2-1
貴族の屋敷とは庶民の想像もつかないほど立派なものである。
リリィの家に遊びに来たマユラは、そのことを、身をもって知った。
入り口の豪奢な飾りがついた扉を開いてみれば、使用用途がみえないくらい大きな玄関ホールが広がっている。図書館とか、市役所とか、公共施設よりもずっと大きなホールを抜けた先には、絨毯が敷かれた廊下。それも冗談じゃない長さで、幅も五人以上が余裕で並んで通れるくらい。細長い窓から洩れる木漏れ日が、廊下を明るく照らしている。そもそも、門からしておかしかった。屋敷へ入るのに五分くらいかかるとは何事だろう。土地はあるところにはあるものだ。
「マユラ先生、こちらですわ」
マユラはリリィに案内される形で、彼女の部屋に向かっている。
「リリねーちゃのお家、とっても広いね!」
久しぶりに出かけられたのが嬉しいのか、ライがはしゃいだ声をあげる。彼は可愛らしいウサ耳の帽子をかぶって、髪を隠している。マユラは相変わらずの男装姿。きっと、リリィは内心で疑問に思っているだろう。
今日は、リリィに簡単な事情を説明するために、ライを連れて屋敷を訪ねてきたのだ。はしゃぐライとは対照的に、マユラは沈んだ気持ちで上手い誤魔化しを考えていた。
「マユねーちゃ、あそこにリリねーちゃがいるよ」
ライが指差したのは壁にかけられた肖像画で、額縁の中にたおやかな印象の少女が描かれていた。リリィと比べて少し大人っぽい気がするが、雰囲気はよくつかめている。
「へえ、お上手ですねえ」
「それは、わたしくのお母様の肖像画ですの。わたくしが小さい頃に亡くなったのでよく覚えていないのですが、とても優しい方だったと、お父様がおっしゃっていましたわ」
ライが真ん丸な瞳でリリィを見上げた。
「リリねーちゃ、ママがいないの? 寂しくない?」
「そうですわね……お父様がいますもの、寂しくありませんわ」
「ライもね、マーマがいるから寂しくないの!」
微笑ましく語り合う二人を見て、マユラは皮肉気な笑みを漏らす。真っ直ぐで健気じみた会話が茶番に思えてならない。くだらない。二人とも自分とは違う人間で、自分はそんなふうに真っ直ぐに生きられない。
(それは、片親があなたを愛してくれたからでしょう)
決してあなた達の功績ではない。親が愛してくれたから、寂しくなくてすむのだ。そんな考えがかすめて、マユラは思考を切り捨てた。
(それにしても、立派なお屋敷ですね。リリィさん……何でうちの事務所を利用してくれているんでしょう……?)
屋敷の中は相変わらず広く綺麗で、リリィは正真正銘のお嬢様だと判断できる。地区のはずれにあるちっぽけな店にわざわざ行かなくても、誰だって呼べる気がするのだが。
リリィの部屋はこれまた大きかった。客間用の部屋の壁に、おそらく寝室につながるだろう扉がある。室内は少女らしい優しい色合いに統一され、天井のシャンデリアが豪華な彩りを加えている。窓は驚くほど大きく、レースの向こうから陽だまりを送り込む。
「マユラ先生、こちらへどうぞ。ライ君にはあちらの席を用意しましたわ」
丸テーブルにビロード張りの椅子が並んでいて、マユラは頬をひきつらせた。
「ありがとうございます、リリィさん」
座り心地は柔らかで、金がかかっているだろうことがよくわかる。
使用人が紅茶とパウンドケーキを運んできた。淹れたての紅茶に薄く湯気が立っていて、微睡の靄の向こうに朝焼けをとかしたような黄金色が見えた。一口飲んでみると、下に柔らかな香りが広がった。なかなか美味だ。
切り分けたパウンドケーキを頬張っていると、リリィが紅の瞳を向けてくる。
「で、話してくださいますわよね?」
「何をですか」
「しばらくモンスター・カウンセラーに来るなと、電報に打ってきた理由ですわ。何か、事情があるのですわね?」
「はあ……」
煮え切らない返事にリリィは何を思ったか、再び使用人を呼ぶと、彼にハデスを呼んできてほしいと伝言した。
間もなくして戸惑いながら顔を出したハデスに、リリィはにっこりと微笑みかける。
「ハデスさん、今日のお昼に妹さんのお見舞いに行くとおっしゃっていましたわよね。台所にお菓子が余っていますの。お土産によろしいと思いますわ」
「……? その話は昨日――」
「ライ君、悪いですけど、ハデスさんの妹さんへのお土産選びを、手伝ってあげてくださいませんか? ハデスさん、そういうの苦手みたいですの」
その言葉でなんとなく察したのか、ハデスは弱り切った気のいい兄さんのような表情になって、ライに声をかける。
「ライ、悪いが、子供が好きそうなお土産を捜したいんだ。手伝ってくれないか?」
「うん! ライが好きなのでいいの?」
「ああ。助かる。ありがとう」
「ライ君も、よければお土産に持って帰ってくださいませ」
素直にハデスへ近づいていくライに、リリィが声をかけた。
二人が部屋から出たのを確認して、マユラは頬杖をついて半眼でリリィを見た。
「リリィさん、意外と策士ですね……」
リリィはにっこりとたおやかに微笑んで、瞳だけは真剣にマユラへ向ける。
これはもう、誤魔化せそうにないだろうが……。
「う~ん、まあ、そうですね。ちょっとライ君もいますし、一時休業しようかと思いまして。事務所の方も留守にしていますし来ても意味ないですよ」
「……正直に、話してくださいませんの?」
「嘘なんてついていませんよ。まあ、色々と忙しいんです」
すらすらと真っ赤な嘘を吐く。リリィはじっと話を聞いていたが、話が終わると少しだけ寂しそうな顔をした。
「そうですの……」
「あはは、すみません。適当な事務所で」
それには何も答えず、リリィが席を立つ。
「わたくし達も台所へ行きましょう」
言動は柔らかだが、ほんの少しだけ、リリィが怒っているように思えた。あからさまな嘘をつかれたのだから、それも無理ない。
あれだけ真剣に尋ねられても、マユラは正直に話す気がなかった。危険をはらんでいるかもしれない以上、彼女を巻き込むわけにはいかない。
(まあ、それだけじゃありませんが。……ぶっちゃけますと、リリィさんに言ったところで何になるのでしょう。何も解決しませんよ)
台所へ向かう途中で、廊下の向こうから鮮やかな薔薇を抱えた男が歩いてくる。黒いスーツを着た使用人らしき彼は、薔薇とは対照的に地味な顔立ちをしている。
「リリィお嬢様、見てくださいこの薔薇! 立派なものでしょう。旦那様の部屋へ活けようかと思いまして」
「まあ、酔っぱらいさんありがとう。お父様も喜びますわ」
男は気をよくしたのか鼻歌を歌いながら去っていく。
その背に、マユラが疑問の視線を投げる。
「酔っぱらいさん?」
「マユラ先生には、話しましたでしょう。お父様が拉致してきた殿方ですわ。その縁があって、植木職人として働いてくれていますの」
「へえ、彼は人間なんですよね」
リリィはこっくりと頷く。
「はい。とってもおいしいと評判の殿方ですわ」
おいしいというのは無論、血液の事だろう。リリィの屋敷には、吸血鬼が多い。彼らの間で評判になっていると聞いて、男がどれだけ血を吸われたのか微妙に心配になる。
そしてやはり、リリィの回答はずれていると思った。