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2-4

 病院に戻ってくると、病室の前でライが大人の男と話していた。男は褪せたグレイのコートに、くたびれた帽子をかぶっている。どことなく怪しい立ち振る舞いに思えるが、廊下の奥からは表情が窺えない。

「ライの今のお家はね、こーんなに広くて、大きな舞台があるんだよ」

「ほう、そうか。そこでライ君は、お兄さんとお姉さんと暮らしているんだね」

「うん! それで、今日はマユねーちゃとお出かけなの」

 ライからの話を熱心に聞いていた男だが、マユラが近づいてくるのに気づいたのか、素早くライの手に飴玉を握らせた。

「またね、ライ君。今日はお話しできて楽しかったよ」

 そそくさと逃げる背中からも胡散臭さを感じて、マユラは軽く顔をしかめる。いったい何者だろうか。ライは無邪気に男の背中へ手を振っている。

「誰と話をしていたんですか?」

 ライは顔をあげて、金色の瞳を真ん丸にした。

「知らないおじさん」

 正直な答えに力が抜けるのを感じた。この警戒心の薄さは、いかがなものだろう。異世界の子供はこれが普通なのだろうか。

「危ないですから、知らない人と話しちゃ駄目ですよ」

「えー? でもおじさん、いい人だったよ。ライに飴をくれたの」

「駄目なものは駄目です」

 ただでさえ、ライを狙っている何者かがいる状況だ。用心するに越したことはない。ライは少し頬をふくらませたが、最後にはこくんと頷いてくれた。

 それからマユラは、ハデスと別れてさっさと劇場に戻り、買ってきたパンにハムやチーズを挟んで簡単な夕食を作る。クリスファーは情報集めのために出かけており、まだ帰ってきていなかった。マユラは、エギュトの事をどう話そうかと考えながら、簡素な調理場でスープを温める。持ち帰り可能な店で買ったスープを火にかけるだけの手抜き料理だ。

 ふと、いつまでこういう生活が続くのかと思って、マユラは憂鬱になる。まあ、お金の方はクリスファーが出してくれているので、問題ないが。

(クリスファーさん、どこにあんなに貯め込んでいたんでしょうか)

 マユラに渡されたのは、閑古鳥が鳴くモンスター・カウンセラーにふさわしくない量の金貨で、どこから引っ張り出してきたのか見当もつかない。

 まあ成るように成るだろうと、マユラは湯気の立つスープを掬った。

 遅めの夕食をとってライを寝かしつけた後、マユラはクリスファーに今日の出来事を話した。勝手にモンスター・カウンセラーの名前を出した件については、怒るどころかむしろ褒める勢いで賛成してくれた。

「話し合いの余地があると言う事は、ライを狙った襲撃者はモンスタークラブとは別見だろう。彼の事はひとまず置いておく」

 椅子の背もたれに寄りかかったクリスファーを舞台に腰掛けて見やりながら、マユラは小さく首肯する。襲撃者の正体が気にならないと言えば嘘になるが、マユラはクリスファーの助手だから、彼の意見に従うだけだ。

「それで、今後の行動方針はモンスター・カウンセラーとしてエギュトさんを助ける、ということで、いいでしょうか?」

「うん。モンスタークラブがもし了承したなら、出来る限り力になりたいな。彼らとエクソシストの全面対決を避け、平和的な解決を考えたいが……」

 緑の瞳が迷うように宙をさまよう。

「難しいですか?」

 クリスファーがこちらを向いて頷いた。

「そうだね。今のままでは双方が納得する形で解決できるとは思えない」

 今のままといわれても、ピンとこない。マユラは文字がわからないため、新聞から情報を得られず、聞きかじりの知識では限界があった。

「今の状況って、どうなっています?」

「うん。自然公園を縮小して、モンスターのための病院をつくろうという話が出て、貴族会議で可決されたそうなんだ。だけど、エギュトらモンスタークラブが反対している。自然公園に住むモンスターたちは、自然が壊されるのを嫌っているんだ」

 どうやら建設を巡ってのモンスターと人間の争いらしい。

「病院って、別の場所じゃだめなんですか?」

「そう簡単にはいかない。土地も余っているとは言えないし」

「う~ん、メデューサ病の患者さんも多いらしいですし、病院は必要ですよね」

 これが人間の勝手な……例えば娯楽施設の開発のために自然公園を潰すのならばエギュトらの反対もわかるのだが、今回は違う。モンスターの病院をつくるためなのだ。つまり、反対意見のほうが我儘に思えてしまう。

「まあ、とりあえず僕達は工事を中止させる方法を考えて、あとはまた、いい案が出るまで待とうと思う。なにかしら、方法があると思うから」

 どちらの結論になっても遺恨が残りそうだが、クリスファーは上手く解決させる気らしい。マユラが頭を捻ってみたが、そんな方法は見つからない。

(クリスファーさん、すごいポジティブですね……)

 彼は資料が綴られたファイルを手にして、真剣に解決方法を模索している。根拠もなく一心に行動できる彼を理解できずに、マユラは視線をそらした。座ったまま伸びをして気持ちを切り替える。一瞬だけ空白になった頭の中に、ふと疑問が浮いてきた。

「そういえばクリスファーさん、この前どうやってモンスタークラブに入ったんですか?」

 クラブの名簿には、マユラはもちろんクリスファーの名前もなかった。

 クリスファーは一度だけ気まずそうにマユラを見て、また視線を落とす。

「企業秘密だ。別にかまわないだろう」

「……別にいいですけどね」

 無理に詮索するつもりはない。投げやりに返したマユラは、舞台から腰を下ろして、クリスファーの隣に座った。横目で資料を見るが、相変わらず文字はちっとも読めない。目は自然と載せられている絵や写真へいく。

 クリスファーがぽつりと声を出す。

「それは、エクソシストに退治される悪魔の絵だよ」

 今しがた聞こうとした質問に対する答えが返ってきて、マユラはかすかに肩をすくめる。視線からわかったのだろうが、心を読まれたようで気分が悪い。

 マユラの視線の先には、黒い人型の魔物が描かれている。頬まで避けた口からは牙が覗き、背中には二対の翼。卑しく笑う魔物と、神父が着るような服を身につけた男が相対している。彼の手にはロザリオが握られている。

 クリスファーは淡々と続ける。

「子供に聞かせる物語だ。悪魔は人間だけでなくモンスターにも嫌われているから、そういう風な悪役によく使われている」

「悪魔って、嫌われものなんですか?」

「悪の象徴と言っていい。奴らは人間を惑わし、魂と引き換えに望みをかなえる。悪魔に魂を売った人間は、死後も安息の地へ行けず、永遠に暗闇をさまよう亡者となる。あるいは自身も悪魔となって、人の魂を糧に暗黒の世界で生きるか」

 地球の悪魔がどういう存在なのか、マユラは詳しく覚えていないが、悪魔が願いと引き換えに人の魂を望む物語を、聞いたことがあった。

 ヴァレナでも同じようなものらしい。クリスファーは自分を悪魔だと言っていたが、やはり人の魂が欲しいのだろうか。顔をあげると、緑の瞳は案外近くにあった。マユラはじっとそれを凝視する。クリスファーはすぐに視線をそらす。

「悪魔は、誰からも愛されない存在だ」

 マユラの口元に笑みが浮かぶ。それは自嘲的なものだった。

「愛されないのは、愛がわからないから、かもしれませんね」

「どういうことだ?」

 きょとんとした顔がこちらを見返し、マユラは迷いながら言葉を続ける。

「えっと……等価交換という言葉を知っていますか? あるものを手に入れようとするならば、同等の何かが必要なんです。だから、悪魔が愛されようと思うならば、愛を理解して、誰かを愛さなければいけないのかもしれませんね。……って話です」

 感覚的に呟いたので、自分の考えにも自信がない。何となく気まずさを覚えて、マユラは立ち上がった。マユラの寝室は、一つだけ鍵のついている女優達の控室を使っている。

 もう寝ようと舞台の袖に移動したマユラの背中に、小さな声が届く。

「愛しても、愛されるとは限らないけどね」

 マユラは扉にかけた手を放して振り向く。マユラは、愛を知らないものが他者を愛せるはずがない――そして他者を愛せなければ本当の意味で他者から愛されることはないのだ、という意味で言ったのだが、伝わっていないようだ。

 どちらにしろ、マユラに愛なんてものはわからない。おそらく永遠の課題だろう。

 だけどクリスファーにはわかる。リリィやライやハデスやメルのように、彼も他人を愛することができるのだろう。悪魔なんて言って、ちっともそれらしくないクリスファーに苛立ちが募った。

 だから少しの悪意を込めて、マユラはにっこりと満面の笑みを浮かべる。

「わたしは、クリスファーさんが嫌いではないですよ」

 嫌いではないが、好きでもない。

「あなたを愛しています」

 ありったけの嘘を悪意の砂糖で包み込んで、生まれて初めて愛の告白をしてみた。

 クリスファーは目を丸くして、それから悲しげに口元をゆるめた。

「君は、もっと自分を大事にしたほうがいい」

 嘘はあっさりと見破られる。マユラは無言で、乱暴に扉を閉めた。

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