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―― 第一章 ――


 冷たくなり始めた秋の風が吹き抜けた。

 光の噴水広場から伸びるスネール地区四番街道路は、商店で賑わう中通り。ガス灯が並ぶ歩道を、大勢の人や魔物が行き交っている。周囲に目を向ければ、虹色の粉を散らして飛ぶ小さな妖精や、豹の頭を持った獣人の男。豚頭の荒くれ者のオークの姿を見つけるのも当たり前すぎて、ここへ来てふた月もたてば驚きもない。

「もうっ、本当に情けない話なんですよっ。聞いてくださいマユラ先生!」

「はいはい、聞いていますよ、リリィさん」

 風に遊ばれる黒髪を右手で押さえながら、マユラは隣を歩く少女へ視線をやった。緩やかに波打つ蜂蜜色の髪、深い紅玉の瞳は宝石のごとく不思議な光彩だ。華奢な体を黒いドレスに包んでおり、手には白い日傘。

 人形のように可愛らしい少女は、ぷりぷりと怒っていた。

「お父さまったら、ひどいの!」

「今度は何をされたんですか? 前回はトマトジュースの偽造……でしたよね」

「うぅ、それよりはマシかもしれませんけど」

 リリィは一週間前の事件を思い出したのか目じりを下げて嫌そうに首を振るが、すぐに気を取り直したように拳を振り上げた。

「お父さま、知らない殿方を連れてきたの。人間の殿方よ。道で眠り込んでいたらしくって、少し味見したんですって。それだけでも許しがたいことなのに……おいしいからお前も飲めだなんて、信じられませんわ!」

「それは、いくら吸血鬼でも非常識ですね」

 マユラは小さく肩をすくめた。

 隣を歩きながら身振り手振りで力説する少女も、彼女の父親も吸血鬼だ。

(まあ吸血鬼といっても、地球における吸血鬼とは別かもしれませんが……)

 この世界の吸血鬼は、日光が苦手だが浴びても灰になるわけはなく、ニンニク等、香りのきつい食材も致命的な弱点にはなりえない。

 だが、信仰の力を封じた銀が弱点なのは本当らしい。栄養として血液が必要なのも同じで、ひと月に数滴ほど飲む必要がある。

 リリィは血液が苦手だ。血が流れるのを見ただけで貧血を起こすほどで、そんな彼女が人間の首筋に噛みついて血を啜るなんて、考えるまでもなく無理だろう。

「わたくしだって、情けないし、何とかしないといけないと思っているのですが……」

 しょんぼりと目を伏せるリリィを横目に、マユラはにっこりと微笑んだ。

「リリィさん、最近は凝固した血液を食べられるようになりましたし、前進していますよ」

「そうでしょうか……?」

「ええ。リリィさんのお父様は基本的に四段階ぐらいすっ飛ばしているみたいですから気にしないで、リリィさんは、リリィさんのペースで、ゆっくり克服していきましょう」

 しっかり彼女を見据えて頷くと、リリィはほっとした表情になった。

(とは言ったものの……。こんなものでいいんですかね、クリスファーさん)

 この世界へ来て二か月が過ぎたとはいえ、まだまだわからないことだらけだ。

 日本人の長月真由良がまぎれ込んだ異世界は、ヴァレナと呼ばれる王国。

 大陸の中西部に位置し、象徴としての王が治めている国だ。

 マユラが住んでいるのはヴァレナ国の首都ガード。地球の近世ヨーロッパを連想させる石畳の道路は、多くが車道と歩道にわかれており、建物も石造りが目立つ。首都だけあって下水道も完備され、住みやすい清潔な都市だ。

 この世界には、時折、マユラのように異世界からまぎれ込んでくる人がいるらしい。彼らはお客さんと呼ばれていて、自分の世界の話をしながら、国を渡り歩いているという。

 マユラは自分がお客さんであることは黙って、この世界にまぎれ込んでいた。

 ヴァレナ――全く未知の世界。地球との違いは数あれど、最大の違いは――ここでは、人間とその他の種族が共存していることであろう。

 長年の試行錯誤の上に生まれたという法律には、共存するための最低限のルールが書かれており、表面上は人間も妖精も、魔物ですらも平和に暮らせていた。

 しかし、種族が違えば発生する問題も多く、逆に、それに対処できるものは少ない。

 そこで生まれたのが人外専用の職業だ。

 一般にモンスター業と呼ばれ、その職種も数多くある。有名なのが対人外防衛機関エクソシストだろう。

 マユラの雇い主のクリスファーがはじめた仕事も、モンスター業だ。

 モンスター・カウンセラー。

 文字通りモンスター専門の相談業である。

「あ、ところで、お父様に拉致された殿方はどうされました?」

 話を戻してリリィに問いかければ、彼女は傘を傾けながら、おっとりと教えてくれる。

「彼は翌日に何も覚えていませんでしたので、酔っ払った自分をお父様が介抱してくださったのだと思い込んで、感謝していましたわ」

「うーん、まぬけですね」

「? 何かおっしゃりました?」

 思わず本音が漏れるが、マユラは露にも出さず、涼しい顔で会話を続ける。

「いえ別に。それよりもリリィさん、ブラッド・クッキーもそろそろワンパターンな気がしますので、新作のブラッド・チョコレートを開発したんですが、食べます?」

「まあ! いただきますわ」

 受け取ったリリィはさっそく一つを口に入れた。それから財布を出してお金を払おうとしてくれたが、丁寧に断る。

(まあ、事務所の経営状態を考えれば、受け取ったほうがいいんでしょうが……)

 モンスター・カウンセラー見習いのマユラの顧客はリリィだけだ。そのリリィとも今日のように食べ歩いたり、おしゃべりしたりで、友達の関係になりつつある。

 平たく言えば、モンスター・カウンセラー事務所はもうかっていない。貯金が尽きる前に、顧客を増やすか、大きな依頼を受けるべきだろう。

(クリスファーさんはちゃんと考えているんでしょうか? 就職、早まりましたかね)

 マユラとしては、雨風しのげる家があって給料も貰えているので、今の生活に不満はないが、今後のことを考えると、安定した職場を見つけたほうがいいかもしれない。

 職場や家や金のやりくりに頭を回すことになるなんて、一気に老けた気分だ。嫌そうに顔をしかめたマユラに、隣のリリィがチョコを頬張りながら小さく首を傾けた。

「ねえ君達、暇? 俺とお茶しない?」

 唐突に声をかけられて、マユラとリリィは足を止めた。

 前方の外灯にもたれかかるようにして、銀髪の男が片手をあげていた。額の右上でわけられた髪は丁寧に撫でつけられ、着古しの服とどこかアンバランスだ。

「生憎ですが、食べながら歩く程度に忙しいので結構です」

「そういわずにさ~、いいじゃないか俺の奢りなんだし。あっ! あっちの店で新作のアイスクリームが発売だって。どうかな」

 男が指差したのはアキッドという店。雪女の姉妹の店で、百年の恋も冷めるブリザード・アイスクリーム専門店として、最悪のデートスポットの一つになっている。

「お断りします」

 マユラはアイスクリームと同じくらい冷たい表情で首を振った。

「へぇ、その顔もかわいいね~」

「……付き合ってられませんね。行きましょう、リリィさん」

 リリィを先導して、強引に男のわきを通る。

「ちょっと待っ――ぐっ…………!」

 突然、うめき声をあげて男が倒れ込んだ。マユラは驚いて足を止め、リリィは慌てて男の傍へ膝をつく。男の顔は蒼白を通り越して真っ白で、紫色の唇がやけに鮮明に感じた。

「大丈夫ですかっ?」

「あ、あの黒服の男が!」

 震える指が一点を示す。周囲の人もただ事ではないと思ったのか、ざわざわと騒ぎ始めた。すぐに制服姿の巡査が駆けつけてきた。

「何が起こったんですか?」

「男の方が、急に倒れられたんです。黒服の男にやられたと――」

 その時、周囲のざわめきがにわかに大きくなる。

 リリィが膝をついたまま、驚いた顔で男の倒れた場所に目を向けていた。

 誰もいない。

 確認したマユラは眉をひそめた。死体が消えている。

 巡査だけが、状況を把握できないのか目を瞬かせていた。

「やあやあ、お困りのようだね諸君!」

 その時、喧騒の中から場違いに明るい声があがった。

「しかしこの素晴らしい頭脳を持つ僕が現れたからには、難事件もたちまち解決だ。安心したまえ。ああ、歓迎の拍手はけっこうだよ。君達はただ道を開けてくれればいい」

 彼の言葉を真に受けたわけではないだろうが、自然と人だかりが二つに分かれ、向こうから金髪の少年が歩いてくる。柔らかそうな金の髪は耳にかかる程度の長さで、後ろをちょこんと束ねている。年齢は十六歳くらい、わりと小柄。しかし、目元を隠す黒い無機質な仮面が、彼にどこか固い大人びた印象を与えている。

(クリスファーさん、いつもながらセンスのない仮面ですね)

 彼がマユラの雇い主であるモンスター・カウンセラー事務所の所長、クリスファーだ。相変わらず無駄に目立つ態度で注目された彼は、黒いコートをはためかせながら、余裕を持った足取りでこちらへ来た。

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