第十話「現実を突きつける力」
B・アウトホームズの世界での時間
・5月15日 昼
「痛いな~真琴ちゃん。もうちょっと優しく握ってほしいよ」
「お前を優しく扱うなんてこと、一生ないよ」
「つれないな~」
腕を相当強く握られているようで、緒方は顔を引き攣らせていた。だけど、声はいつもの調子でとても軽い。まれで友達と話しているようだ。
僕と話していたときもこの調子だった。緒方の目に、僕らはどう映っているのだろうか。
仰向けの状態の僕は地面から二人を見上げている。武器になりそうなものはどこにもない。どうすればいい、殴ればいいのか?
「無駄なことは考えない方が良いよ、依人くん」
「っ!」
僕の考えを読んだかのように真琴さんが僕を注意する。
数日前まで、ただ平和を謳歌していた僕では戦いの邪魔、恐らく真琴さんはそう言っているのだろう。
そうだとしても、このまま何もしないなんてことは……。
仰向けのまま、僕は何もできない自分に苛立ち、歯を食いしばる。無力なのは自分でもわかってたはずだ。だけど、こうも現実を突きつけられたら悔しくもなる。
「そろそろ依人くんから離れろ、変態野郎」
「うわっ!?」
緒方の腕を掴んでいた真琴さんが腕を振り上げると、緒方の体が宙を舞った。
え? ちょっと待って。小学校高学年くらいの女の子が大の大人を片腕だけで投げた!? 一体何が起こっているのさ!
目の前で起きた摩訶不思議な出来事に僕は倒れた状態のまま目を白黒させた。
緒方は投げられ、宙を舞う間に体制を整え、見事、自分の足を地面に着地した。
この男も男だ。どうやったら人間があんな低空で体勢を整えられるっていうの? これは本当に現実なの?
「相変わらず、馬鹿げた芸当を見せてくれるよ、緒方」
「そういう君も、本当にすごい力だよ。今度はあのまま腕を握り潰されるかと思っちゃったよ」
「ふん。そんなことしたら手錠を掛けても簡単に抜けられる。そんなへまは絶対にしない」
これに似た出来事が前にもあったようで、二人は驚きもせずにお互いを褒める。
こんな、こんな世界に僕は足を踏み入れたっていうの? こんなの一瞬で僕の首が飛ぶような世界に、癒深と僕は…………。
茫然自失、あまりの出来事に頭のついて行けない僕を見て、真琴さんはため息を吐きながら僕の前、緒方の正面に立つ。
「緒方、今回はお前を逃がしてやる」
「ん? ……どういうつもりなのかな、真琴ちゃん。僕を捕まえるチャンスじゃないのかい」
「ああ、そうだ。本当ならここでお前を捕まえてやりたいが……これ以上は僕の体が持たない」
「ありゃ、気付かれちゃってたか~。このままイケるかと思ってたけど」
「……」
「ふふふ。それじゃあ、今回はこの辺でお別れだ。次も、良い出会いであることを願うよ」
「…………次こそ捕まえてやる」
「これで57回目だ、その言葉を聞くのは」
緒方が背を向けて歩き去るのを、真琴さんはずっと見ていた。僕は横から覗き込むようにしてその後ろ姿を見ていた。
どうして? 一体どういうことなの。今ならすぐにでも追いつける。あの無防備な後ろを向けられてなんで捕まえに行かないんだ。
疑問を抱く僕へと解答を示したのは真琴さんだった。真琴さんがゆっくりと僕に体を向けた。
「え?」
その小さな体の腹部、彼女の着ているパーカーの中心に赤い色が広がっていた。
「それ……」
「おい」
「あ、うぐっ!?」
突然、僕の体が吹き飛んだ。僕の後ろには壁があって、その壁に僕の体が叩きつけられる。背中に走った痛みに、僕の目の前が一瞬、白に染まった。
「けほ、けほ」と咳き込みながら前を見ると、前に突き出した左足を地面に着けている真琴さんがいた。どうやら、前蹴りを喰らったようだ。さっきも思ったけど彼女の体から人を吹き飛ばすほどの怪力が宿ってるってどういうことなの?
頭に疑問符を浮かべる僕を、真琴さんは感情の籠っていない目で見下していた。
「お前、本当に死にたいの?」
「え? あぐっ!!」
つかつかと僕へ早歩きで近づき、倒れている僕の腹を真琴さんは思いっきり踏みつけた。いや、おそらく彼女はまだ手加減しているのだろう。片足だけの体重で僕を踏みつけているようだ。
だというのに、まるでとてつもない重量の物体が押しつけられたかのような圧迫感が僕を襲う。徐々に徐々に足が沈み込み、痛みを増していく。拷問を掛けられているようだった。
あまりの痛みに僕は真琴さんの足をどかそうとするも、1ミリたりとも動くかなかった。そのままの状態で、真琴さんは口を開けた。
「僕はさっき止めたはずだ、なのになんで動いた」
「頭……に、血が……」
「怒る気持ちはわかる。お前はそれを緒方に吐き散らせてよかった。だけど、近づいてはいけなかった」
真琴さんの目に怒りが宿るのが見えた。自分の忠告を聞かなかった僕に怒っているのだろう。
「僕、言ったよな。不用意に近づくと危険だ、って!! なんで近づいた!」
「ぎ、……ぐ……ぅ!」
さらに力を入れて僕を踏む。だんだんと意識が遠のいてきだした。だけど、真琴さんはやめなかった。
「お前は一般人だ! 僕はお前を監視すると同時に、お前を守らなくちゃいけないんだよ! だっていうのに、お前はなんで前に出た!! 忠告したって言うのに、怒りに任せて前に出やがって!!!」
「っ! 家族、は!!」
聞き逃せない一言が僕の耳の中に届いた。それを聞いた僕は、痛みが続く中、叫んだ。
「もう家族が! 癒深しか残ってないんだ!! その癒深が危険な状態だって聞いて、そうした張本人が目の前にいるっていうのに!! 冷静でいろって言うのかよ!!」
「冷静でいないとお前が死ぬ可能性があるって言ってるんだ! お前が死んだら妹は一人だぞ!!」
「っ!」
「お前の妹ってことは、妹も親が死んだことを泣いて悲しむだけじゃない、重たいくらいの家族愛を持ってるだろうね。今のお前の反応でわかったよ。僕の思ってるとおりの妹だってね」
そうだ、癒深は僕と同じで家族が大好きだ。
はっきり言って、僕は両親を殺した緒方を殺したいほど憎んでる。呪い殺してしまいたいくらい、両親と同じ殺し方を実行したいくらいだ。
そして、癒深も僕と同じくらいに家族が大好きだ。だけど、癒深と僕が違う部分がある。それは、癒深は家族と同じ場所へ行こうとすることだ。僕が殺した人を憎むのに対して癒深は自分も死にたいって願うんだ。
家族と離れたくない。きっとではない。癒深はそうなんだ。そういう考え方をしているんだ。これは予想じゃない、事実、癒深はそうなんだ。
「僕はお前がどんな考えを持ったか、それがわかった。妹を取り戻す。だけどそれだけじゃない、お前の目には憎しみが見えた。殺してやる、同じ目に合せてやるって! 違うか? そうだろ!」
「……そうだよ、僕は緒方が憎い! この手で殺してやりたいくらい! 父さんと、母さんと同じ目に合わせて殺したいくらいだ!」
心を見透かされていた。それを知った僕は、真琴さんの言葉に反論せず、肯定した。
僕の本心両親の遺体を見たあの時から見えていたのだろう。多分、乙藤さんも気が付いているんだろうね。
僕は心の内をそのまま吐き出した。未だに血を流し続けて足まで伝って流れているのに、真琴さんは顔色一つ変えずに言葉を返してきた。
「お前にそれができるのかよ」
痛い、心に突き刺さる言葉だった。今の一瞬の戦いを見せられた僕に、絶対にできないことを、真正面から突き出された。
僕にできるわけがない。あんな、出鱈目な戦い。僕はそれをマンガやアニメ、映画でしか見たことがない。あんな戦い、現実で在り得るわけがないって思ってた。
人間の動きじゃない。人超えた存在、超人ができることだ。僕には絶対にできないことだ。それをできない僕にはどうしたって倒せない、越えられない壁だ。
「諦めるしか……ないっていうの…………?」
涙が浮かんだ。越えられない、その現実を目の前にして僕の心は少しづつ潰れていく。
もうすでに踏みつけられている腹には痛みが消えてきている。感覚がマヒしてきているのだろう。それでも、真琴さんは足を上げない。
「お前は待っていればいい。緒方を倒せれないまでも、お前の妹くらいは奪還してみせるさ」
「…………」
「署に向かえ。そこで待ってるんだ、そうすれば全部終わる」
真琴さんの言葉に、僕は何も言い返せなかった。
さっき緒方と渡り合っていた真琴さんでも、倒せると断言できないのだ。そんな奴に僕の力が一歩でも及ぶのだろうか?
……無理だ。緒方に対峙したとき、緒方から感じた恐怖に僕は対処できなかった。あれが緒方の本気なのかはわからないけど、僕は緒方に戦いを挑むことすらできないんだ。
真琴さんが足を上げて、パーカーのポケットから携帯を取り出した。ポケットまで血が流れていたのだろう。携帯に血が付着していた。
真琴さんはまだ血で染まっていない部分で血を拭き、それを僕へ投げて寄こした。
「それで助けを呼べ、まともに動けないくらいにボコしたからね」
「……それはひどい」
「ふん。万が一にもお前が馬鹿なことをしないための応急処置だ。恨むならさっき馬鹿なことをした自分を恨め、臆病者」
「……」
あの体で、どうやって動くっていうの? どう考えたってすぐに傷を塞いだ方が良い傷だ。
まだ血が流れてるってことは傷が塞がれてないってことだ。あのまま動けば塞がらないし、戦えば悪化する。なのになんで平気な顔してるの? なんで動くの。
僕が制止の言葉を言う前に真琴さんは緒方が消えた方向へ消えていった。その場に残っているのは真琴さんの流していった血と、血がまだ少し付着している携帯と、仰向けに倒れてまともに動けない僕だけだった。
▽ ▽ ▽
「随分と、手酷くやられたみたいだね」
「……見てたの?」
「途中から」
我がリーダーが目の前に現れた。
趣味が悪いことに、僕と依人くんの言い争いを見ていたようだ。
見られていたことに少しだけ気分を悪くするけど、まあ、あとで一般人(依人くん)に暴行を加えたことを報告書でまとめないといけないよりはマシだ。
見てたのなら僕が提出する必要もない。見てたのだから。でも。
「僕はアイツを止めないといけなかった。だから動けないくらいにボコした」
「君だから仕方がないけど、さすがにやり過ぎだ」
「ふん。手加減はしたよ」
「でも、少し怒りが含まれてたね」
「…………手心を加えてやしない? アンチセンスのリーダーくん」
少し言い返したくなり、僕はジト目で見上げる。
確かに、僕はやり過ぎたかもしれない。だけど、あのままだと依人くんは本当に緒方を追いかけそうだった。それを僕は危惧しただけだ。
緒方によって発生する犠牲者を、これ以上増やすわけにはいかない。依人くんはただの犠牲者だ。その家族である妹ちゃん……ユミちゃんだっけ……あの子もこれ以上、悲しい目に合せるわけにはいかないんだ。二人とも、家族の遺体を目にしたらしいし。
絶対に救い出してみせる。そして、二人とも普通の日常へ返してあげるんだ。
「真琴くん」
「くん付けするな」
「君がなにをしようとも僕は口を出す気はない。だけど、君が背負う必要はないよ」
「ふん。僕がいつ、何を背負ったっていうの? 僕はただできることをしているだけだよ」
「そうかい? ならいいよ。でもその前に、血を流し過ぎてないかい」
足からどくどくと流れ落ちる僕の血を見て聞く。確かに、深く抉り切られたせいか、かなりの量が流れてる。
まあ、これは緒方と戦うと自然とそうなってしまうのだからしょうがないことだ。
でも、これくらいの傷、僕にとっては屁でもない。輸血は必要だけどね。
「僕の『無神経』なら何も問題はないよ。少しの間ならね」
「一応、輸血はしておいてね。僕も少ししたら緒方を探す。真琴くんよりも、僕の方が見つけやすいだろうからね」
「わかってるよ……依人くんのこと、頼んだよ。あと、人払いの件ありがとね」
緒方と戦うより前から、あの近辺には人がいなかった。
つまり、緒方が依人くんに出会い来るよりも前に見つかったということだ。あんな奴が出歩いているってわかった時点で、事が起こるよりも前に僕らがやることは一つ。人払いだ。
これはアンチセンスの総力を上げてすることだ。被害は常に最小であるべし、ってね。
僕らがリーダーはその事を誇るでもなく、片手を上げて薄く笑った。
「少年のことは心配しなくても大丈夫だよ」
「心配なんかしてないよ。むしろ、僕は依人くんが大っ嫌いだ。あんな臆病者」
血を流しながら、僕はそのまま歩きだす。
そう、僕は依人くんが大っ嫌いなんだ。人の忠告を聞かないし、無策で一直線に突っ込むし。臆病者。危機感のセンスで逃げに優秀。うん、ぴったりの言葉だよ。
だけど、そんなことを考えるよりも、今は緒方を見つけ出さないといけない。というか、あのロリコン野郎! なにが調教だ、むしろ洗脳じゃないのか!?
一発、ぶん殴ってやらないとこの怒りは収まりそうにないね!