどね)
ここはマユラからすれば未確認生物であふれている。悪魔も雷獣も、吸血鬼も、グールも、確かな存在感を持っているくせ、どこか空想的な気もする。それはマユラが十六年間そうした生き物に触れてこなかったからだ。例えば、再婚相手をこれからお父さんになる人だと言われた子供のように、根本に漂う違和感をぬぐえない。だから、あまり考えないようにする。考えたって、仕方がないから。
「へえー、そうなんですか。勉強になりました」
聞き流す口調のマユラに、クリスファーもしつこく説明を重ねることもなかった。
数分ほど歩いて、三人は目的地であるザンデ地区の入り口へ着いた。ライの母親であろう女性と出会った場所だ。
「犯人は現場に戻ると言いますが、さすがにいませんね」
廃れた雰囲気の通りには人気がなく、まだ夜明けの静かさを保っている。
マユラとクリスファーはライを預かることになったが、ずっとこのままというわけにはいかない。早いところ、ライの母親らしい女性を見つけて、事情を聞かねば。そう思ってライの母親と会った場所に来たが、何の手掛かりもない。簡単にはいかないようだ。
次は公園に向かおうと歩きかけたマユラを、クリスファーが手で制した。無骨な仮面の下の瞳は、真っ直ぐに建物の影に向けられている。
「何の用だ?」
クリスファーは警戒をにじませて、低い声で問いかける。
(ほう? 本当に現場に戻っちゃっているんですか。だったら楽でいいのですが、ま、世の中そんなにうまくいきませんよね)
こんな状況に慣れていないマユラにさえ、ぴりぴりとした緊張感が伝わってくる。ライが不安そうに手をやってきて、マユラは小さな手をぎゅっと握ってやる。
「正体を表せ!」
ざ、と靴がこすれる音がした。
建物の影から姿を見せたのは背の高い男だった。全身を黒い衣に包んでおり、顔を隠している。一目で異様だとわかる姿。マユラはそっとライを引き寄せる。
「それをこちらへ返せ。お前達の物ではないはずだ」
黒い衣の男は、淡々と告げた。
「断る」
クリスファーは間髪入れずに答える。
男は隙なく佇んだまま、じっとこちらの様子を窺っている。
両者の間に不穏な気配が漂っているのを感じて、マユラはじっと二人へ視線を走らせた。黒い衣の男は顔を隠していて何考えているのかわからない。クリスファーは仮面のせいで表情がわからない。
(結論は、何もわからない、ですね)
導き出された答えに内心で肩をすくめるマユラだった。そんな彼女に、ライが不安気な視線を送ってくる。マユラはにっこりと安心させるような笑みを浮かべる。
「大丈夫ですよ。最近物騒な世の中になりましたが、さすがに白昼堂々と襲い掛かってくる異常者なんていま――」
言葉の途中で黒い衣の男が動いた。
衣に手をやって、何かをこちらに投げてくる。
銀色のきらめき――こちら狙った銀の切っ先は、クリスファーが素早く抜いた護身用の短剣に叩き落される。重い音を立てて地面に転がったのは、小さな銀のナイフ。
確かに向けられた凶器を確認して、マユラの顔から血の気が引いた。
(いましたね異常者! どうなっているんですかこの世界の治安っ!)
黒い衣の男は軽い身のこなしで背後に下がり、ふたたびナイフを投擲した。クリスファーが飛んでくるナイフを短剣で弾いて男へ肉薄する。突き刺すように繰り出された短剣が男の右腕をかすめた。男の手からナイフが落ちる。そのまま攻撃を続けようとしたクリスファーがはっとした顔で大きく後退する。――だが、遅い。男の靴先がクリスファーの手をかすめる。地面に鮮血が飛んで、マユラは初めて男の靴先につけられた仕込み針に気づく。
舌打ちしたクリスファーが短剣をしまって、高らかに手をあげる。
「顕現せよ紫暗の煙、結界よ、四方に立ちて阻み拒め!」
こちらに飛び掛かってきた男が見えない壁に遮られたように動きを止めた。口惜しげに曲げられた唇。しかしその表情もまた、濃い紫色の煙に阻まれて見えなくなる。
目を瞬かせながら成り行きを見守っていたマユラの手を、力強い手が掴んだ。クリスファーはマユラの手を握ったまま、無言で足を進める。
彼が向かうのは事務所と別の方向で、どんどん通りを外れて人気のない場所へ向かっていく。マユラはライを抱き上げて、早足で歩く。
「クリスファーさん、どこへ行くつもりですか……?」
「あいつが本気で僕達を探すなら、事務所はじきに見つかるだろう。リリィにも、しばらく近づかないように言っておいたほうがいいな」
どうやら、とんでもない厄介事に巻き込まれたようだ。黒い衣の男は何かを渡せと言っていた。それは――ライである可能性が高い。
何かきな臭い気配がした。ただの育児放棄ではなさそうだ。
しかし、マユラが考えたところで、今の段階では名案も浮かばない。今はただ、黙ってクリスファーに従っているべきか。
そのクリスファーは口を堅く引き結んだまま裏路地を進んでいく。
どこの地区かわからないが、右手に小さな水路が見えた。その向こうにはレンガ造りの住宅が並び、寂れた景色に色を加えている。