美しいバラにはトゲがある
壮一は白兵戦でこちらを制圧するつもりなのだろう。船は沈めず、火器の類も最後まで使わないつもりだ。
敵対者であろうとも、最小限のダメージで捕縛しようとする。それでいて容赦のない手段を選ぶのは壮一のスタンスの表れでもあった。
「……どこまでもバカ真面目なんだから」
和明は一人、甲板へと上がる。蒼く輝く瞳は、その因子が活性状態にあることを示している。
「〈こんぺき〉の大隈隊長ですね。速やかに武装を解除し、投降してください」
第一の隊員たちはすぐに和明の周囲を取り囲むようポジションを取る。人数差のアドバンテージを活かし、分厚い椰子蟹の殻を盾にしながら四方八方を塞いでみせた。
「あらあら、物騒なお客様たちね。断ったら私はどうなっちゃうのかしら?」
「ならば武力を持って貴方を取り押さえます!」
和明を取り囲む隊員のうち、二人が甲板をキツく蹴った。左右それぞれから挟み込むよう、和明に迫る。
「さて……どう捌こうかしら」
彼らの手術のベースとなった椰子蟹の挟力は、約三六〇キログラム。百獣の王たる獅子が咬合力にも匹敵する。
それが人並みのスケールまで拡大されているのだ。彼らの鋏に捕まれば、まず脱出は不可能であろう。
ならば、カウンター気味に打撃を捻じ込むか? しかし、それもアウト。
椰子蟹の甲殻は幾重にも層を成している。和明に埋め込まれた因子には、鋼助やレッドハンマーのような殻を破れるだけの攻撃力も、蛍のように殻の防御力を無視して海中に弾き出すようなパワーもない。
受けても、反撃しても、詰む。
「なら、私はッッ!」
和明が両腕を突き出した。真っ直ぐに伸びた両腕は迫る隊員たち、それぞれの外殻を掴むだろう。
そのまま和明は突進の勢いと、腰の捻りを利用し、二人の隊員を軽く躱してみせた。
「くっ……合気道の受け流しかッ⁉」
「ご明察。私は隊の中でも一番長い間、救命活動に努めてきたからね。だから、知ってるのよ」
敵の力を利用した受け流し術。それは理性を失い、本能のまま突撃してくるハイドラに対し、最も有効な防衛手段でもある。
和明は知っているのだ。強くなければ人を助けられないことを。
第六救助隊を組織するまでの間。幾つもの現場で、助けられたはずの命に手が届かないことを経験した。目の前でハイドラに救護者を喰われる度、自らの弱さを呪ったものだ。
「ふふっ……それがこんな形で役に立つなんてね。やっぱりウチの隊の皆ももっと身体を鍛えるべきよ! 蛍ちゃんは筋がいいけど、まだ硬いところがあるし。ドクターも適度な睡眠と運動をすべきだわ」
「このっ……!」
受け流した隊員の一人がこちらを睨んでいた。次は力任せに突っ込んだしない。「合気程度で受け流せると思うな」と、言いたげな表情だ。
だが、彼が和明に向かってくることはもうなかった。
「ふざけてなんていないわよ。まずは二人。案外簡単だったから、ちょっと余裕が出てきただけ」
「……は? 何を言って……」
隊員の足元がグラついた。初めは船が波に煽られたせいで、バランスを崩したかに思われた。しかし、それは違う。
筋肉が強張り、立っていられない。
全身を痺れに襲われ、彼はその場に倒れた。
「美しい薔薇には棘がある。レディに向かって猪突猛進なんて、無礼じゃない?」
大隈和明────ベース因子・虎河豚。
河豚が保有する毒物・テトロドキシンには青酸カリの五〇〇倍もの毒性があるという。しかしながら、その猛毒を河豚が生得的に保有することはない。
河豚は捕食した貝や海老などから毒性物質を体内へと取り込み、濃縮させながら蓄積させるのだ。
因子を発現させた和明もまた、その特性を引き継いでいた。接種した毒物や薬品を体内へと蓄積し、それを両掌に発現させた毒針から打ち出す能力だ。
「私の力は本来、怪我をした救護者に素早く麻酔を打ち込んだり、ブドウ糖を注入したりして疲労を回復させるためのもの。人命救助に特化したウチの隊らしい因子でしょ?」
だが、今回は違う。和明の中に内包されるのは、麻酔薬を元に濃縮された成人男性がギリギリ死なない程度の神経毒だ。
調合は無論、ドクター姉崎。その効き目に間違いはない。
「このオカマ野郎が……やってくれるじゃねぇか!!」
「あら……?」
口汚い隊員へ、和明が狙いを定める。
殻に覆われていない眉間を目掛けて、毒針を発射した。
「ぐっ……⁉」
「誰がオカマ野郎だって?」
椰子蟹の因子によってもたらされる甲殻は無類の防御力を誇る。しかし、それは広範囲に及ぶ衝撃や打撃に対して。
一点を貫く和明の針による一撃とは、極めて相性が悪いのだ。
「これで三人。さて、残りの皆さんはどうするのかしら?」
和明は残った隊員たちへ向き直る。
「どうするというのは……?」
「私たちは人命救助のためにこの場に来ているの。正直、無駄な怪我人も増やしたくない。だから貴方たちの発言をそっくりそのまま返してやりたいんだけど」
「ハッ……誰が。それに俺たちは知っているんだぞ、お前の因子の弱点を」
Reデザイン計画のデータを転用し、急遽完成された〈EXD手術〉は万能とは程遠い。身体への負担を減らすため簡略化された手術では、得られる恩恵もそれ相応のものとなる。
「確かに虎河豚の因子は、毒物や薬品を操るだけに留まらず、針を発射すれば中距離にも対応できる優秀なものだ。だが適合者は少なく、内包する毒物の量にも、それを打ち出す針の数にも上限がある」
針の残弾数はその日の隊長にもよるが、およそ二十本程度。そのうち三本を使い、さらに四本で残った隊員たちを黙らせるつもりだった。しかし、乗り込んでくる第一の隊員は彼らだけではない。
彼らは先鋒。言うなれば、こちらの戦力を推し量る目安といったところか。
こちらの大まかな戦力を把握された今、第三、第四波と。彼らの母艦とも言える〈あかつき〉からは次々、隊員が押し寄せてくる。
「……悔しいけど、正解よ」
「長期戦になれば、有利なのはこちらの方だ。だから、ここで大人しく投降しろ」
「へぇ……それじゃあ、まとめて一掃すればいいってことよねッ!」
和明の背後に、巨大な触腕が現れ、うねった。
ベース因子・大王烏賊。────デタラメに蠢くそれは、和明だけを器用に避けて、残った隊員たちをまとめて海へと薙ぎ払う!
「ウソ、これって……まさか⁉」
和明が振り返れば、そこには見知った彼女が立っていた。
全身に巻かれた包帯を煩わしそうに剥ぎ取って、宝条蛍がニッと笑みを浮かべる。
「大まかな事情はドクターから聞きました。宝条蛍、ただいまより職務に復帰します」
「蛍ちゃん……傷は! 傷は大丈夫なの⁉」
「あの程度、擦り傷ですよ」
そう言いながら、蛍は額に嫌な汗を滲ませていた。その様子を見れば、制止する姉崎を振り切ってきたのだろうと容易に想像がつく。
しかしながら、彼女がこういった状況で一人じっとできるわけもなく。
「隊長。現状の説明を」
「はぁ……私たちは、第一戦闘隊と交戦中。間も無くして、この海域に潜んでいるハイドラとも交戦になるだろうから、なるべく隊の消耗は避けたいの」
「だから隊長一人で前線に立っていたんですね……そっちこそ、無理のしすぎですよ」
「今の貴方にだけは言われたくないんだけど」
二人はそのまま背中を合わせるようにして、死角を潰した。
「第三波には私の毒と針で対処する。その間に貴方は触腕を休めて。それから傷が開くような無茶はしないでね」
「了解です。ですが、無茶をしないというのは、約束しかねますね」
蛍は自嘲気味に笑ってみせる。
「レスキュー活動において、無茶をしたり、命を賭けることでしか誰かを助けられない救助隊員は二流」という矜持を曲げてまで、この場に立っていることが彼女自身もおかしかったのだ。
ただ。今だけは二流に成り下がろうと、やり遂げなければならないことがある。
「鋼助くんが。私の可愛い後輩くんが、アミちゃんを助けようと必死になってるのに、休んでなんていられませんから」
「貴女……今、鋼助くんって」
蛍は鋼助のことをいつも「新人くん」としか呼ばない。
和明はそれを、「彼女がずっと鋼助のことを半人前とさえ認めていないから」だと解釈していた。
だが、それは誤りだったようだ。
「内緒ですよ。彼は何よりも人命を優先できる優秀なレスキュー隊員ですが、下手に褒めすぎると調子に乗せてしまうので」
少し恥ずかしげに、それでも蛍は鋼助のことを自慢げに語る。
「それもそうね。あの子は特に鍛え甲斐があるんだから」
上がった水柱に向けて。和明は研ぎ澄ました針を放つ。
「だから早く戻って来なさい、アミちゃんたちを連れてッ!」




