3-8
望めば、何だって叶えられると思っていた。
努力をすれば、きっと良い結果が得られると考えていた。
失敗しても、やり直せると疑わなかった。
――時刻は、ほんの少し遡る。
雪が降り始めた頃、クリスファーはリリィを連れて、図書館の近くにある喫茶店に来ていた。
彼女に事情を問われて、クリスファーは自分が偽っていた事実をさらけ出した。嘘をついて、騙して、それがばれて見限られた。なんとも滑稽な話だと、クリスファーは内心で苦笑する。
リリィは黙って真面目な顔で聞いていた。話が終わると、真っ直ぐに問いかけてくる。
「それで、どうするつもりですの?」
言葉の意図が読めなくて、クリスファーは目を丸くした。
「どうにもこうにも、君が話せと言ったから、話したんじゃないか」
「わたくしは、そういうことは聞いていませんわ。クリスファーさんは、それで、これからどうするつもりなのかと、伺っているのですわ」
リリィは目をそむけることもなく、じっとこちらを見つめてくる。
「嘘のまま、お終いにしますの?」
真っ直ぐな眼差しに耐え切れなくて、クリスファーは俯いた。
「だって、どうしようもないじゃないか」
自分が何をしてしまったのか、自分が一番わかっている。クリスファーは、モンスタークラブやマユラの信用を裏切った。信頼すべき人に自分を偽り、騙していた。
理由があっても、許される事ではない。
「僕は……モンスター・カウンセラーじゃない。彼らとは、決して相容れぬ存在だから。そんな僕が言葉を重ねたって、無意味だ」
どうしようもない現状を説明していたが、リリィは表情を変えなかった。
「クリスファーさんは、その程度のお人ですの? そんなに諦めがいい人でしたの? マユラさんとクリスファーさんの関係は、そんなに安っぽいものでしたの?」
黙り込むクリスファーに、リリィは胸に手を当てて、必死に伝えようとするように、言葉を重ねた。
「わたくしは、説明が下手とよく言われますので、上手く言えませんが……わたくしはマユラ先生のことを何一つ知りません。それでも……友達だって、思っていますもの。マユラ先生と話すのは楽しいですし、一緒にいると、もっと話したくなりますわ」
「……嘘の魔法は解けてしまった」
「魔法が解けたら、お終いになりますの?」
頷こうとして、だがクリスファーは躊躇った。そのまま首を振るう。
「リリィ、家に帰ったほうがいい。父親が心配するだろう」
話は終わりと言う代わりに伝票を取ると、支払いを終えて彼女を残して立ち去った。喫茶店の外には雪がちらつき始めている。
灰色の空から白い粉のような雪が落ちてくるのは不思議だ。クリスファーは雪の降る石畳をゆっくりと歩いた。灰色から生まれた白は、自分も白く染めてくれるだろうか。灰色の嘘で偽っていた自分を、誠実な人間に変えるのだろうか。
目の前に立ちはだかる影を見て、クリスファーは足を止める。
顔をあげれば、固い顔つきの男性が立っていた。
「モンスター・カウンセラー、探しだぞ。もう鬼ごっこは終わりだ。私と共に来てもらう」
数日ほど前に声をかけてきた男だ。最近、周辺を妙な奴が嗅ぎまわっている気配があったが、彼がそれだろうか。ライを狙った男とは別件だろう。
「誰から頼まれた?」
答えが返ってくるのに期待はしなかったが、男はあっさりと告げる。
「お前の父親だ」
クリスファーは目を瞬いた。
「そんなまさか」
「チッ、嘘を言ってどうする。いいから、こっちにこい」
あの父親が積極的に自分勝手な息子を探そうとするとは思わなかったが、確かに嘘をついているとは考えづらい。父親に頼まれて探していたと言うことは、父はクリスファーを辺境に連れ戻す気だろう。謹慎中とはいえ、クリスファーはかの地に所属するエクソシストだ。
足が一歩、後ろに下がる。体が自然と男性から離れた。
「嫌だ」
そう思う。リリィに言われた言葉を、今になって思い出す。これでお終いでいいのか? ……いいわけがない。
「嫌なんだ。まだ、終わらせない」
クリスファーは男に向き合ったまま、すっと手を挙げた。
「顕現せよ迷宮の入り口、かのものを捉え止めよ!」
言霊は、エクソシストが使える能力だ。異界より人ならぬものを呼び寄せ、様々な現象を発動させる。例えば、前に使った術は、紫雲煙を呼びよせて目隠しにするものだ。今の術は幻花香を召喚する術で、一時的な幻覚効果がある。男性には、目の前に巨大な迷路が立ちはだかったように見えるだろう。
一時的、と言うとおり、それほど長くは持たない。
クリスファーは急いで雪が舞う大通りから離れた。
どこへ行こうか、考えていたわけではない。入り組んだ裏路地を歩きながら、暗くなってきた街並みを眺める。外灯が点灯し始めて、頼りない光で道を照らす。
目的もなく歩いていたのは最初の内だけで、クリスファーの足は、やり直しを求めるようにある一か所へと進んでいた。
ザンデ地区の裏通り。人気のない道に取り残されたように佇む灰色の建物。階段には看板が置かれており、事務所の名前が書いてあった。
モンスター・カウンセラー。
この場所からすべてが始まった。辺境からヴァレナに来たクリスファーは、事務所を借りて新しい事業を起こした。
不安もあったが、それよりも期待のほうが大きかった。今度こそ失敗しないと思ったし、それに……一人ではなかったから。
クリスファーは階段に座り込んで、空を見上げた。裏通りから見えるのはずいぶんと窮屈そうな灰色の空。もうすっかり闇に呑まれて暗く沈んでいる。
相変わらずしんしんと雪が降り続き、辺りを白く染めていく。クリスファーは寒さも忘れて、降り積もる雪を見ていた。
しゃり、と雪を踏む抜く足音が聞こえて、クリスファーは顔を向けた。
真っ黒な傘を差した黒髪の少女が、じっとこちらを見据えた。
「マユラ」
彼女の名前を呼ぶと、彼女はかすかに笑みを浮かべた。彼女が時折、見せることがあった空虚な笑み。寂しそうで、だけどそれに気づいていない、諦めている、そんな表情。
寂しそうに微笑んで、マユラはくるくると傘を回した。
「嘘つきさん、こんにちは。……今は、こんばんはですね」
おどけたように言うが、冷ややかな感情が伝わってきた。
クリスファーは気づけば立ち上がっていた。マユラの傍に行き、少し離れた場所から真っ直ぐに向き合う。
口から出たのはごまかしでも嘘でもなく、本心からの気持ち。
「マユラ、僕の話を聞いてくれないか。嘘じゃない、本当のクリスファー・スティーヴンスという男の話を聞いてほしい。言い訳だってわかっている。それでも、君に伝えたいんだ」