最果てを目指して─────
身体が熱を帯びていく。
比喩ではなく、物理的に。
「うっ……」
鋼助が薄目を開けたなら、そこには自分の手をキツく握るアミの姿があった。寝かされた自分は、彼女によって治癒されているのだろう。
ブループリンセスとしての、因子を活性化させる力。それのおかげで、自分は腹の傷も完治し、こうして意識をクリアに保てているのだ。
「アミさん……すいません……また心配かけちゃいましたかね」
半笑いで誤魔化そうとするも、そうは問屋が卸さない。
アミはムッと頬を膨らませて、
「本当ですよ、もう! また蛍さんに怒られても知りませんからね!」
うっ……それを言われると、返す言葉もない。それでも、キツく結ばれていたアミの表情は次第にほつれていって。
「けど、嬉しかったですよ。鋼助さんが私たち皆のことを助けに来てくれて、そして、ホワイトエッジともわかり合ってくれて」
横目をやれば、そこにはレッドハンマーや、彼女が説得してくれた他の被験者たちの姿もあった。
そして、そこにはバツが悪そうに控えるホワイトエッジの姿も。
「これで要救護者は全員か」と尋ねれば、レッドハンマーが「そうよ」と短く返してくれた。
その言葉を聞いた途端、鋼助の全身から力が抜ける。
「はぁぁぁぁ、よかったぁぁぁ!!」
それは心の底から出たもので。緊張からの解放から、鋼助は内から湧き上がる安堵にどっぷりと浸かり込む。
あとは、海中で待機している先輩たちの誘導を頼りに〈こんぺき〉に上がるだけでミッションコンプリートだ。
勿論、今後のことは考えなくてはならないだろうけれど、それでも、ようやく救いを求める声に応えることができたのだ。
「アミさん、それに皆も。あともうちょっとだけ頑張ってくれよな」
鋼助も上体を起こし、この忌むべき研究施設から立ち去ろうとするも────それはほとんど同時に起きた。
いつか施設の天井が崩れた時のように、またも全員の頭上に亀裂が走る。そして、雪崩れこんでくるのは瓦礫と、濁り切った海水だ。
「くそっ!!」
咄嗟に動くとともに、活性化した黒鮪の因子が躍動。体当たりで全員を弾き飛ばすことで、あの時の二の舞いこそ避けられたものの。
「……悪ぃ、鋼助……しくじった……」
流れ込む激流と共に叩き付けられたのは、海中で誘導役を務めてくれているはずの先輩たちの一人だった。
彼は苦しげに呻いて、気絶する。
そして、彼が叩き付けられたからには、それをやった敵対者がいるはず。
真上に開いてしまった切れ間から、海水と共にゆっくりと降りてくるソイツはウェットスーツと酸素ボンベを背負い、その手には対ハイドラ用にチューンが施された水中ライフルを握り締めている。
特務海上保安庁・第一戦闘隊の標準的な装備だ。
ソイツはゆっくりとゴーグルを外し、素顔を明らかにする。
白髪混じりになってなお、その迫力を失うまいと獅子のように逆立てられた髪。それに相手を睨みすえる迫力は老兵になってなお、損なわれる気配もない。
「義父さん……」
玄野壮一。養父でもある彼との再会はなにか言葉を交わす余裕さえなかった。照準を定めるのが早いか、彼が躊躇なくライフルの引き金を引いたのだから。
乾いた炸裂音。それに次いで放たれた弾頭は、アミを庇おうとしたホワイトエッジの背へと着弾する。
「ぐっ……!!」
彼女の痛々しい呻き声。そして、頬に付着したこれは、飛び散った彼女の鮮血だ。
「な、何やってんだよ⁉ 義父さん⁉ そもそも何で、アンタがこんなところに、」
「動くなッ!」
一喝と共に、その銃口は鋼助へも向けられる。
「動くなよ、鋼助……〈こんぺき〉並びに第六救命隊の総員は、我が第一戦闘隊と交戦中。和明艦長らが未だ決死の抵抗を続けているが、戦闘練度の差は明確だ。もう間もなく決着もつくだろう。そして、俺はここにいるRe計画の生き残りたちの身柄を預かりにきた」
全てをぶち壊すように現れた育ての親に、第六の皆に危機が迫っているという事実。
それらの情報を殴りつけられるように押し付けられた鋼助は、うまく言葉を続けられなかった。
けれど、アミを撃たれ、それを庇ったホワイトエッジが血を流した。────その一連の流れに、レッドハンマーが激怒しないわけがないのだ。
「あはは、私たち身柄を抑えに来たですって……笑わせないでよ、『ぶっ殺し』に来たの間違いでしょ?」
レッドハンマーが大槌を形成すると共に、控えていた被験者たちもそれぞれの因子を発現させる。
「けど、御生憎サマ。貴方一人に殺されてやるほど、私たちも大人しくないわよ」
対して、壮一も片手でライフルを構え直し、フリーになった手で因子の起動剤が詰まった注射器を握る。
「あぁ、それで構わないさ。元より〈EXD手術〉の燃費の悪さで、オリジナルにも近いRe計画に勝るわけがないのだからな。ただ、俺には刺し違えてでも、貴様ら全員をここで抹殺する義務がある」
壮一が冗談を言うタイプの人間でないことを、共に過ごした時間が最も長い鋼助は直感で理解する。
彼が口にする言葉はどれも本気のものであり、なおも海水が流れ込む最中、双方の間に張り詰めるのは一触即発の空気だ。
しかし、ならばこそ鋼助には問い正さなくてはならないことがあった。
「なぁ、ちょっと待ってくれよ!!」
一発や二発程度なら、再生力任せで強引に動ける。撃たれる覚悟で、レッドハンマーと壮一の間へ割り込んだ。
躊躇からレッドハンマーたちが足を止める一方で、壮一の指が引き金から離れることはない。ただ、黙々と照準を直すだけだ。
「ッッ……義父さん。……一つ聞かせてくれよ。皆の身柄を貴方に引き渡したとしてさ。その後、皆がどうなるのか、貴方は本当に分かってるのかよ!」
「当然だ。彼女らには申し訳ないが、Reデザイン計画のことや、ハイドラに関する真実は全て、深い海のそこに沈めていなくてはならないからな」
「なんだよそれ⁉ そんなに国の秘密や、お偉いさんの立場を守ることが大事なのかよ! こっちは命の話をしてるってのに!」
「お前こそ、勘違いするなよッ! 俺だって命の話をしているんだッ!」
壮一の言葉はどれも氷のように冷淡だと言うのに、その芯にはどうしようもなく熱が込められていた。
「お前だって、子供の頃散々ニュースで見てきたろ? ハイドラが世界中でどれだけの被害を出してきたか。訓練校ではハイドラの起こしたバイオハザードで国が滅んだ事例についても学んだはずだ。……浄水システムの整っているこの国では忘れられがちだが、世界は銀色の海と、そこから化け物どもへの恐怖と怨嗟で満ちている。そんな中でだ、全ての真実が白日の下に晒されたなら、どうなるか?」
────世界中のヘイトが全て、我が国に向けられることになるんだぞ。
そうなれば、どうなるか? 外交上の全てに問題が生じ、下手すれば憎しみのまま攻撃の対象になるかもしれない。
それらの最悪な可能性が確かな現実味を帯びて、鋼助の胸にも突き刺さる。
「そんなこと……俺だって考えなかったわけじゃねぇよ! ……けど、だからって、アミさんたちを闇に葬ろうとするのは間違ってる!」
「いいや、お前は何も分かっていないッ! 俺は特務海上保安庁所属・第一戦闘隊の隊長だ。俺には、例えこの手をどれだけ血に染めようと、あらゆる脅威から国民の生活と財産を死守する義務があるッッ!!」
壮一の発言は徹頭徹尾、組織に従うものとして間違っていない。
けれど、そこまで言い切るのなら────
「じゃあ、どうしてだよ……どうして義父さんは、一〇年前、俺を救ってくれたんだ⁉」
他ならぬ自分だって、Reデザイン計画の生き残りなんだ。アミたちが生き証人であるように、自分もまた政府の失態を証明する国家にとっての不安材料であったはず。
姉崎のような監視がついていたとはいえ、自分だけがどうして生きるのを許されてきたのか?
例え、若かりし日の壮一が何も知らずに偶然自分だけを助け出したとしても。それでも里親として自分を迎え、今日まで庇い立てながら育ててくれた以上、中途半端な言い訳では許さない。
「皆を殺処分するって言うのなら、俺だってそうならなきゃおかしいだろ!」
鋼助は感情を爆ぜさせるように叫んだ。
壮一の表情も、ここにきて僅かに歪むも────
「あの頃は俺も若かったからな……俺の元でなら、お前一人くらい庇い切れると思ったし、救わなくてはならないとも思った。……ただ、今でも時折考えるんだ。お前を一人救おうとすることもすなわち、日本国民全員を危険に晒すことと同義。では、その若かりし日の決断が本当に正しかったのか、と」
「なっ……」
「俺は義父として、お前の成長を嬉しく思っているよ、こんなに不器用な俺の元で、よくここまでまっすぐ育ってくれたとな。ただ、特務海上保安庁としては、失敗だった。玄野鋼助……いいや、CODEブラックミサイルッ! 今の貴様も、俺にとっては国家治安を脅かす不穏分子の一人でしかないッッ!!」
またも、壮一のライフルが銃声を響かせる。
それは、鋼助の肉を引き裂き、跪かせるのに十分な威力をしていた。
「貴様ら、第六のとった行動のおかげで我々もこうしてReデザイン計画の生き残りたちの所在を知ることができたんだ。だから、今日で全てを終わらせてやる」
「ッッ……玄野壮一ッッ!!」
いつかは育ての父とも、その蟠りを清算しなくてはと、自覚していたけれど。
途端に記憶の中を巡るのは、彼と過ごした日々だった。愛想もなく、投げかける言葉は厳しいものばかりだった彼。それでも鋼助は、彼がどれだけ自分のことを気に掛けてくれたかを知っている。
そして、そんな彼の元で育てられたからこそ、彼にも認めてもらえているようになりたかったんだ。
ただ、そんな願いももう叶いそうにない。
玄野壮一は立派な父であると同時に、立派な特務海上保安庁の人間でもある。若かりし日より歳を重ね、成長した彼はもう同じ過ちを繰り返すつもりもないのだろう。
彼もまた自分やホワイトエッジの同類であった。
己の定めた矜持のためならば、どこまでも本気になれる。それは尊ぶべき命を守るため。
「……けどさ、やっぱり、納得できねぇよ」
ならば、鋼助はどうするか?
たとえ、壮一を打倒し〈こんぺき〉まで上がれたとしても、そこには第一戦闘隊の〈あかつき〉が待ち構えている。
あの船と真正面から撃ち合ったとして、そもそもの用途が違う〈こんぺき〉では万が一にも勝ち目がないのだ。
万事休す。────そんな言葉が頭を過ぎるも。それでもなお、鋼助は想起し続けなければならない。
「イメージしろ……イメージするんだ」
自らの中に眠る因子を御しきるにはそれしかないんだ。「誰もが救われる結末」を思い描き、それに賭けるしかない。
「俺だって、助けるって約束したんだからッッ!!」
双眸の色が、一際赫く燃え上がる。
「飛魚×黒鮪──────」
◇◇◇
玄野鋼助改め────黒の衝撃、CODEブラックミサイル。
その身は、他のReデザイン計画の被験者たちともまた少し違っていた。
一つの因子しか埋め込めなかったホワイトエッジやレッドハンマーとも違う。そして、姫個体として特異因子を許容するアミとも違う、第二の特異性────ブラックミサイルの肉体は、どんな生物因子さえも受け入れ、適合してしまうのだ。
その生まれ持った体質ゆえに、本来なら拒絶反応が起こるであろう二重因子の組み込みに成功した。
完全防護や蛇腹拘束といった、元となった生物とは明らかに異なる形で、因子の能力をアウトプットできるのも、全てはその体質の柔軟さゆえ。
では、そんなブラックミサイルが本気で、自らと乖離したような姿をイメージしたらどうなってしまうのか?
◇◇◇
鋼助は思い描く。─────今の自分では皆を救うことができないから、これ以上誰も傷つけることなく、全てを救える自分の姿を。
身体の中で因子が暴れ狂っているのを痛感できる。筋骨が肥大化し、人間の形から外れていくも、今ならばそこに恐怖はなかった。
もしも、この場にREデザイン計画に携わった研究者の生き残りがいたのなら、その因子の躍動に目を剥いたことだろう。「こんなのは想定外だ」「いくら二重因子の特殊個体といえど、ここまでやれるなんて聞いてない」と。
その姿はやがて、飛魚や黒鮪からも外れ、異常なほどに成長したハイドラよりもさらに巨体な姿を発現させる。
一対の巨大な胸鰭を備え、海中の全てを睥睨するその姿は、まさに鯨類を筆頭とした「海獣」そのものだ。
誰もが、その巨体に圧倒される中、鋼助だった海獣は大口を開け、アミたち救護者を呑み込んだ。
そして、羽ばたくように鰭を翻し、深い海の底から上昇していく。
「待てッッ!! 鋼助ッッ!!」
父の声は聞こえていた。
けれど、もう止まれない。
────さよならだ、父さん。貴方がどう思おうと、それでも俺は貴方に救われたことを忘れない。
浮上するとともに、海獣の大口は〈こんぺき〉さえも一呑みにして。〈あかつき〉の砲火に晒されながらも泳ぎ続ける。
これが今の鋼助に思いつける、精一杯だった。
その内側には全ての救護者と仲間も格納しているのだから、止まるわけにはいかない。身体の中の因子が疲弊から擦り切れ、休眠状態に陥るまでに、海獣はひたすらにその身を躍進させた。
誰の手も届かない、そんな海の最果てを目指して─────。




