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悪魔はもうすでに、ペンライトから興味を失くしたようだ。代わりとばかりに、ハデスが眉をひそめた。
「なんなんだ、それ……?」
マユラは肩をすくめる。
「ただの照明器具ですよ」
問題はこれからだ、とクリスファーは考える。マユラが来たとはいえ、状況は依然として厳しいままだ。
悪魔は憐れむようにこちらを見てくる。
「人間が何人束になろうと無駄だ」
彼の言葉は正しいのだろう。クリスファーはエクソシストとしては半人前で、ハデスはグールで警察官だが戦う技術はそれほどでもない。マユラは一般人で、リリィも争いとは無縁の性格だ。そして、ハデスは怪我をしている。
打つ手はない。
だけど不思議と諦める気にはならなかった。
背中から、少女の細い声が届く。
「クリスファーさん、あとは正直、私が手伝えることはありません。戦力としては役に立ちませんし、応援しても邪魔なだけでしょう?」
少女の声は耳に心地よく、クリスファーの体の底から力を呼び起こす。
「ああ。マユラは下がっていてくれ」
「全力で守ってください。あなたを信頼します」
クリスファーはその言葉の重みを理解する。マユラは、信頼という言葉を簡単には使わない。口にすることを恐れていたふしさえあった。彼女が言葉を口にするなら、自分も全力を惜しまない。限界の、さらに上を、出し切る。
クリスファーの周囲に、彼を守るように紫色の煙が立ち上がる。
悪魔はブライアンの剣を手にして、クリスファーへきりかかってきた。
「無駄だ! 人間に私は止められぬ!」
「止めて見せる。人間を舐めるな!」
ブライアンの一撃を、クリスファーは正面から受け止めた。白銀の剣の勢いを、紫色の煙を纏わせて威力を殺し、自らの剣で弾いて見せる。
悪魔の体勢が、初めて揺らいだ。
そこへ第二撃が打ち下ろされる。
「俺を忘れてもらっては困るな?」
ハデスの警棒が身を捻った悪魔の左腕をかすめる。
悪魔が彼へ対処するより早く、クリスファーが足を踏み込んだ。
「リリねーちゃ? どうしたの?」
唐突に場を揺らがしたのは幼子の声。
屋敷の扉から外へ出てきたライに、クリスファーもハデスも、一瞬、気を取られた。悪魔が生気を得たように、幼い雷獣へと向かう。
遅れてクリスファーが走った。
だけど、間に合わない。
「まだまだ動きが甘いな」
幼子を殺そうとした悪魔の体が――横合いからの攻撃に吹っ飛ばされた。
当然とばかりに立つ乱入者は、冷たく倒れ伏した悪魔を見下ろした。
クリスファーは知らずに顔をしかめて乱入者を見る。
「何をしに来た?」
固い声で問いかけると、乱入者――コルター・スティーヴンスは厳格な表情で告げる。
彼の視線は、悪魔から離れていない。
「無論、仕事に決まっている。一撃が軽いな、動きで翻弄しろ。相手の目を見て動きを予測しろ。戦いに工夫が出来ないなら、後ろに下がって援護しろ」
冷徹な言葉にクリスファーが返す言葉もなく、彼に従う。
「紫煙よ、捉え阻め!」
起きあがってコルターへ剣を振り上げた悪魔が、足を取られて動きを鈍らせた。
その隙を逃さず、コルターは悪魔の剣を叩き飛ばした。
武器を失くし、悪魔は苦々しげにコルターを見る。
「どうしてこの場所に貴様がいる?」
コルターは元友人の服装をした悪魔に、無表情に答える。
「そんなことはどうでもいいだろう。それよりも自分の心配をしろ」
それからはコルターと悪魔との一騎打ちが始まった。武器の有無を差し置いても実力はコルターのほうが上だった。悪魔は防戦一方で、次第に押されていく。
クリスファーは入り口にいるライに近づいた。
「ライ! こいつは君の父親を殺した。奴を許すか許さないか、君が決めろ!」
ライが、目を真ん丸にしてクリスファーを見上げる。
「え?」
漏れ出たつぶやきとは裏腹に、彼は言葉の意味をきちんと理解しているだろう。
クリスファーの行動に、異を唱える声もあった。
「ぶざけるな! ライはまだ幼い子供だぞ? 何を考えている?」
いつの間にか来ていたヴィクトールが、難しい顔でこちらを見ている。クリスファーも、迷いがないわけではなかった。だけど、ライに聞くべきだとも思う。
許すか、許さないか、難しくても、彼が判断すべきことだ。
ライはクリスファーを見て微笑んだ。ぎごちない笑みだった。
「ライは許すよ、クリスにーちゃ」
幼子は、そう選択した。
クリスファーは頷き、コルターへと雷獣の弾丸を投げた。受け取ったコルターは、かすかに眉をひそめた。
「父さん、あの技を使ってくれ!」
コルターの口元が、嫌そうに曲がる。
「指図はするな」
そして彼は小さく呪を呟いた。ここまでは聞こえてこないが、瞬間、世界が白く染まる。
ぼんやりとした空気の中で、その場にいたものたちは、浮かび上がった幻を目にした。マユラが小さく呟く。
「これは……ライ君のお父さんですか?」
目の前には小さな家の室内が広がっており、そこに金髪の男性が立っていた。二十代の後半あたりだろうか。がっちりとした体つきの彼は、白く輝く一本の角を持っている。
彼は、正面に立つ女性へと声をかける。
『ベロニカ、ライを頼む』
言われたのは、見覚えのある女性――ライの母親だ。
彼女は首を振って、夫の腕に取りすがった。
『あなたも一緒に逃げましょう。でないと、私……』
『大丈夫だ。我々は共にいる。ずっと、ここにいる』
彼女を優しく話すと、ライの父親は自分の胸に手をやり、それから部屋の奥を見据えた。そこにはリリィの屋敷にいた男性の姿があった。
『二人を守ってやってくれ』
ライの父親の言葉に、彼は深く頭を下げる。
彼とベロニカの二人の足音が遠ざかり、しばらくしてから、一つの足音が近づいてくる。落ち着いた足取りが、不気味さを孕んでいる。
廊下から室内へきたのは、白衣の男性――ブライアン。
悪魔の力を奥に見せた彼を見止め、ライの父親は小さく笑う。
『ライ、ベロニカ。お前たち二人を愛している。……幸せになってくれ』




