第四話「緒方 輝夜」
B・アウトホームズの世界での時間
・5月14日 夜
「…………随分と不機嫌だね、真琴くん」
「くん付けするな」
そう答える真琴さんはご立腹のようで椅子に座ってそっぽを向き、頬を膨らませている。
乙藤さんが取調室から出ていき、帰って来るまでの一時間、その間に真琴さんはずっと僕に向かって拳や蹴りを放っていた。
……一体、どんな体力してるのさ真琴さん。全然息が上がってないんだけど、まったく汗をかいてないんだけど。
ちなみに僕は部屋の壁の隅に背中を預けて全力で酸素を吸っていたりする。そんな僕に乙藤さんが近づいてきた。
「大丈夫かい、少年」
「全然……だいじょぶ、じゃ…………ない、です……」
「…………何発かもらったみたいだね」
乙藤さんは冷静に僕の頬を見る。そこには、気分が高揚して赤くなったとは違う、明らかに強く打ってできた赤い痣があるはずだ。真琴さんのハイキックを受けた場所だ。
頬以外にも見えない場所、お腹や肩にも何度か受けていたりする。
「どうやら、君のセンスは恐怖を感じたとしても、確実に避けることができるというわけではないようだね」
「その……ようです、ね」
息継ぎを繰り返しながらも乙藤さんと話し続ける。本当は少し休みたいのだけれど、僕は自分のセンスについて深く知らないといけない。
そうしないと僕は自分の家族を助けるだけの力を持てない。
今の僕は、藁にも縋る思いだ。センスは僕が持てる唯一の武器で、理解しないといけない力だ。
「何度か質問するよ、少年。……その前に、コーヒー飲むかい? 」
「お、お願い…………し、ます」
喉が干乾びてる感じがする。恐怖を感じるといつもこんな感じになる、もしかして僕は恐怖を感じると毎回、汗を流したり目が熱くなったり、喉が渇いたりするのかな?
乙藤さんの淹れてくれたコーヒーを飲むころには息も整ってきて、普通に会話できるくらいには回復した、殴られたり蹴られたところはまだ痛むけど。というかかなり痛い、真琴さんはあの体で一体どんな力を内蔵してるの?
「あ"?」
真琴さんが僕を睨み付ける。どうやら癒深と同じく体にコンプレックスを抱いているらしい。
乙藤さんもそうだったけど、癒深や真琴さんも僕の心を読んでいるような反応をするね。僕は考えたことが顔に出やすいのかな?
僕の方を見る真琴さんを無視し、少し前と同じく乙藤さんと真正面で向かい合う。ちなみに、床に座っている状態。できれば椅子に座りたいけど片方の椅子を真琴さんが占領しているから無理。
「さて、それじゃあ質問だ。少年、君は真琴くんから攻撃をもらったとき、恐怖を感じたかい? 真琴くんが攻撃の動作に入るよりも先に、君は恐怖を感じ取ったかい?」
「はい、感じました」
乙藤さんが人差し指を立てて質問する。僕はその問いに対して素直に答える。答えるとき、僕の脳裏にその時の光景が浮かんだ。
真琴さんの攻撃を初めて受けたとき、僕はそれ以前の攻撃の時と同じく、彼女から恐怖を感じた。殴られる、殴ってくる、と。
だけど僕はそれを避けられず、そのままお腹を殴られた。そのとき、真琴さんは僕が攻撃を受けたことに驚きはしたものの、さらに追撃をしてきた。
「でも、それは避けることができた、と?」
「はい、避けました。事前に追撃が来ることを予知したみたいに……」
「…………」
乙藤さんは腕を組み、目を瞑った。おそらく考えをまとめているのだろう。
『恐怖感』 現実もしくは想像上の危険に対する強い生物学的な感覚。それが僕のセンス。
人が直感的に危険であると把握することができる能力だと僕は考えてる。乙藤さんが言うには、僕はその把握できる力が異常であるらしい。
「だけど、君の強大な力にはデメリットが存在するようだ」
「……そのセンスのデメリットは精神低下だろね」
「真琴さん?」
会話に参加していなかった人の声がした。そちらに顔を向けると、不機嫌な顔のまま僕を見ている真琴さんがいた。
機嫌は良くなっていないようだけど、どうしたのかな? そんな僕の考えを知らない真琴さんは僕に人差し指を突き付けた。
「僕の攻撃を避けてたお前、どんどん顔色が悪くなってたぞ」
「そ、それなら、なんでそのまま攻撃してきたんです」
「お前が悪いからだ」
「…………」
ごもっともです。顔を俯かせながら僕は謝った、勘違いしていた僕が悪いのだから何も言えない。
数秒後、顔を上げると、考えをまとめるために目を瞑っていた乙藤さんが、真琴さんの言葉を聞いてなにかわかったのか僕の顔を見ていた。
僕が何も言わずにいると、数秒後なにか納得したようで何度か頷いた。どうしたんだろう。
「少年、二つ目の質問をしてもいいかな?」
「あ、いいですよ」
そういえば質問は何個かあるんだったよね。
すっかり忘れていたことに一瞬頭が回らなかった。乙藤さんはそんな僕に人差し指と中指を立てて問うてきた。
「君はその恐怖はいきなりやってくるものなのかい?」
「はい、いきなり悪寒が走ったり、汗がぶわってなります」
「さっきも聞いたけど、少年は彼女の攻撃を避けたんだよね」
「避けました」
「あれは見事なものだったね。完全に僕の動きを読んでるとしか思えなかった」
不機嫌だけど、意外と真琴さんの評価は高かった。
「ちなみに、当たり始めたのはどれくらいだい?」
「お前が消えてから10分くらい」
「…………それから約50分ほど殴ってたのかい」
「いや、追いかけまわしてた。足の速さは同じぐらいだったよ。だから、逃げられたら近づきにくかった」
まあ、逃げてる間、僕は怖くて後ろを向けなかったんだけどね。
「そういえばスライディングは避けられなかったな~」
確かにされた。そのせいで床に肩をぶつけてすごく痛かったんだよね。
もう痛みはないけど、あの時は本当に痛かった。しかも痛がってる間も僕を蹴ろうとしていた、その時は避けられたけど……。
「ふむ、彼女は結構強いから10分も逃げられればすごい方だ。改めて、少年のセンスはすごいものだとわかるよ」
「え、そんなに強いんですか?」
「銃相手に真正面から渡り合える」
「凄いことはわかるんですけど、銃器については詳しく知らないのでもうちょっとわかりやすい例を……」
「雌ライオンに真正面から素手で挑んで、重傷を負いながらも勝てる」
「人間を辞めてる気がします」
狩りをするのって確か雌ライオンだけだって聞いたことがあるんだけど、それを素手でって……本当に人間ですか、真琴さん。
僕が視線を向けると、僕よりも身長の低い、どうみても子供の体躯の彼女は
「大丈夫だよ、お前を殴ったり蹴ったりしたときは手加減してる」
乙藤さんの言葉を否定しなかった。いや、せめて「そんなに野蛮じゃない」とか言ってほしかった。君、女なんだからさ。
彼女は大切な何かを失っている。僕は心の底からそう思った。
話が逸れかけている中、『ピリリ』と明るい電子音が鳴り出した。それは鳴り止まず、ずっと取調室の中に響く。誰かの携帯に電話がかかっているようだ。
その音の発信源に目を向けると、それは乙藤さんのコートの中で鳴っていた。
「おっと、失礼するよ」
そういうと乙藤さんは携帯を取り出した。乙藤さんの持っている携帯は一つ前の世代のガラパゴス携帯、通称ガラケーだ。
まだ使っている人もいるけど、僕の周りじゃあまり見なくなった。僕もガラケーじゃなくてスマートフォンを使ってる。
乙藤さんの形態は白のスライド式、装飾は革とビーズで作られたストラップだけだ。
「あ」
「んぅ? どうしたの」
「いや、ちょっと思い出したことがあって」
「ふ~ん、事件に関わりそうなら早めにアイツに言いなよ」
「……うん、話しておくよ」
仕事の話はほとんどしてなかったからあまり意識してなかったけど、この子も警察に身を置いてるんだよね。見た目とか僕より年下に見えるけど。
だけど、彼女みたいな子が仕事をしていると思うと、改めて疑問に思う。もしかして、僕より年上なのかな?
「緒方が……いた……!?」
真琴さんについて考えを巡らせていると、乙藤さんが大声を上げた。びっくりして乙藤さんの方に向くと、乙藤さんが眉を顰めていた。
まだ、一週間も経っていないけど、彼の性格は比較的温厚でとても声を荒げたりするような人じゃないと思っていた。だから、こんな状態の乙藤さんは初めて見た。
どうしてこんな顔をするのだろう、「おがた」って誰のことなんだろう。真琴さんに聞いてみようと顔を向けると
「…………」
真琴さんも、眉を顰めていた。乙藤さんより表情が出やすいだろう彼女は、さらに憎々しげに歯軋りをいた。
彼女の目は乙藤さんの持つ携帯に向けられていた。それだけでわかった。彼女も、「おがた」という人物に反応しているのだ。
「うん、うん……わかったよ、ありがとう。君も十二分に気を付けて」
結局、真琴さんに聞く前に乙藤さんは会話を終え、コートの中に携帯を仕舞った。
乙藤さんは目を瞑って考えようとし、はっ!、と僕や真琴さんがいることに気が付き、申し訳なさそうな顔を向けてきた。
「ごめん、君たちのことを忘れていた」
「いえ、いいですよ。それよりも、『おがた』というのは?」
「……うん、話しておいた方が良いね」
僕が聞くと、乙藤さんはまた眉を顰め、一度頷いた。もしかして、危険な人のことなのだろうか。
「その話は後でもできる。おい、忘れないうちにコイツに話しておいた方が良いって言っただろ」
唾を飲み、乙藤さんの話を待っていると、乙藤さんと同じく眉を顰めた状態の真琴さんが間に入ってきた。
そ、そうだ、さっき思い出したことを言っておかないと。
「あの、僕が家から逃げる前、自分の部屋に忘れ物をしたんです」
「…………忘れ物?」
「はい、僕の携帯なんですけど。ここに連れてこられる前、リビングで乙藤さんに会う前に自分の部屋を探したんですけど……携帯が見当たらなかったんです」
「っ!」
乙藤さんは、僕の話を聞くと息を飲んで驚いた。
そして、ゆっくりと口を開き、その名前を言った。
「緒方、緒方 輝夜」
乙藤さんが話し、初めて僕は
「少年、君の……君の家族を襲った 殺人鬼の名だ」
僕は殺人事件の犯人の名を聞いた。
▽ ▽ ▽
「ふ~~んふふ~~んふ~ん」
「今日はどうした、鬱陶しいほどに気分を高揚させて」
「だって、最近は本当に良い出会いがあって楽しいんだ、鼻歌もしたくなるよ」
「そうか」
童の目の前で、白いコートを身に纏った狂人が歌う。それはもう、本当に嬉しいのだろう、高揚するのだろう。
狂人は自ら持つナイフの手入れしている。殺人の道具だ。
それを観察している童の目に、狂人の腕や顔が映る。その肌は病的に白く、まるで患者のようだ。
「どうしたの?」
観察していた童に狂人は気付き、近づいてくる。
狂人の目は赤く、メラニンの欠乏しているアルビノ患者であることが良くわかる。本人もそうだと言っていることから間違いはない。
狂人は童に近づくにつれ、その口の端を上げていく。童の傍まで来るころには満面の笑みを浮かべるまでに至っていた。
「ねぇ、癒深ちゃん」
狂人の目に映る童は、狂人の明るい目とは対照的に暗く、一切の光が灯っていなかった。
それを見る童は
「なんでもない、緒方」
目を瞑った。