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1-6

 夜が明け、弱々しい朝日が路地裏のカウンセラー事務所に差し込む。

 マユラは眠気眼を擦りつつ、棚から出した角砂糖の瓶詰を机へ置いた。備え付けのキッチンに移動し、湯気を立てるティーポットから紅茶をそそる。手元からふんわりと白い湯気が上がり、薄暗い事務所の中を、あたたかな香りが満たした。

「マユラ先生、ご近所さんのお子さんを預かったんですか?」

 紅茶のカップを来客のリリィへ差し出しながら、マユラは何気なく答える。

「そーなんですよ。モンスターの子供なんて経験なくて、どう扱えばいいのかちんぷんかんぷん状態です」

 依頼人の事情を勝手に話すわけにもいかず、幼子のことを、マユラは顔見知りから預かった子供だと説明した。昨日の幼子は、椅子を二つくっつけた簡易ベッドで眠っている。リリィはあどけない天使のような寝顔を眺めて、小さく笑みを零した。

「可愛らしい子供ですわね」

 そう言われると否定できず、マユラは曖昧に頷く。それからドアの傍の壁にもたれかかっている青年へ目をやった。

「リリィさんが来るのはいいんですけど、どうして彼もついてきちゃっているんです?」

「……悪かったな、邪魔者で」

 ナンパ男でグールの青年は、そっけない口調で呟く。よく考えてみると、モンスターの子供を預かることになった一因は彼で、自然と風当たりもきつくなる。

「邪魔だなんて言っていませんよ。思っただけです」

 さらりと毒づくマユラに、事情を知らないリリィは目を丸くした。

「マユラ先生、ハデスさんは巡り合わせが悪かっただけで、本当はとてもいいグールなんですのよ」

「いいグールですか。というかハデスって名前なんですね、彼」

 紅茶に砂糖を落としながらリリィへ目をやると、彼女はにっこりと頷いた。

「グールにはゾンビのイメージがあるかもしれませんが、違うんですのよ。ハデスさんは臭くもないですし、腐ってもないですし、とても新鮮です。しかも冷たすぎないで、ほのかなぬくもりを感じることができる……きっと寝心地もいいグールですわ」

「なんですかその冷蔵庫みたいな宣伝」

 グールの寝心地って、添い寝でもするんでしょうかと淡泊に思いながら、マユラは机に頬杖をついてカップを持ち上げた。リリィは説明が下手だ。微妙に何かがずれている。新鮮で寝心地がいいグールは、果たして本当にいいグールなんだろうか。

 とりとめない疑問が頭を巡っていた時、事務所の扉が開いてクリスファーが入ってきた。

「とりあえず、離乳食を買ってきた。雷獣の子供なら、人間と同じものでもいいはずだ」

 クリスファーは両手に下げた買い物袋を空いているソファへ置く。マユラが中を覗いてみると、箱に入った製品やら缶ミルクやら、赤ちゃん用の食べ物が多い。お金がどこにあったのか気になるが、それを聞くのは野暮というものだろう。

「その子、雷獣なんですね。雷獣って何ですか?」

「非常に珍しい、神獣だ。普段は雲界に住んでいて、稀に雷と一緒に落ちてくるから雷獣と呼ばれている。雷獣の子供は大きな猫のような姿らしいが……」

 仮面を外すクリスファーから、眠る幼子へと視線を移す。額に角があるとはいえ、それ以外は人間の子供と変わらない。本当に雷獣なのだろうか。

 無言のマユラから疑問を感じ取ったのか、クリスファーが首を傾げて幼子を覗き込んだ。

「人の姿もとれるんじゃないか? 多分」

「クリスファーさんも、案外およそですね」

 ヴァレナには膨大な種類のモンスター種族がいる。たかだか男女の差しかない人間ですら、様々な性格や特徴があるのだ。モンスターにも個性があるのかもしれない。

 考えてもわからないことは考えない主義のマユラは、疑問を深い思考の海に沈めた。ついでに浮き上がってこないように漬物石をのせておく。

 だが、現実は逃避を許さない。マユラの視線の先で、幼子が身じろぎして、薄く目を開ける。

「……う? マーマ?」

 ぼんやりとした金の瞳が、窓から注ぐ陽光を受けて眩しそうに細められる。まだ眠そうだが目が覚めたらしい。マユラは隣に立つクリスファーを肘で突っつく。

「クリスファーさん、子供が起きましたよ。早く何か言ってください」

「いや、それは君の役目だろう。助手だから」

「職権乱用で訴えますよ」

「なっ……別に乱用なんてしていない! これは正当な――」

 唐突にクリスファーが言葉を切った。彼の視線を追うと、言い争う声で本格的に目が覚めたのか、ベッドに起きあがった幼子が不思議そうに周囲を見回していた。

「う? うぅう……マーマ? マーマ?」

 どうすればいいのかわからなくて、マユラは動けない。人間の子供ならまだしもモンスターの子供だ。雷獣なんて種族がいることすら知らなかったマユラに、その赤ん坊の世話ができるはずない。ほんの少しの期待を込めてクリスファーをちら見するが、先ほどの態度から予想できる通り、彼もうろたえたように固まっていた。

(どうしろっていうんですか! もうっ)

 マユラの内心の焦りを、天の神が哀れに思ったのか、その時、役に立たないカウンセラーの二人を差し置いて、リリィが幼子を抱きあげた。

「マーマは、今はちょっとお出かけしていないですけど、すぐに帰ってきますわ」

「マーマ、おでかけ?」

 にっこりと微笑むリリィを見上げて、幼子がこてんと首をかしげる。横から見たマユラは、真ん丸な金の瞳がぱちぱちと瞬いて、真っ直ぐな疑問をぶつけてくるのを感じた。まさか、あなたはママに捨てられたんですよ、と言うわけにもいかず、マユラは突っ立ったまま成り行きを眺める。胸の内でリリィへ感謝するのも忘れない。

「ぼく、お名前は?」

 リリィの雰囲気から優しい人だと感じたのか、幼子がおずおずと口を開く。

「……ライ、だよ」

 リリィは一層笑みを深めて、抱きかかえたライの頭を撫でる。手慣れた仕草とおっとりした雰囲気が相まって、日本の保育士さんを思い起こさせた。マユラにとって故郷はもはや懐かしい夢幻の彼方で、別段、郷愁に駆られることもない。

「ライ君、といいますのね。ライ君のマーマは少しお出かけで、マーマが帰ってくるまでの間、ライ君はこのおうちでお世話になりますのよ。あちらの金髪の男の人がクリスファーさんで、黒髪の女性がマユラさん。二人がしばらく、ライ君の家族になりますわ」

 ここは挨拶するべきかと横目でクリスファーの様子を窺うと、彼は現状逃避するように窓の外へ顔を向けていて、マユラは軽く苛立った。視線に気づいて振り返ったクリスファーに、これからどうするつもりですかと無言の疑問を送る。するとお手上げだと肩をすくめる仕草が返ってくる。これは期待できない。ため息をつきたい気分になった。

 壁に寄りかかったままのハデスは、二人の様子とリリィとを見比べて、不審そうな顔をしている。何かわけありと悟られたのかもしれない。

 一方、期間不明で事務所へ預けられることになったライは、リリィの言葉を咀嚼するように目を白黒させていた。

(そりゃ、いきなり母親から離されて知らない人が家族なんて、受け入れられませんよね)

 マユラの心配をよそに、ライは大きく頷いた。それからリリィに降ろしてもらって、頼りない足取りでこちらへ近づき、大きな瞳で見上げてくる。

「よろしくおねがいします。マユねーちゃ、クリスにーちゃ」

 ぱっと光が溢れる笑顔に、クリスファーもマユラも毒気を抜かれてしまう。子供の笑顔には勝てないという言葉の意味が、少しわかる気がする。顔全体を使って笑う無邪気な表情には悪意も作り物の気配もみじんもなく、一心にこちらを信頼してくれている。これで邪険にできる人がいるならば――いやいない。そんな考えが湧き上がる。

(それにしてもずいぶんと物わかりがいい子ですね)

 戸惑いは依然としてあったが、クリスファーもマユラもライと目線を合して、それぞれ、ぎごちなさの残る笑みと形だけの笑みを浮かべた。

「あ、ああ。よろしく」

「よろしくお願いします」

 こうして金欠の事務所に新たなメンバーが加わった。あの女性も養育費くらい置いていってくれればよかったのに、と思ったマユラだがもちろん口にしないだけの良識はあった。

 ついでに、ライの食事の世話をしようと離乳食を出してくるリリィと違って、立ったままの男二人に役に立たないですねと思うが、口に出して突っ込むのもやめておいた。

 遺憾なことに、自分もそうだからである。

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