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ザンデ地区は人とその他の種族の割合が半々で、自治が強く、ヴァレナ王国を縮小したような地区になっている。貴族会合や警察本部、対人外防衛機関もあるが、居住区が多く食料品や日常品の店が目立つ。モンスター・カウンセラーの事務所は、ザンデ区の裏道にあった。外装はおとなしい灰色で、三階建の二階の部屋を借りている。上下にも住んでいる人がいるらしいが、未だにその姿を見たことはない。
事務所へ入り、応接間のソファに腰を下ろすと、マユラはクリスファーへ目をやった。
「クリスファーさん、本気なんですか? モンスターの人質交換なんて怪しい仕事」
ハンガーにコートをかけながら、クリスファーが口の端で笑う。
「その口ぶりからすると、君は反対なんだね」
「犯罪者になるなんて嫌ですよ」
どこの人質なのか知らないが、もし犯罪者グループ関係だった場合、係わっただけで犯罪に巻き込まれる可能性もある。最悪、警察に捕まるかもしれない。保身じみた不安を口にするマユラに、クリスファーは仮面を外して正面のソファに座った。どこか老獪さを感じさせる緑色の瞳がじっとマユラを見つめる。
「僕は立会人をするなんて一言も言ってないよ。依頼を引き受けた振りして、人質交換の現場に駆けつける。それから隙を見て警察に通報するのさ。モンスター・カウンセラーとしてはそのほうが正しいだろう?」
マユラは肩をすくめた。マユラとしては、面倒事は聞かなかったことしてスルーしたいのだが……。雇い主がこれではそんなわけにはいくまい。
「そう、うまくいきますかね」
「やるしかないな。綱渡りは得意だろう?」
緑の目を輝かせて、悪戯っぽく問いかけるクリスファーに、マユラは曖昧に首を傾げた。仮面を外したクリスファーは大人とは言えず、だからあんなダサい仮面をかぶって外を歩いているのかと、どうでもいいことが思い浮かぶ。
(あーあ、就職誤りましたかね。この世界にも慣れましたし、そろそろ転職しましょうか?)
投げやりな思いがわいてくるが、本気ではないことは自分でもわかっている。
結局なところ、マユラは今の環境が好きなのだ。
森林公園は小さな山の麓にあり、民の憩いの場として使われている。山には多くの魔物種族が住んでいて、彼らが下山して一服する様子も見られるらしい。しかし、それは明るいうちに限ってで、夜になると公園は閉鎖されて立ち入り禁止になる。
マユラとクリスファーは立ち入り禁止の看板がかかった鉄柵を乗り越えて、夜の公園へ足を踏み入れた。カンテラの光の先に、宵闇に抱かれて佇む遊具。辺りはしんと静まり返っていて、二人が砂利を踏む音がやけに大きく聞こえた。
「妙に静かだな」
「時間は正確なはずですけどね」
公園の時計は三時前を指している。依頼人の女性はここで人質交換が行われると言ったが、そんな気配はない。二人は周囲を警戒しながら、散歩道を山の方角へ進んでいく。
いつまでたっても声の一つも聞こえないどころか、生き物の気配すらない。
道は次第になだらかな坂道になっていき、周囲にも木々が増えてくる。秋まじりの冷たい風に触れられて、葉が寒そうに身を擦らせる。
外灯の間隔が広くなり、散歩道に砂利が混じり始めた頃、マユラは足を止めた。
「もう帰りませんか? あの人、日時を勘違いしていたんですよ、きっと」
「そうは見えなかったと思うけどね。あの女性は真剣だった」
クリスファーは構わず進み、マユラは仕方なく彼に続く。山の入り口が目前に迫ったところでわき道にそれた。そこにある開けた休憩所が、森林公園の最奥だ。
マユラは、くたびれかけた屋根がついた木のベンチに、白い毛布にくるまれた幼子が眠っているのに気づいた。警戒しながら近づくが、誰も出てくる様子はない。
クリスファーとマユラは眠る幼子を覗き込んだ。年齢は二歳くらい。癖の強い金の髪に、ふっくらとした丸い頬。すやすやと眠る表情はあどけない。だが、幼子の額には小さな白い角が生えている。
「モンスターの子供?」
マユラは幼子の傍に、折りたたんだ紙のメモを見つけた。
拾い上げて覗き込んで、渋面になってクリスファーへメモを渡す。
『モンスター・カウンセラーさん、しばらくの間この子をお願いします』
綺麗に整った字で書かれたメモ。この子とはまぎれもなく幼子を示している。
さすがのクリスファーもメモを見つめたまま、言葉が紡げないでいた。
マユラは小さく嘆息する。
(まさかの育児放棄ですか……!)
あの女性にまんまと嵌められたのだ。この場所で行われる人質交換なんて、ただのでっちあげだろう。すべてはこの幼子を預けるために仕組んだもの。
愕然とする二人をよそに、幼子は、この世に何の心配もないかのような表情で、ゆるやかな微睡に抱かれていた。