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ライとヴィクトールをリリィの屋敷へ残して、マユラとクリスファーは夜の街を歩いていく。目的地は、ザンデ地区にあるアプリコットという店だ。
地下に造られた店の扉を開けてみると、いつものように受付にライオン頭が座っていた。彼はちょうど腰をあげた所で、入ってきたクリスファーとマユラを見て目を丸くする。
「おいおい、遅くねえか? もうエギュトの演説が始まるところだぜ。オレも今、鍵をかけようとしていたところだ。さあ、どいたどいた」
ライオン頭はずがずがと近づいてきて、扉に鍵をかけた。そのまま会場に向かって行く彼の後を追いかける。
広間になっている店には、多くのモンスター達がいる。そして簡素な台に、今まさにエギュトが近づいたところだった。
台に立った彼はゆっくりとモンスターを見回すと、静かに口を開く。
「もはや、エクソシストと話し合う道は残されてはいない。奴らは我々のことなど考えてはくれない。このままでは、自然公園が潰されてしまう」
特に大きくもない声は、自然とよく通った。薄暗い照明の下で、モンスター達は固唾をのんで彼の言葉を待っている。
「人間たちに、自然公園を破壊させるわけにはいかない」
はっきりとした宣言に、同意の言葉が続く。
「その前に、エクソシストのやつらに目に物見せてやろうぜ!」
「モンスターの権利を主張するんだ! そうだろエギュト!」
腕を振り上げたモンスターに頷きながら、しかしエギュトは決定的な言葉は話さない。もしかすると、彼は冷静であるがゆえにエクソシスト協会を襲撃したところで、無駄であると悟っているのかもしれない。そんな彼に焦れたのか、ハデスが近づいて囁く。
「エギュト、決断しろ。もうこうなったら、実力行使しかないだろ。俺たちの居場所は俺たちの手で守るんだ」
エギュトの肩に手を置いて真剣な表情をするハデスに、エギュトもまた真面目な眼差しを返して、それからモンスターへと向き直る。
マユラは最前列で彼らを見つめていたが、彼らがマユラに気づく様子はない。それほどモンスターたちは興奮して、言葉を待ちわびている。
もしこのまま、エクソシスト協会の襲撃を決めたなら、会議が始まると同時に建物になだれ込む勢いだ。どちらが勝つにせよ、モンスターと人間の亀裂は決定的になる。
マユラは黙って成り行きを見ていた。彼らが何を選択しようと、自分たちにできることはないだろう。
エギュトが口を開き――彼の言葉を遮る声が上がった。
「待ってくれ!」
マユラの隣から金髪の少年が進み出て、エギュトの前に来た。少年――クリスファーは目を丸くしたエギュトの隣に並んで、モンスターたちを見渡した。
「僕の話を聞いてくれ」
切実な響きに満ちた声は、不思議と会場全体にはっきりと聞こえた。
モンスターの戸惑いを肌に感じながら、マユラは真っ直ぐにクリスファーを見つめていた。心の中にあるのは、信頼と期待。彼ならば自分が出来ないことを……はっきりと気持ちを伝えることを、できる。マユラは固唾をのんで見守った。
先に不信をあらわにしたのはハデスだった。
「何をしにきたんだ、エクソシスト」
敵意に満ちた言葉は会場に響き渡り、モンスターたちがにわかに騒がしくなる。あからさまな不審の瞳でクリスファーを見つめるモンスターや殺気を放つモンスターもいて、会場の空気が一気に重くなったように感じられた。
クリスファーは、嘘で誤魔化したりはしなかった。
はっきりと告げる。
「ああ、彼が言うとおり、確かに僕はエクソシストだ。だけど、同時にモンスター・カウンセラーでもある。だから君たちに協力したいと、心の底から思っている」
クリスファーは一歩下がり、エギュトとハデスと、それから大勢のモンスターたちを前にして語りはじめる。仮面を外し、素顔を晒した彼はどう見ても人間で、そして彼はエクソシストというモンスターの敵で、だけどその言葉は思いやりに満ちていた。
彼は確かにモンスターの味方だと、思える。
マユラは黙ってクリスファーの言葉に耳を傾ける。初めは騒がしかった会場も、だんだんと落ち着いてきた。
クリスファーが真摯な瞳で会場を見渡した。
「今、エクソシストの協会を襲撃したところで、結果は変わらない。自然公園は壊されてしまうし、モンスターと人間との対立は決定的になる。力を行使して押さえつけるのは無駄でしかない。それは、あなたにもわかっているのだろう」
最後の言葉は、エギュトへと投げかける。
リザードマンの男は爬虫類の瞳を細めて、淡々と問いを口にする。
「ただ、君の作戦に乗っていれば我々には不満しか残らない。溜まった不満はやがて敵意へと姿を変える、それでも君は現状を維持したいと?」
「エギュト! こんなやつの話なんて聞く必要はない」
食って掛かるハデスを、エギュトは右手を挙げて制した。
彼の瞳は真っ直ぐにクリスファーを見つめている。ハデスは裏切られたような表情になって唇をかんだが、さらに言葉を重ねたりはしなかった。
クリスファーは堂々とした態度で、エギュトと向き合っている。
「時間さえ稼げれば、ある事実を明らかにできる。そしてそれは、病院の建設をやめさせるのに十分なものだ」
考え込むように口を閉じているエギュト。隣にいるハデスも、睨みこそすれ否定の声は出さなかった。周りのモンスターにも戸惑いが見て取れる。
その時、マユラの斜め後ろから声が聞こえてきた。
「適当なこと言って、俺たちを騙すつもりだろ!」
振り返ってみると、血気盛んな豚頭のオークが鼻息を荒くした。
続いて、数名のモンスターの声が上がる。
「エクソシストの言う事なんて信用できるものか!」
「エギュト! そんな奴に惑わされるな」
どちらにつくべきかわからない状況で、一度、風向きが変われば場はそれに支配される。エクソシストと敵対するか否か、もともと前者の流れだったのもあって、モンスタークラブの会場には殺気が満ち溢れた。
あからさまな敵対の意志を見て、だけどクリスファーは微動だにしなかった。
彼は真っ直ぐにモンスターへ目をやって、不敵な笑みさえ浮かべた。
「雷獣の言葉なら、信じられるか?」
喧騒がぴたりとやんだ。
「雷獣は今、この街に来ている。そして彼は僕の傍にいる」
マユラはきょとんと目を瞬かせた。確かに雷獣であるライは、クリスファーの傍にいる。だけど、それをこの場で宣言したところで、何になるのだろう。
ただ、マユラの周りのモンスター達も戸惑いまじりに口を閉ざした。熱されていた敵意は瞬く間に冷やされ、沈黙が場を支配する。
クリスファーは満足げに目を細めて、右手を挙げた。
「これが証拠だ。僕は雷獣から、言葉を承った。僕はモンスターではないけど、大切な場所を壊される辛さを想像する事はできる。だから、長く待ってくれとは言わない。三日だけ、時間が欲しい」
彼の指に細い弾丸が握られているのは、モンスタークラブの暗い照明の中でもはっきりと確認できる。
マユラには弾丸と雷獣の関係はわからない。だけど、場の空気を変化させるのには十分だったらしく、辺りにざわめきが生まれた。
彼らを制したのは、やはりエギュトだった。
「よかろう」
エギュトが淡々と告げる。
「雷獣様がおっしゃられた言葉ならば、我らは従うしかない」
クリスファーには三日の猶予が与えられることになる。