3-5
クリスファーはカウンターで本を借りようとしているようだ。図書館の内部にいるためか、黒い仮面はつけていない。
「申し訳ありませんが、この資料は貸出できないことになっています」
事務的な声で告げられて、クリスファーは面倒臭そうに何かを取り出す。
「これがあればできるだろう」
黒い紋章が入った指輪を見せる。
エギュトとハデスの表情がはっきりと変わった。マユラにも見覚えがある紋章――エクソシストの会合で彼らがしていたものである。もう、決定的だった。
「クリスファーさん」
マユラが声をかけると、クリスファーは勢いよく振り返った。
「クリスファーさんは、ずっと嘘をついていたんですか?」
マユラの傍にはハデスとエギュトがいる。全て見られていたのを悟ったのか、クリスファーは自分の持った指輪へ視線をやる。今更隠したところで意味がない。
クリスファーはいつもの冷静な仮面を脱ぎ捨てていた。あるいは纏えなかったのかもしれない。視線を泳がしたまま、もごもごと告げる。
「マユラ、ここは図書館だ。あまり騒がないほうが……」
そんな言葉を聞きたいわけではなかった。マユラは落胆を隠さずに、後をモンスターに任せた。エギュトはどこまでも落ち着いた様子で、真っ直ぐにクリスファーへ目をやる。
「君は、コルター・スティーヴンスの息子……エクソシストだな」
「……違う」
マユラでさえ、あきらかに嘘だとわかる返答。エギュトは表情を変えなかったが、ハデスは激昂を隠さなかった。
「だったらそれはなんなんだ?」
示すのはクリスファーが持つ指輪。エクソシストの証であるそれを前に、なんの言い訳も意味をなさない。クリスファーが黙ったままなのを受けて、ハデスは厳しい眼差しを向ける。
「お前は、ずっと俺たちを騙していた。さぞ、愉快だっただろうな。人間のくせに!」
クリスファーの頬が色を失くす。彼は何か言おうと口を開いたようだが、言葉は出てこなかった。助けを求めるように視線を向けられたので、マユラは顔をそむける。
どんな言葉を使ったところで、壊れてしまった関係は修復できない。
「俺たちは勝手にやらせてもらう。もう関わってくるな!」
ハデスは背を向けて、乱暴な足取りで出口に向かった。エギュトもやれやれと肩をすくめて後に続く。彼らに、クリスファーが躊躇いがちに声をかけた。
「だが、君たちのやり方では――」
「すまないが、我々は我々のやり方で、進めさせてもらおう」
エギュトはあくまで冷静に――だが有無を言わさない口調で告げて、去っていった。一人残されたマユラは、呆れながらため息をつく。
「嘘なんて、つかなきゃよかったじゃないですか。馬鹿ですね、クリスファーさん」
冷ややかな言葉は本心からのものだった。裏切られた気分は、心を濃い落胆で覆い尽くす。マユラはクリスファーが腹立たしくてならない。彼の嘘は、最低のものだ。
だから、彼を徹底的に傷つけてやろうと思った。マユラの口元に浮かんだ笑みは、どこまでも酷薄だった。
「ねえ、クリスファーさん。偽って、自分がみじめになりませんでしたか? 嘘をついて、嘘が本当になりましたか? なるはずがないですよね。本当まで、嘘になったんでしょう」
クリスファーは無言だった。平静な表情が、マユラにはやけに腹立たしい。
「遊びだったんですか?」
「それは違う」
冷ややかな問いかけには、素早い否定が返ってくる。
マユラは真面目な顔で、真っ直ぐにクリスファーを見つめた。
「だったらどうして、モンスター・カウンセラーなんて始めたんですか。エクソシストは、モンスターを祓う人なんでしょう?」
クリスファーは言葉を探すように口を開いて、しかし、音が紡がれることはなかった。マユラはしばらく待っていたが、だんだん馬鹿らしくなってため息をつく。
「もう、いいですよ」
マユラはくるりと背を向けた。
「さようなら。嘘つきなクリスファーさん」
そのまま振り返ることなく図書館を出る。乱暴な足取りで階段を降りたマユラは、こちらを窺う二組の視線を感じて足を止める。
「あの、マユラ先生……一体何が……」
ライを連れたリリィに声をかけられて、マユラは冷ややかに目を細めた。
「後をつけていたんですか、リリィさん。趣味が悪いですね」
苛立ちを隠さずに毒づくと、リリィはしゅんとしてうなだれた。
「ごめんなさい。マユラ先生やハデスさんが、何をしているのか気になって……」
消え入りそうな声を聞いて、マユラは後ろめたく視線をそむけた。クリスファーへの怒りの感情を、リリィにぶつけてしまった。完全な八つ当たりだ。
笑顔で誤魔化すこともできなくて、マユラは無表情でぺこりと頭を下げた。
「……こちらこそ、乱暴なこと言ってすみません。詳しい話は、図書館の奥にいる嘘つきさんに聞いてください」
リリィには悪いが、事情を話す気にはなれなかった。マユラはライに手を伸ばす。きょとんとした幼子は、状況が呑み込めていないらしい。
「ライ君、行きましょう」
マユラはライを先導するように、手を引いて歩く。石畳の歩道を、若い夫婦が早足で通り過ぎていった。降ってきそう、耳が拾った言葉につられて空を見上げれば、青を厚く覆い尽くす灰色の雲が広がっていた。これは早く帰ったほうがよさそうだ。
無言で足を進めるマユラを、ライは目を広げて不安そうに見上げてくる。
「マユねーちゃ、どうしたの? ハデスにーちゃ、怖い顔してたよ。喧嘩したの?」
「どうなんでしょうね」
「早く、仲直りできればいいのにね」
「難しいんじゃないですか」
余裕がなくて、口からこぼれるのはそっけない言葉だった。ライの不安と戸惑いの気持ちが伝わってきても、何と答えていいのかわからなかった。
(というか、ぶっちゃけ、黙っていてほしいです)
だけど、ライは小さな手でぎゅっとマユラの手を握りしめて、話しかけてくる。
「ハデスにーちゃと一緒に、メルねーちゃをお見舞いするの。それで、仲直り――」
「無理ですよ」
マユラは、はぁとため息をついた。
「メルさんは亡くなりましたから」
「え?」
戸惑う幼子に目をやって、マユラは足を止めた。冷たい風が頬を撫でて、マユラの怒りを鎮めていく。自分が何を言ったのかを悟って、慌てて否定する。
「なんでも、ないです。嘘ですよ。冗談ですよ」
メルのことは、ライに知られたくない。命、というものについて、説明してやる自信がないから。それがどれだけかけがえのないものなのか、わかっていても、マユラは本心から理解できていない。だから、知らない感情には蓋をして、見えない振りをしたかった。
ライは、マユラの嘘などお見通しのように、透きとおった瞳を向けてくる。
そこに映った自分の汚い本性を垣間見た気がして、マユラは知らずの内に目をそらした。石畳を蹄で叩いて、ケンタロウスの男性が忙しそうに駆けていく。通りの向かいの公園では、人間の子供と遊んでいた羽人族の子供を、母親が迎えに来ていた。
誰も彼もが、ささやかなる日常の一コマを進めている。
それなのにマユラは、ぐちゃぐちゃな気持ちを持て余しながら、馬鹿みたいに立ち尽くしている。頭の片隅で、マユラは滑稽ですねと乾いた自虐を考えた。