第一話:優しき過去
それは、過ぎ去った時、愛しく優しい記憶。
闇よりも深い青みがかった黒髪と黒曜石の瞳を持つ初老の男性が家の柱にもたれて、庭を見ている。
その視先の先に居るのは、男性と同じぐらいの年齢の女性とまだ三、四歳ぐらいの男の子だった。
女性は明るいブラウンの髪を結い上げ、自分の服を掴んでいる子供を見てセピア色の眼を細めている。子供は男性と同じ黒髪黒瞳で、女性とよく似た顔立ちをしていた。
夕焼けの空をトンボが飛び回っている姿を子供は熱心に目で追っていた。
女性がふと思いついた顔で腕を伸ばし、指を上に向ける。
すると、その指にトンボがとまった。
「わぁー。すごい。おばあちゃんそれってどうするの?僕もやりたい」
トンボが自分からやって来たことに驚いて、自分もしたいとねだる子供に女性は苦笑しながら膝を折って目線を合わせる。
「そんなに騒いでいては、トンボは近付いてきてくれないよ。優しく、心で呼ぶんだよ」
「心で呼ぶ?」
「そうだよ。命あるものには魂があり、心がある。ひとつひとつが違うものだけど、必ずあるんだよ」
子供は首を傾げながら女性を見上げている。そんな子供の様子を見て、クスクスと笑いながら女性は優しく子供の頭を撫でた。
もう、戻ることのない光景は優しく、愛しく、切ないものだった。