中編
不愉快な気分のまま家に帰ると、見知らぬ女がいた。後ろから見て、髪の長さは真琴と同じくらいだなととっさに思う。美容院代がもったいないからと放置されているロングヘアー。手入れだけはしているらしいが、いつも飾り気のないゴムの一つ縛りで、バレッタとかヘアピンとかヘアアレンジとかしているのを見たことがない。男でも知ってる髪飾りの名前を、きっと真琴は知らない。
その女の後ろ姿は真琴に似ているが、真琴はこんなふわふわした格好はしない。制服以外のスカートなんて、小学校の卒業式以来見たことがない。
兄貴の彼女か? と挨拶する前に、
「尚至おかえりー」
と、リビングで振り向いたのは真琴だった。しかもうっすらと化粧しているのか、唇がつやつやして、ただでさえ大きい目がぱっちりとしている。襟首のカッティングが凝ったカットソーから見える鎖骨はくっきりとして、ふわりと広がったスカートが花が開いたみたいで、その花の上に座っている真琴は、どこからどう見ても『女』だった。
「部室棟行ったら、尚至は告られてるところだったから、お邪魔虫は先に帰ったよー。彼女と付き合うの?」
……このデリカシーのなさ、間違いなく真琴だった。
「よく知らん人とはつき合えないからお断りした。っていうか、そんなんで先に帰るな。どうやって俺より早く帰ってきたんだ」
「まあ尚至、女の子に告白されたの? どんな子? 真琴ちゃんの知ってる子?」
母親が興味津々で乗り出してくる。だからイヤなんだよ。
「知らないです。たぶん年下です。上履きの色が違ったから」
「そんなんどうでもいいんだよ。母さんには関係ないだろ。真琴は普通に俺と帰ればいいだよ。見てたんなら終わったあたりで普通に出て来いよ」
「関係あるわよー。真琴ちゃん以外を選んだら、副島さんに申し開きが立たないわ。もちろん選ぶ権利は真琴ちゃんにあるけれど、川添家は全力で真琴ちゃんをお迎えしたいもの」
「いやだよ。出てったらなんか言われるもん。そこまで無神経じゃないよ。校門出たら、和至兄から電話がかかってきたから、迎えに来てもらったんだー。今日はお米が特売日で助かったわ」
二人はてんでバラバラに答えを返す。
「大学生に車は贅沢かなと思ったけれど、郊外だし真琴ちゃんの役に立つなら、許した甲斐もあると言うものだわ」
母親は一人でうなずいている。
「で、なにそのカッコ」
ようやく俺は本題につっこっむことが出来た。生まれて初めて見ると真琴の『女』を感じさせる格好に、俺は実は目が離せなかった。
「コレ? いつもの足代のお礼にさ、和至兄の彼女の振りで写真を撮るんだよ。どお? 女装」
「女装なんて……。真琴ちゃんは女の子なんだから、普通の格好よ。さあ、次は髪の毛をいじらせてね」
お袋は完全にお人形遊びをしている少女の目つきになっている。いじりがいもあろうものだ。もともとの出来はいい。
「でも、おばちゃん、そろそろ顔がかゆい……」
「あら、化粧品かぶれかしら? 髪の毛はこのままとかすだけにして、早く写真を撮りましょうか? 和至ー。カメラ持っておりてらっしゃいー」
お袋が二階に向かって叫ぶと、携帯端末とデジカメを持った和至が降りてきた。お人形遊びの間は隔離されていたらしい。よく見ると、周囲にはワンピースやらスカートやら淡い女の子が好みそうな色柄の服が散乱している。
「うわー。別人28号……」
「でっしょー。似合わないよねー」
兄貴のつぶやきに真琴はケタケタと笑う。
「こんなんで、彼女いるって騙せるの? 女装した友達だって言われるんじゃないのー?」
その間にも兄貴は真琴に向かって端末を向けるので、俺も同じように真琴に向けてバシャバシャと何枚か撮った。
「彼女なら親公認の方が良いわよね。真琴ちゃんを真ん中にして、和至とお母さんとで撮りましょう。ほら、尚至写真撮って」
ソファーに真琴を挟んで座った三人に、カメラを向けると、真琴が困った顔をする。
「真琴、笑えよ」
「そう改めて言われると笑えない」
「……ふとんがふっとんだとか?」
「ベタすぎ」
真琴がちょっと微笑む。基本、真琴は笑い上戸だ。
「今日の戦利品を思い浮かべろ。特売日だったんだろ」
俺がそう言うと、真琴は実に幸せそうになった。その間にシャッターを何枚も切る。
「犬が倒れてワンパタ」
真琴の真琴らしさに、思わずつぶやく。
「尚至、代われ」
兄貴がさっと立ち上がって、デジカメを奪う。俺はおずおずと真琴の隣に座った。
少し開いた二人の距離を詰めるわけにも行かず、そのまま前を向く。
「真琴、その服やるからな」
兄貴がそういうと、真琴は渋い声を出した。
「いらないー。それより、和至兄のシャツ欲しい。この前着てたやつ。ボロくなったらちょうだい」
「俺が女物の服持っててどうするんだよ」
「だから、本物の彼女が出来たらあげたらいいじゃん。じゃん。じゃん」
真琴がますますむくれる。そのまま何枚か撮って、真琴はいつものお下がりの着替え一式を持って洗面所に駆け込んだ。母親がついていって、化粧品に落とし方を教えている声がする。
デジカメを確認すると、俺と三人の写真は母親だけが笑顔で、俺と真琴はしかめっ面をしたものしか撮れていなかった。
真琴はいつものぶかぶかの服を着て、この日は夕食をうちで食べていった。父親は帰りが遅くなると連絡があったそうだ。
「他人様の作ってくださった料理は美味しいです」
真琴はしみじみと呟いて、遠慮なくおかわりまでしていった。食後のデザートはちょっと早いイチゴで、真琴は幸せそうにイチゴに牛乳をかけ、イチゴを半分つぶしてイチゴ牛乳を作りながら食べている。幼い頃から変わらない食べ方に川添家からは笑みがこぼれる。
そして、その後は久しぶりに俺の部屋に入った。俺の部屋に入るのは、年単位ぶりじゃないだろうか。部屋の前まで来ても入らない方が多い。リビングに並べてあるマンガ本はよく借りていくけれど。
「お部屋はいけーん」
テレビ番組の真似だろう声をして、真琴が乗り込んでくる。
「変わってないなー。マンガ増えた?」
真琴が本棚を眺めて、ベッドに腰掛ける。高校に入ってから掃除は自分でするようになったから、あまり綺麗とは言い難い部屋に、真琴は自然と馴染んでいる。尊敬する選手のポスターや雑誌を興味深そうに眺めて、ニコニコとベッドに転がる。
「もうベッド下にエロ本はねーぞ」
「やだなー、根に持ってんの? もうチェックしないってば。若気の至りです」
ニヤッと笑ってから、嬉しそうにゴロゴロ転がる。
「あとで、和至兄の部屋にも行って大丈夫かな?」
その笑顔を写真撮るときにしてくれたら良かったのに。
「大丈夫じゃね? ……それより、今日、生徒会長に会ったぞ」
「ああ、わざわざ生徒会室まで行ったんだ。ごめんね、手間かけさせて」
真琴は枕元にあるゲーセンの景品のぬいぐるみの山を見て幸せそうに笑う。抱き上げて撫で回している。こいつは性格とは違って、案外可愛らしいものが好きであることを俺は知っている。このぬいぐるみも、真琴が好きだと知っていて取ったものだ。
抱きしめて、手を使って操る。その時だけ、幼い頃の無邪気な笑顔がこぼれる。だから、その笑顔が見たくてついつい集めてしまって、ベッドの周りはぬいぐるみだらけだが、真琴はがんとして受け取らない。「自分で稼いだ金ではない贈り物はいらない」のだそうだ。
ずり落ちてきた袖をまくりあげながら、真琴はぬいぐるみを使ってしゃべる。
「尚至くん、最近よく読んでいるマンガを教えてよ。僕にも楽しいやつがいいな」
「真琴が好きそうなヒューマンドラマあったかな?」
俺はぬいぐるみの向こうにいる真琴に意識を向けながら棚を探す。
「コレとか」
大都市で災害が起こって生き残った若者たちのサバイバルという、ありがちと言えばありがちな話だが、その世界で繰り広げられる成長ドラマが面白いので、俺は気に入っているマンガ本を差し出す。
「借りても良いかな? 僕も読んでみるよ」
「ならそのぬいぐるみも持っていけ」
「僕は尚至くんが勉強をきちんとするように見張るように、真琴に言われたからこれまで通り、尚至くんの部屋にいるよ」
真琴はぬいぐるみの手を振り回しながら、マンガ本を膝の上に重ねる。
「続きはそのうち借りにくるね」
ぬいぐるみを枕元に並べて一つ一つの頭を撫でながら、真琴は、
「ちょっと和至兄のところに行ってくる」
と、立ち上がった。
真琴が部屋から出て行ったとたんに気になっていた携帯端末を取り出す。先ほど撮った写真は真琴の素の表情で、ちょっとはにかんだ表情にずいぶん女らしくなっていたのだと気づかされる。小首を傾げて笑っている出来のいい一枚を待ち受けに設定して、ロックをかけた。
真琴に返す辞書と英文法、そして勉強道具を取り出して、真琴が戻ってくるのを待つ。久々に近い距離によってくれた真琴ともう少し一緒に過ごしたかった。
同じ高校を卒業した兄貴から必勝対策ノートを奪ってきた真琴は、文句を垂れながらも分かりやすいように数学と歴史を教えてくれた。テスト範囲をびっちりと網羅して、俺の頭はヘロヘロになったが、真琴の集中力は大したものだった。俺の気力が限界になったのを感じ取って「今日はここまでにしておいてやろう」と悪役気取ったせりふを吐き、真琴は勉強道具を仕舞い始める。
「ところでさ、生徒会長ってどんなやつ?」
「んー? どんなんって言っても、評判通りじゃないかなー。映画に行こうとかカラオケ行こうとか誘われるけれど」
真琴は再びぬいぐるみを抱きしめながらベッドに転がってマンガを手にする。
「映画ってさー、高校生料金でも1000円は絶対にするんだよー。うちの一日の食費を数時間で使えるほどわたしの神経は図太くない。それなら尚志の家のテレビの大画面でみんなでキャーキャー言いながらレンタルビデオみた方が楽しい。トイレにも行きやすいし」
そういえば以前、真琴がトイレに行くから止めておいてくれと言ったのを兄貴が進めてしまって大喧嘩になっていたな……と遠い目になる。
「歓送迎会なら付き合うけれどさー。カラオケも別に風呂場で歌ってればいいし」
「お前は親父か」
「ぶぶー。しっかり者でがめつい隣の主婦です」
真琴は指を横に振って気取ると、勉強道具一式をまとめる。その上にマンガ本を重ねると「明日からは一人で行くよ」と立ち上がる。
「明日も朝練ないから、送ってく」
「尚至もさー。和至兄もさー。……もうわたしに気を使わなくていいんだよ。もう、かわいそうな子でもないし、わたしはわたしで好きでやってることなんだよ。これがうちの家庭のありようで、これがわたしだよ」
真琴はうつむいたままそう言うと、顔を上げて俺の目を見た。
「だからさ、年下の女の子とつきあいなよ。かわいい子だったじゃん。家族抜きで映画とか、そういうことして、尚至は普通でいいんだよ。わたしに付き合うことないんだよ」
そんなことを考えていたのか、と俺は呆れた。
「真琴を送っていくのが俺の普通でやりたいことだ」
断言すると、真琴がうつむく。
「じゃあさ……。今週末、買いたいものがあるから、つきあってくれるかなぁ……」
真琴が小声で呟いた。食料品の買い出しさえ決して荷物持ちにさせない真琴が初めて言いだした買い物の付き合いに、俺は密かに胸を躍らせた。
「わかった。でも明日はいつも通り乗せてくから」
階下に降りると、父親が帰ってきていた。すでにプリントされた真琴の女装の写真を見て、目を細めている。
「おばさん、おじさん。ごちそうさまでした。帰ります」
「尚至の勉強まで見てもらって、こちらこそありがとうね。真琴ちゃん、今度おばちゃんと一緒に買い物に行きましょうよ。似合う服を買ってあげたいわ」
真琴はそれをいつもの苦笑いで流すと、
「お邪魔しました」
と切り上げる。
「尚至送って行きなさいよ」
「息止めても帰れますから大丈夫ですよ」
「だめよ。家に入るまでが帰宅よ」
「ちゃんと家に入るまで送るよ」
これまたいつものやりとりがあって、二人で家を出る。一分も歩かないうちに真琴の家の玄関で、俺は再び念を押した。
「明日な」
「うん。マンガ本ありがとう。読んだら次貸してね」
「お前、試験前なのに余裕だよな」
「バレンタインとか考えている方が余裕だと思うなー」
「そうかもな。明日の朝も迎えに来るから」
「うん」
真琴はそういうと玄関の鍵を開けて最後に俺に手を振った。「お父さん、ただいまー」という声が響いて、鍵がかかるのを確認してから、俺は数歩の距離の自宅に帰った。
部屋に戻ると、真琴の抱きしめていたぬいぐるみをなでる。
「同情だと、思われてたんだな……」
確かに、泣いた真琴を見たのはあの祠の場所が最初で最後で、それから真琴は俺たち一家の前でも決して涙をこぼさない。近所のうるさ型のオバサンが「あの子は親を亡くしたかわいそうな子なんだから、親切にしてあげなさい」と自分の子に言い聞かせてたのは知っている。
それでも、俺たち一家は違うつもりだった。最初は確かに同情もあったかも知れないけれど、真琴の家事能力をお袋は家事を担うものとして対等に評価しているし、俺は子どもの頃からの近所づきあいが(出来れば)発展して、そのまま、このままずっと一緒にいられたらいいと思っている。過去も、そして現在も。
真琴が大学進学で家を出ていくかどうかはわからないけれど、そうしたら追いかけるつもりだし、出来れば同じ大学に進みたいとすら考えている。頭の出来が少々追いつかないのが問題だが。
真琴はそんな俺を女々しい同情だと笑うのだろうか。
週末の買い物で連れ出された場所はホームセンターだった。初のデート(らしきもの)がホームセンター……とくらくらする俺を後目に、真琴は自転車売場へと直行した。外国の自動車メーカーのマウンテンバイクの格好良さに目を輝かせているが、値段を見て驚いてもいる。自転車を一通り見てまわって真琴が足を止めたのは、子ども用の小さな自転車売場だった。
「昔はさ、こんなオフロードタイプのかっこいい自転車なかったよね。尚至は和至兄のお古に乗ってた」
「俺は真琴の新品の自転車がうらやましかったよ」
何でもお古の真琴の唯一の新品は自転車だった。どこに行くにも一緒に行った。ざりがにも釣ったし、ヒルも砂まみれにしたし、蝉も捕ったし、カブトムシまで親父どもを巻き込んで捕りに行った。
子どもだけでずいぶん遠くまで出かけて、帰りが遅くなってまだ健在だった真琴の母親に、兄貴と一緒にがんがん怒られた。どこまでも自転車で行けると思っていた。自転車で行けるところは近所で、どこの公園の遊具が楽しいとかすべて把握していた。
「……懐かしいね」
真琴がしみじみと呟いて、売場の自転車をそっとなでる。
「自転車、見たかったのか?」
「ううん。自転車、買おうと思って来たの。尚至の後ろに乗っけてもらってばっかりじゃなくって、自分で自転車乗ろうと思って」
真琴はそう言うと再び大人用の自転車売場に戻って吟味しだす。見た目や値段、機能やメーカーなど、真琴と二人で悩みまくって(主に値段だが)、真琴は緑色のちょっとシャレた自転車を選んだ。荷台付きにして、「一応、久しぶりだから乗るときは後ろを押さえてね」と恥ずかしそうに笑う。
日曜日の自転車売場は修理や買い物客でごった返していて、受け渡しは一時間後になるという。防犯登録その他の書類の記入をすませた真琴と俺は、二人でホームセンター内のフードコートに行った。
デートでホームセンターでフードコート。全く色気がない。
真琴はアイスクリーム屋の前で悩んでいる。真琴の好物はアイスクリームだった。
「尚至の食べようとしているハンバーガーセットと、このアイスが同じ値段なのが納得いかない」
いちいち細かいやつだが、これが真琴だ。
「……お母さん、ここのお店のアイスよく買ってくれたの。こんな値段だったんだね」
俺はちょっと眉をあげた。真琴が母親の死後、思い出話をするのはこれが初めてだ。
「奮発したらどうだ。実は母親に真琴用の軍資金を持たされている。うちが出すぞ」
「結構です! 買ってくる!」
真琴の背中を押してやると、真琴はアイス屋に向かった。俺はファストフードの店に足を向ける。
俺がハンバーガーセットを受け取って席についても、真琴は悩んでいた。しかも買ったのはトリプルで(真冬にトリプルかよとつっこんでおいた)、落とさないように慎重に席まで歩いて来る様はなかなか可愛らしかった。
二人そろって頂きますをして、食べ始める。俺ががっつくのは普通だが、真琴はアイスを眺め回してから、おそるおそる口に運んでいた。
「良かった。前と味が変わってない」
真琴は心底安心したように呟く。
「そのアイスも数年ぶりなのか?」
俺が尋ねると、真琴は小さくうなずいた。
「お母さん、このアイスをトリプルにして、半分こしようねって。抹茶とシャーベットとチョコマーブルとが定番で、競うように食べてた。スプーン二つもらって」
俺が食べ終えたハンバーガーの包みを丸めると、ポテトでアイスをすくって食ってやった。たいして取れなかったけれど。
「勝手に食べたらだめ!」
真琴が怒る。
「ポテトやるから一口くれよ。チョコのところがいい」
真琴はしぶしぶとチョコの粒が入っているところを選んで、スプーンを差し出す。お口あーんのなかなか甘い雰囲気になるはずの構図だが、真琴は明らかに食い意地で差しだし惜しんでいる。高校生は普通こんなところに来ないから、デートスポットとしては穴場でいいのかもしれないな、なんて俺は思う。
真琴はそれからも感慨深げにそれでも美味しそうにアイスを食べ続けた。
「……お母さんがさ、お菓子の作り方まで手が回らなかったわって……」
真琴がぼそりと呟いた。
「もっといろいろ教えたかったのにって。季節の料理とか、一応メモしたけれど、お菓子は作ってる余裕がなかったの。お母さん、案外料理する人だったんだ」
真琴は溶けだしてきたカップの底のアイスをすくう。
「母方のばーちゃんが案外料理好きで。仕込まれたらしいんだ。この家の味を守っていくとかあるんだろうけれど、そうじゃなくって、わたしとお母さんは生活のために必死だったから……」
真琴は空になったカップを置いて、口直し用のポテトをつまんで眺める。
「だからさ、毎回バレンタインとかテキトーに作ってるけれど、まあいつか子どもが出来たら、それが副島家の味、みたいに受け継がれていくのかなとか思ったり。わたしが産むんじゃなくても、お父さんの再婚とかあるかも知れないし、連れ子とかさ、新しいお母さんとかで、味が変化していくのかも知れないし……」
そのままポテトを持ったまま、少し遠い目をした。
「おじさん、再婚の話とかあるのか?」
口の中が乾いているのがわかって、声が少しかすれた。
「ううん。可能性の話」
真琴も少しかすれた声で言う。
「水持ってくるな」
俺はそう言って、セルフサービスの飲料水を汲みに立ち上がった。水を汲みながら振り返ると、真琴はぼんやりとしている。
「ありがと」
持って帰ってきた水を真琴は手に取った。
「だからさ、いつまでも尚至にも甘えてないで、いい加減自転車くらい、乗ろうと思ったの。自立、考えないといけないんだなって」
水を一口含んで、俺を見ると苦笑する。
「ごめんね、つきあわせて。自転車に再び乗る勇気がなかなか出なかったんだ。でも、そろそろ乗らないと」
真琴はそう笑って「もう出来たかな」と立ち上がる。俺もトレイの上のクズをまとめて立ち上がった。




