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用が済んだらさっさと劇場に戻ったほうがいい。しかし、久しぶりに出かけて嬉しそうなライをまた閉じ込めることになるし、それなら、今日一日くらい好きにさせてあげよう。
なによりマユラは言い争うのが苦手だ。相手が子供ならなおさら疲れる。
そんなわけで、マユラはハデスに付き合って、彼の妹の見舞いに行くことになった。ハデスとライはお菓子選びで意気投合し、ライが妹の見舞いに行きたいと言ったのだ。
病院はネウ地区にあった。主要な施設が密集するネウ地区には人間が多く住んでいる。その中でこの病院は、モンスター患者も見てくれる珍しい病院らしい。
中は清潔な白色で統一されている。マユラは、どことなくこちらを不安にさせる一面の白い壁を前にして、小さく肩をすくめる。白は孤独を強く感じさせる色だ。
「ハデスさんの妹さんって、入院しているんですね」
「ああ。金が入るようになったから、早く病気を治そうと思ってな。……メル、入っていいか?」
扉の向こうに話しかけると、可愛らしい少女の声が返ってきた。
「お兄ちゃん? うん。入ってきて」
個室のベッドの上に起きあがっていたのは、銀の髪を肩下あたりまで伸ばした十歳くらいの少女。真ん丸な瞳がハデスを見とめて細められ、ついで入ってきたマユラを前にして、ぱちぱちと瞬いた。マユラは小さく会釈する。
「これ、土産だ」
ハデスがもってきた菓子折りを受け取り、少女はマユラへにっこりと微笑んだ。
「こんな格好ですみません。わたし、お兄ちゃんの妹のメルと言います。いつもお兄ちゃんがお世話になって、ありがとうございます」
「はあ……」
「お兄ちゃんが彼女を連れてくるなんて思わなかったわ」
メルの無邪気な言葉に、ハデスは飛び上がって目を見開く。
「はあ!? 違う! こいつは彼女でもなんでもない――」
「俺としてはリリィの方が何百倍も好みだ、って感じですね。リリィさんが近くにいるのに、私に惹かれる人なんてありませんよ」
いくらなんでも大げさに反応しすぎだ。卑屈な嫌味を言ってやると、ハデスはそういうわけでもないともがもが口の中で言い訳する。
そんな兄の態度を見て、メルは勘違いに気づいたようだ。
「えっ、彼女じゃないんですか……?」
「そうですよ。彼とは友人の知り合いくらいの関係で、まあ単なる顔見知りですよ」
「ごめんなさい。わたし、てっきり……」
「いえいえ、気にしないでください。ハデスさんが好きなのはリリィさんですよ」
「お兄ちゃんに、好きな人がいるんですか?」
「人じゃないんですけどね。今度、連れてきますよ」
マユラは女子らしい恥じらいもなくにこやかに返答する。リリィを引き合いに出したのはハデスが嫌がりそうだからで、恋バナにみじんの興味もない。
話に一息ついたのがわかったのか、ライがメルのベッドに近づいて、真ん丸な瞳で彼女を見上げた。
「メルねーちゃ、びょーき苦しい? お外出れなくて、つまんない?」
年下の子供からの不安を含んだ問いかけに、メルは安心させるように笑う。
「大丈夫。本があるし、お兄ちゃんも来てくれるから大丈夫よ」
ハデスにはもったいないくらいの妹だ。視線を向けてみると、ハデスは来客用の椅子を持ち出して、ライをそこへ座らせていた。目線が同じな方が、話がしやすいと考えたのだろう。それから彼は、「少し席を外すぞ」と断って、マユラを外へいざなった。
病室から離れた休憩所でハデスは神妙に口を開く。
「妹はメデューサ病なんだ」
マユラは椅子に腰を掛けたまま、意図が読めずに首をかしげた。
「といいますと?」
「モンスターにだけ感染する病気で、手足が石のようになって動かなくなり、最悪、心臓も石になって止まってしまう。治療を続ければ回復する病気だが、薬が希少で高価なんだ」
「ふうん。お金はリリィさんに出してもらっているんですか?」
「そんなわけないだろ!」
「冗談ですよ」
軽口を叩いてみるが、やはり意図は読めないまま。どうしてハデスはこんな事を言い出したのだろう。
訝しげな視線から胸の内を感じ取ったのか、ハデスは顔をそむける。
「お前にも一応感謝している、あの変な探偵にもな」
「あ、お礼が言いたかったんですか。でも、窃盗未遂の事がばれたら嫌なんて、妹さんの前では言えなかったんですね」
合点がいってぽんと手を打つ。
「……あの時の事は悪いと思っている。ちゃんと、他の女の人にも謝って金も返したさ」
金で済む問題かとの意地悪な正論が思い浮かびかけるが、理由が理由だし、反省もしているのだから口には出さなかった。
代わりにふと浮かんだ疑問を吐き出す。
「メデューサ病って、感染したりしませんよね?」
「それならライを会わせない。メデューサ病は伝染病ではない。どうやら、植物から感染するらしいが、どの植物が危険なのかはまだわかっていないみたいだ」
「あー、医学あんまり発展していないんですねえこの世界」
医学の事はよくわからないが、人間だけでなくモンスターの病気もある世界だから、医者も大忙しだろう。受付では、客のいない間に受付嬢が事務作業に追われている。廊下を行き交う医者も忙しげだ。病院に対して患者が多すぎるのかもしれない。
「あのモンスタークラブのエギュトさんも、自然公園よりこっちを頑張ればいいですのに」
思わず出た呟きに、ハデスが驚いた声をあげる。
「エギュトを知っているのか?」
それを聞いてマユラの方もびっくりした。
「ハデスさんこそ。なんで知っているんですか」
「友人だからな。だが、お前が奴の名前を知っているとは思わなかった」
「私の方は成り行きですよ」
思うところがあって、マユラはゆっくりと椅子から立ち上がり、ハデスを正面から覗き込んだ。ハデスは目を丸くする。
「ハデスさん、これから時間あります? よければ付き合ってほしい場所があるんですが」
にこやかな口調とは裏腹に、顔は否定を認めない黒い笑顔。
「この前の貸し、返してもらっていいですよね」
マユラはそう言って、ハデスにこくこくと頷かせた。