1-9
「それはモンスタークラブだろう」
マユラの話を聞いたクリスファーは、開口一番そう言った。解毒の薬が効いたのか、ずいぶん顔色が良くなっている。
二人は劇場の下段――舞台近くの椅子に毛布を用意して簡単な寝所をつくった。夜も更けた室内を照らすのはほのかな燭台の灯り。椅子を二つ利用したベッドの中で、ライは小さな寝息を立てている。周囲の民家の明かりも感じられない静かな夜。いつもと違う場所で夜を過ごすことになり、マユラは妙にふわふわとした不思議な気分を懐く。
「モンスタークラブですか? クリスファーさん、解説もお願いします」
「人間達のクラブと同じだ。趣味や興味を同じとする者達が、店の一室に集まって交流している。アプリコットは確か、リザードマンのエギュ=トがまとめる社交グラブで、会員資格もモンスターのみだったはずだ」
いつもながらの淀みない口調に、マユラはにっこりと微笑んだ。
「つまり、モンスターの秘密結社みたいなものですか?」
「うーん……どうだろうな。本当に普通のクラブだよ」
別に悪の結社ではなさそうだ。しかし、あのデュラハンとピクシーは雷獣のことを話していた。昼間に、ライを狙った黒い衣の男と何らかの関係があるかもしれない。
現在の情報量からは具体的な判断ができず、このままでは堂々巡りだ。今後の平穏な生活のためにも、心の平穏のためにも、さっさと解決したいのだが……。
マユラの表情から何かの懸念を感じたのか、クリスファーが提案する。
「気になるなら、明日にでも行ってみるか?」
「行くって……モンスタークラブにですか? モンスターしか会員登録できないって、言っていませんでした?」
半眼で問いかけると、クリスファーは面食らったように瞳をそらした。一瞬、かすかに後ろめたそうな気配が垣間見えた。
「まあ、僕はモンスターだからね。君一人くらいどうとでも誤魔化せるよ」
何か妙にしっくりこない気がしたが、ここはクリスファーを信用してみよう。どの道マユラには、その選択しかない。モンスター・カウンセラーをやめたところで、この世界で生きていく自信がないし、なによりライを放り出して去るのには罪悪感がある。
つまるところ、マユラはクリスファーに叩いてもらった石橋を渡るだけだ。
(……それで、いいんでしょうかね)
自分の存在がひどく不安定な気がして、マユラは胸の内でそっと息をついた。
モンスタークラブへの潜入は、翌日の日が暮れてから開始した。少し早いがライを寝かしつけて、マユラはクリスファーと連れ立って昨日の場所へ向かう。
マユラは昨日と同じ男装姿。クリスファーは悪趣味な仮面をつけずに、身につけるのも落ち着いた燕尾服だった。外国人の少年と連れ立って歩いている気がして、マユラは落ち着かない気分になる。いつかテレビで見たヨーロッパの映像がちらりと浮かぶ。淡泊に処理しようとしても、どうしてか妙に心乱される。
(懐かしい……ともちょっと違うんですけどね。……考えないようにしましょう。今はモンスタークラブのことが先決です)
緩やかな足取りになっていたのか、先行くクリスファーが不思議そうに振り返る。マユラは何でもない風に笑いかけて、小走りに彼を追った。
アプリコットは階段を下りた先にあった。扉をひいて店内へ入ると、オイルランプの光が照らす薄暗い入口のカウンターにライオンの頭をした獣人が立っており、入ってきたマユラ達をじろりと胡散くさそうに見た。彼の手元には出席名簿らしき台帳。
「お前ら、妙に人間臭い顔をしているな」
探るようなライオン頭の視線を受けて、クリスファーが肩をすくめる。
「よく言われるよ」
クリスファーはマユラを後ろに待たせて、ライオン頭に何事かつぶやいた。台帳のページをめくって、眉をひそめたライオン頭に示して見せる。
「大変だな。ほら、とっとと通れ」
どうやら入っていいようだ。
人間なのにいいんでしょうか、と頭の隅で思いながら店の奥に足を踏み入れる。
透明感を持ったオイルランプの光に照らされるのは、妖精郷を連想させる広場。緑で囲まれた石畳の空間。壁には色鮮やかな花々が咲きほこる。立食のための丸テーブルが並べられ、様々な種族で賑わっている。
ドワーフやホビットなどファンタジーでおなじみの種族に、騒がしい小人達。人間によく似ているが、体が馬だったり魚だったりの半人の姿も見受けられる。もちろん完全なモンスターもいて、五つの頭を持つ蛇――ラミアの横を通る時、マユラは思わず息を殺した。人間だとばれたらどうなるかなんて、考えたくもない。肝試しだって、こんなに恐ろしくないだろう。
「本当にモンスターしかいませんね……」
「そういうクラブだからね」
げっそりとした呟きは軽く流された。さすがにクリスファーはこういう場所にも慣れているらしい。心強いような、逆に自分だけが場違いで心細いような気持になる。
(とにかく、せっかく来たんですし、あのデュラハンさん達を探しましょうか)
当初の目的を思い出して行動しようとした矢先、あたりがにわかに騒がしくなった。
近くにいるモンスターの視線が一点に集まっている。
マユラがそのほうを見ると、広場の奥に簡素な舞台が作られ、そこへ向かってリザードマンの男が歩いてくる。彼の両脇に件のデュラハンとピクシーを見つけて、マユラとクリスファーは視線を交わし合った。
「諸君、重要な話がある」
簡素な舞台に立ち、リザードマンは、ぎろりとした黄色の瞳で会場を見回した。
(あのトカゲさん……何か見覚えがある気がしますね)
しかし思い出せない。喉に小骨が引っかかった感じを覚えながら、とりあえずリザードマンの話に集中する。
彼はよく通るハスキーな声で語り始めた。
「ネウ地区にある自然公園が解体されることになったのは、知っているだろう。エクソシストどもが我々の反対を受け入れず、話すら聞こうとしないことも」
リザードマンはそこで言葉を切った。
すると、あらかじめ言葉が切れるのをわかっていたように、各場から怒声が上がった。
「あの公園はモンスターの物だ! 人間の勝手にさせるもんか!」
「やっちまえエギュト!」
どうやらリザードマンがこのクラブのリーダーであるエギュトらしい。
自然公園の開発……何やらきな臭い話になってきた。新聞を探れば詳しい話が見られるだが、マユラにはこの世界の文字がわからない。ヴァレナ国の文字はアルファベッドとも違う複雑な文様をしているのだ。
(言葉は通じますのに、どうしてでしょうね)
マユラは視線をエギュトへ戻す。
エギュトが両手をあげて停止の仕草をすると、会場がぴたりと静まり返った。
「一度は強硬策を考えたが、力押しではエクソシストも納得しないだろう。だから、我々の代表を決めて、その方に話し合いを任せたい」
「エギュト以外に、適切な奴なんて……」
「諸君、王都ガードには今、雷獣が来られている」
不安の声を吹き飛ばすように、エギュトの声が低く会場を満たす。
「そういうことか……!」
ざわめきはじめる周囲を置いて、クリスファーが小さく呟く。
意味が分からなかったマユラだが、モンスターの間で雷獣は特別な意味を持つようで、辺りから同調する声が増えていった。
蜘蛛の糸がたらされたように喜ぶ声、ただ騒ぎたいだけに聞こえる雄叫び、反撃の糸口を見つけた安堵の声、人間への罵声。にわかに煩くなって、マユラは耳を押さえた。
「雷獣に話し合ってもらって、解決するんですか?」
「雷獣は……神が遣わしてくださった神獣だと言われている。モンスターの中には、危機に瀕した時に雷獣が現れ、自分達を救ってくれるという伝説があるんだ」
「そうですか。でも、ライ君に説得なんて無理ですよね……」
「彼らはただ象徴としての雷獣が欲しいだけかもしれない。わかっているのは、人間とモンスターの争いに、ライを巻き込むわけにはいかないということだ」
とりあえず、知りたい情報は得たのでそそくさと会場を後にする。ライオン頭も話を聞いたのかそちらに夢中で、出て行くマユラ達に気づかなかった。
外に出ると、冷たい空気が頬にあたる。どこからかおいしそうな匂いが漂ってきた。
周囲はすっかり夜のベールに包まれている。ガス灯が並んで、合間にぽつりぽつりと民家の明かりが浮かんでいた。
「やっぱりあの黒い人、モンスタークラブの人なんでしょうか……?」
「わからないが、少なくとも彼らはライを捜すだろう」
ますますライを外へ出すのが厄介になった。ついでに問題も解決どころか山積みになっていくありさまで、どこかに捨ててしまいたくなる。
(捨てたところで、おーいでてこーいの穴でしたって、オチになるでしょうけど)
マユラはそっと道に落ちている石ころを蹴っ飛ばした。道の角のゴミ箱にぶつかって乾いた音を立てる、と同時に暗闇に何者かが動く姿を見た。
びっくりしてゴミ箱へ近づいてみるが、暗い道の向こうに寂しい風が駆け抜けるだけ。
「今、誰かがこちらを見ていませんでした?」
クリスファーに問いかけても、返ってきたのはまん丸い緑の瞳と疑問の表情。
男のシルエットは気のせいだったのだろうか。闇の中から、にゃあ、と甲高い猫の鳴き声が耳をかすめる。そう、あれは猫だったのかもしれない。
どこまでも広がる暗闇の中に沁み込んでいくような、甲高い鳴き声が響いていた。