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ぼくのなつやすみ

作者: 黒衛


僕の家族は、毎年夏休みの最後の一週間にお父さんの田舎へ帰る。

お父さんの田舎は山の中で、交通はびっくりするくらい不便だけど、森があって川があって涼しいし、とてもいいところだ。

田舎にはおじいちゃんとおばあちゃんがいる。

おじさんとおばさんがいて、そして従兄妹のタケちゃんとキミちゃんがいる。

タケちゃんは僕と同じ学年だけど、タケちゃんが五月生まれで僕が三月生まれだからほとんど一歳違う。

タケちゃんは餓鬼大将だ。背が高くて喧嘩が強くて野球が得意。

僕がいる間、タケちゃんは友達との遊びに僕をまぜてくれる。

昔はタケシと呼び捨てにしてた気がする。いつの間にタケちゃんと呼ぶようになったのかは覚えてない。タケちゃんは、今も僕をカズヤと呼び捨てにしている。

自転車で峠まで競争して迷子になったり、沢で釣りをして川に飛び込んだり、畑に忍び込んでトマトをおやつに拝借したり、僕らは毎年そんなやんちゃばかりしていた。

六年生。小学校最後の夏休み。

今年は、少しいつもと違ってた。


八月二十七日。僕がお父さんお母さんと家に帰る前日、タケちゃんは一人で網と籠を持って来た。

「カズヤ、セミ捕りに行こうぜ」

「蝉?今年はもうたくさん取ったじゃないか?」

「いいから行こうぜ。お前明日帰るだろ。最後くらい付き合えよ」

僕は素直について行くことにした。ここにいても、お母さんに荷造りを手伝わされるだけだったから。

セミ捕りにはいつも裏山に登る。おじいちゃんの家から歩いて十分ぐらい。

庭を出ようとしたところでキミちゃんに見つかった。

「兄ちゃんカズちゃん!どこ行くん?」

キミちゃんはタケちゃんの妹で、僕らより三つ下だ。

「なぁ、どこ行くん?」

「セミ捕りや。着いて来んな喜美子」

「うちも行く!」

案の定キミちゃんは言った。

「来るな言うてるやろ!早よ帰れ」

「嫌や!行く!」

「喜美子っ!!」

タケちゃんの手が、麦藁帽子の上からキミちゃんの頭をぶった。

僕はびっくりした。

そりゃ、僕らは時々危ないこともするから、キミちゃんを仲間に入れないことだってあった。

けど、タケちゃんがキミちゃんをぶつのはめったにないことだった。

キミちゃんは泣きながら家の中に駆け戻って行った。

僕らは、山道に向かい始めた。


下草だらけの獣道を登る間、タケちゃんはずっと黙ってた。

僕は虫捕り網をそこらの枝に引っ掛けないよう気をつけながら、タケちゃんの背中に聞いた。

「何でキミちゃんをぶったのさ」

「何でもない。来たらいかんからや」

遠出や川釣りなら今までもそうだった。

「けど、セミ捕りなんてキミちゃんも来てたじゃないか」

どうして今更追い払うのか分からない。

タケちゃんは答えず、黙々と進んだ。僕はしかたなく、その後に続いた。

ふと開けたところに出た。

大きな楠があって、一日中木陰になる村の子供達の秘密の場所だ。

遠くに役場が見えた。おじいちゃんの家は木に隠れて見えない。

「カズヤ」

タケちゃんが僕を呼んだ。

「何?タケちゃん」

「いつ引っ越すんだ?」

僕は一瞬答えられなかった。

「……明後日」

ぽつりと呟くと、タケちゃんは僕の方をじっと見て、言った。

「家に住めよ」

びっくりした。だってタケちゃんが何でそんなこと言い出したのか分からなかったから。

「東京ってすげぇ遠いじゃん。そんなとこ行ったらもう遊びに来なくなるだろ」

そんなことないと言いたかったけど、僕はまだ驚きでいっぱいだった。

「うちに引っ越せよ。ここに来りゃいいじゃん。

 自転車買ってもらってさ、釣竿は作ってやるし。川で泳ぎ放題だぜ」

僕はようやく一言言った。

「……そんなの、無理だよ」

「何で無理なんだよっ!」

びりりと、怒鳴り声が耳に響いた。タケちゃんの、怒っている時の声だ。

「な、何でタケちゃんが怒るんだよ!」

「当たり前だろ!」

何が当たり前なのか分からない。

「友達に会えなくなったら、怒るのは当たり前だろ!!」

多分それは、タケちゃんなりの悲しみとか、もどかしさの表現だったのだと思う。

僕らは子供で、まだそういうどうしようもない感情をうまく言葉にすることができなかったから。

僕だってそうだ。

ぐるぐるしてるいろんな言葉を、言いたいけど、何て言っていいか分からなかった。

「何で無理なんだよ!」

タケちゃんが僕に食ってかかる。

「だって……お父さんとお母さんが……」

「そんなこと聞いてない!」

タケちゃんが僕の腕を掴んだ。

「お前がしたいかしとないかや!

 お前がどっちなんか答えろや!」

僕はタケちゃんの手を目一杯振りほどいた。

虫捕り網を投げ付けて、一目散に山を下った。

どうしてだったのか分からない。

僕だって遠くに行くなんて嫌だ。

おじいちゃんの家に、タケちゃんとこに遊びに来れなくなるなんて嫌だ。

だけど、そんなこと言っても、きっとお父さんとお母さんを困らせるだけだ。

叱られるのが怖かった。我が侭言うなって怒られると思った。

だから僕は逃げたんだ。


僕が息を切らせながらおじいちゃん家に帰り着いた後、少ししてタケちゃんも二本の網を持って帰ってきた。

そのおでこに小さな切り傷があるのを見て、僕はどきりとした。

また怒られるのかと思ったけど、タケちゃんは物置に虫捕り網を片付けると、二階に上がって晩ご飯まで下りて来なかった。


「あんた達喧嘩したの?」

お母さんが僕に聞いた。

「武、カズ君いじめたんやないやろね!」

僕が答えるより早く、おばさんがタケちゃんの耳たぶを引っ張った。

「いってぇ!違ぇよ!

 母ちゃん、お代わりっ」

「武君よく食べるわねぇ」

とお母さんが言った。

「そーなのよ。図体ばっかり大きくなって」

おばさんは笑う。

タケちゃんはよく食べる。だから背も高いのかな。

僕よりぐんと高い。僕の腕を掴んだ手だって大きかった。

「カズ君お代わりは?」

「ぁ、いただきます」

ご飯を掻き込むタケちゃんの横で、僕は半分ほどよそってもらったお茶碗をおばさんから受け取った。


僕が帰りの荷物を詰めていると、がらりと襖を開けてタケちゃんがやって来た。

「母ちゃんが風呂入れってさ」

「あ、うん」

タオルを置いて、タケちゃんは階段を下りて行く。

僕はタオルを持って、風呂場に向かった。

おじいちゃん家のお風呂は大きい。お湯をいっぱいにためれば潜ったりもできる。

そういえば、どっちが長く潜ってられるかタケちゃんとよく競争したっけ。

服を脱いで籠の中に置く。風呂場の床はひやりと涼しい。

湯船に飛び込めば、お湯の温度がゆっくり染み込んで来る。

自然と大きな溜め息が漏れた。

その時、ガラリと戸が開く音がした。

タケちゃんが入って来た。

僕はぎくりとして、お風呂の端に寄った。

タケちゃんは洗面器でお湯を汲んで、頭からかぶった。

僕の方に背を向けて、頭と体を洗い始める。

毎日太陽の下で遊んでいるせいか、タケちゃんの肌はすっかり小麦色で、白くタンクトップの日焼け跡が残っている。

腕や背中には筋肉がついてる。きっと野球をしているからだ。タケちゃんは足だって速い。

もう一度お湯を被って泡を落としたタケちゃんが、湯船に入って来る。

交代に僕がお湯から出る後ろで、タケちゃんが盛大に溜め息をついた。

僕が全身を石鹸の泡で洗った後湯船に戻る時、タケちゃんは場所を半分開けてくれた。

ぱしゃりと、お湯をすくって顔を洗ったタケちゃんの額にかさぶたになった傷が見えた。

「タケちゃん……」

「ん?」

「おでこの……」

「あぁ」

タケちゃんはごしごしと傷を擦ってみせた。

「木で引っ掻いた」

とタケちゃんは言った。

「え?」

「木だよ。お前追いかけた時に木で引っ掻いた」

虫捕り網をぶつけたせいじゃないと知って、僕は半分ほっとした。

「ごめん」

「何で謝るんだよ」

理由は分からない。ただ、タケちゃんに悪いことをしたような気がして。

薄い湯気の向こう、タケちゃんの濡れた髪が、ぴかぴかと電球のオレンジ色の光を反射している。

「出るぞ」

タケちゃんが湯を割って立ち上がった。

僕も、顔を洗って湯船から出た。


縁側に出た時、キミちゃんが廊下を走ってやって来た。

「兄ちゃん、カズちゃん!花火やろ!」

「喜美子、これ線香花火ばっかりやないか」

キミちゃんの掲げたビニール袋には、線香花火の束が十ほど入っていた。

「えぇもん!花火やろう」

「しゃあないなぁ。ロウソク取って来る」

タケちゃんを見送って、僕とキミちゃんは庭に下りた。

「キミちゃん線香花火好きなの?」

「好き!でも大きい花火も好き!」

ロウソクとマッチを持って戻って来たタケちゃんが、縁石の上に火のついたロウソクを立てた。

「さ、花火やるぞ喜美子」

「やるー」

僕らは一本ずつ線香花火を持って、順番に火をつけた。

ぱちぱちとはぜる赤い火花が、ぼんやりと僕らの顔を照らす。

「きれいねー」

とキミちゃんが言った。

「あぁ」

呟いたタケちゃんの横顔。

僕も同じように、生まれては消える赤いきらめきを眺めていた。

丸くなった橙の火の玉は、しばらく震えながら火の粉を散らし、じじじ……と鳴いてぽたりと落ちた。

残り二つの仲間も、示し合わせたように一緒に消える。

「あんた達ー、スイカ切ったわよー」

縁側からおばさんが僕らを呼んだ。

僕らは二つ目をロウソクに翳したところだった。

キミちゃんの花火は、スイカに気を取られたのかあっという間に落ちてしまった。

「スイカ取って来るー」

キミちゃんは縁側に戻って行った。

ロウソクの側には、僕とタケちゃんが並んで残された。

じじじじ……ぽたり、とタケちゃんのが先に落ちた。

タケちゃんは、今度は二本まとめて火をつけた。

火の玉がひとつにくっついて、大きな線香花火になる。

僕も同じようにした。けど、燃え上がるオレンジ色が丸くなったところで、火花を散らし出すより先に落ちた。

「くす」

とタケちゃんが笑った。

ぽろりと涙が零れた。

タケちゃんは驚いた顔をしてたけど、僕にも理由は分からない。

ただ、何故かふいに寂しくなったんだ。

「兄ちゃん、カズちゃん。はい、スイカー」

キミちゃんが、僕とタケちゃんの分のスイカも一切れずつ持って戻って来た。

僕らはスイカを食べながら線香花火をした。

揺らめくロウソクの火が、僕には少しだけ滲んで見えてた。


「さ、もう寝る時間よあんた達」

花火の後片付けをした後、僕らは布団に追い立てられた。

おじさんが蚊帳を吊してくれて、明かりが消され、暗闇が降りて来た。

開け放った障子が月の光に照らされて白い。

リーリーと、庭で虫が鳴いている。

僕らは、キミちゃん、タケちゃん、僕の順で並んで横になってた。

僕はぼんやりと天井を眺めていた。

しばらくして、一つ寝息が聞こえ始める。

キミちゃんが眠ったみたいだ。

「……タケちゃん、起きてる?」

蚊の鳴くような声で聞いてみた。

布団とタオルケットが擦れ合う音がした。

僕がタオルケットを引っ掛けたまま腕を伸ばして肩をつつくと、タケちゃんが振り向いた。

「……何?」

僕は枕ごとタケちゃんの横まで移動した。

「……あのね、」

虫の音よりも微かな声。

タケちゃんは僕を見て、黙って続きを待ってくれた。

言わなくちゃいけない。

ちゃんと言わなくちゃ。

僕はタケちゃんが好きだから、大事な友達なんだから。

このまま、喧嘩したまま帰るのは嫌だ。

「……タケちゃん、僕また来るよ。また来年来るから、絶対来るから……」

タケちゃんはじっと僕を見ていて、僕はそっと小指を立ててタケちゃんに差し出した。

「……約束する」

タケちゃんの小指が、僕の小指と結ぶ。

「……ゆびきりげんまん、うそついたら、はりせんぼんのーます」

「ゆびきった……」

僕とタケちゃんは、額を寄せて少し笑いあった。


気がついたら、僕らはそのまま眠ってしまってた。

蝉の声で起こされて、僕はおじいちゃんとおばあちゃん、おじさんとおばさん、タケちゃんとキミちゃんに別れを告げ、お父さんお母さんと一緒に家に帰った。

その翌日、僕は東京に引っ越した。





駅のホームに降り立って、緑の景色を眺めながら揺られて来た電車に別れを告げる。

線路が山中に差し掛かった辺りから、空気には蝉の声が満ちていた。

小豆色の車体が去り行くのを見送り、改札へ向かう。

無人の駅舎には、昼間は灯らない蛍光灯が佇んでいる。

暗い待合室から眺めた、陽光の降り注ぐ炎天下は、くっきりと切り取ったように鮮やかだ。

そこにタケちゃんが待っていた。

「おっせーよカズヤー」

「電車は定刻通りだよ。タケちゃんが早すぎたんでしょ?」

「だって久し振りだろ」

庇の作る影から立ち上がって、タケちゃんは自転車を起こす。

「ねぇタケちゃん、見てよ。これ中学の夏服だよ」

「俺のと大して変わんねーじゃん」

「そうだよ。だからさ、東京だってそんなに遠くないでしょ?」

「何だそりゃ。いいから乗れよ」

僕はタケちゃんの自転車の後ろに跨がる。

「角の婆ちゃんの店寄るぞ。アイス食いながら帰ろうぜ」

「おっけー」

タケちゃんがペダルを踏み出す。僕はタケちゃんの背中にしがみつく。

夏の生温い風が頬を撫でていく。

タケちゃんはやっぱり日に焼けて小麦色で、僕は通り過ぎる畑や道端の砂利を眺める。

「峠のとこで交替な」

「りょーかーい」

――今年も僕の夏休みの、大切な最後の一週間が始まった。




お わ り




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