ディープダイバー(2/2)
汚染海域の中は冷たく、視界も悪い。
海中へと身を投げれば、飛沫と共に無数の気泡が当たりにまとわりついて。その気泡が一つ、二つと消える度、自分の身体はさらに深くへと沈んでいった。
「……」
水圧によって、肺を抑えつけられる圧迫感。
全身を包む粘性の海水。
ここに無数のバクテリアが溶け出していると思うと、五感全てが不快感に包まれる。
「聞こえるかしら」
いつかのように、脳内に反芻したのはレッドハンマーの声だった。
Re計画の被験者同士は、脳波を介することで水中でも意思疎通をとることが出来る。その声には、アミの持つような命令権こそないものの、それでもコミュニケーションを取り合うには十分だ。
「あぁ、聞こえてるぞ」
「それじゃあ、せいぜい遅れることのないよう着いてくることね」
案内役を務める彼女が先陣を切って、より深くに潜航した。鋼助も両腕にブレード状のヒレを、足にはダイバーフィンのような形のヒレを形成し、その後を追う。
耳を澄ませば……正確には脳内に反芻する声に意識を集中させればだが、レッドハンマー以外の声も聞こえた。
無数のざわめき。これこそが取り残されたRe被験者たちの声だ。
『アンタにも聞こえるでしょ、アタシたちの声が。この声の中からブループリンセスの……ううん、アミの声を探し出すの』
司令塔でもあるアミの声は、この無数の声のなかでも一層によく通る。そして、その声こそが、彼女の居場所を知るための唯一の手掛かりでもあった。
鋼助は銀水を強く掴み、掻き出す速度を上げた。その声を聞き逃さないよう、より鋭く意識の先端を研ぎ澄ます。
『──て』
どこだ?
『────けて』
どこにいるんだ?
『──────助けて!』
どこだッ! どこにいるんだッ!
◇◇◇
「行ったようね」
海中へと身を投じた鋼助たち救出チームを見送って。艦橋に残った和明は小さくつぶやいた。
「さて、それじゃあアタシたち護衛チームも本当の仕事に取り掛かりましょうか」
自分たちの役割は迫り来るハイドラ達から〈こんぺき〉を守ることだと、鋼助たちには説明した。だが実際は船がハイドラに襲われるまでに、ある程度の猶予が確約されている。
海中に潜むハイドラが、刺激され船に寄ってくるまで、或いは潜航した救命チームの気配を悟られるまで。その猶予の時間にこそ、和明率いる護衛チームには本当の役割があった。
「隊長。六時方向に第一戦闘隊の船を捕捉しました」
「やはり、貴方が来たのね。玄野隊長」
索敵オペレーターがレーダー上で近づいてくる船舶を捉えた。第一戦闘隊の保有する大型駆逐艦〈あかつき〉だ。
日本をぐるりと取り囲んだ天柱型浄水システム〈みずかみ〉には、領海に侵入しようとするハイドラを捕捉するためのレーダーが備え付けられている。他をどう誤魔化そうとも領海の外に出ようとした時点で〈こんぺき〉は、このレーダーに捕捉されていたのだ。
そうなれば当然、追手を差し向けられる。
その追手から、鋼助たちの帰り着く〈こんぺき〉を守り通すことこそ、和明たちの本当の役割なのであった。
「回線を開くよう、要求されていますが」
「構わないわ。つないで頂戴」
僅かなノイズのあと、〈あかつき〉との回線がつながる。
「お前たちは自分たちが何をやっているか、分かっているのか?」
開口一番にして、随分と横柄な物言いだった。
向こうから聞こえる声は隊長である壮一のものに違いない。それでいて聞こえる声には、通信越しでも緊張する程の威圧感が滲んでいた。
「あらあら、これは玄野隊長殿。私、第六救助隊一同は長期休暇をいただいて、遠征クルージングに出ていたのだけど。そちらの皆さんもこんなところに来るなんて。こんな偶然もあるのかしらね!」
「……とぼけるなよ。お前たちの狙いはこの下に取り残されたRe計画の証拠を押さえることだろ」
嘘を見抜かれた和明は、ワザとらしく「べぇ」と舌を突き出した。
「そうだけど、ひとつ訂正させて貰えるかしら。私たちが押さえに来たのは証拠品じゃなくて、救護者よ。……そこんとこ、吐き違えてんじゃねぇぞ」
ドスの効いた声は、苛立ちの現れか。
「その様子だと、全部を知っているようだな」
「あら、そちらこそ」
第一戦闘隊はハイドラの脅威に対抗するため、特務海上保安庁の設立と同時に編成された最古参の行動隊だ。隊員の多くも壮一と同じように元海上保安庁の人間が過半数を占めている。
そうであれば当然知っているだろう。当時、この海の真ん中で何があったのかを。
「すでにお前たちのやっていることは隊務違反の範疇を超えている。もしも、この場で投降しないのなら、我々も武力をもって制圧せざるを得ないことになる」
「構わないわよ。私たちはハナっから、そのつもりなんだから」
十年間だ。
この暗い海の底で十年も助けを待ち続けた人間を無視できるほど、和明は冷酷になりきれない。
「お前たちは分かっていない。あの被験者たちを救おうとすることが何を意味するかを、」
「パンドラの箱だったかしら? ご生憎。こっちだって自問自答の時間は済ませたの」
和明は通信機を手に眼差しを細めた。それは向こうの船に乗る壮一も同じだ。
二人の隊長は互いの譲れないもののため、姿が見えずとも睨み合う。
「情で動いたとして。それが誰かを救える結果になるとは限らない』
「あら。それを貴方が言うのかしら? そもそも誰かが行動を起こさなきゃ、人を救える結果にもならないのに」
交渉は決裂だ。しかし、これは分かり切っていた結果でもある。ならば二人とも、撃鉄を落とす覚悟だってとうに済ませていた。
「「────総員戦闘配置ッ!」」
途端に〈こんぺき〉のレーダーが、迫り来るシルエットを捕捉する。
「〈あかつき〉から何かが発射されました! 数は三。凄まじい速さで接近しています!」
「魚雷……ううん。違うわね、彼らは」
近づくシルエットは〈こんぺき〉と接触する直前で、急浮上する。
銀の水柱を上げて。第一戦闘隊の隊員たちが甲板に乗り上げた。
「ベース因子・椰子蟹。パワーとスタミナに特化した戦闘特化の〈EXD手術〉ね」
その全員の体中が分厚い甲殻によって覆われている。両腕に発現した巨大な鋏は、鉄板であろうと軽々引き裂いてしまうだろう。
陸棲甲殻類のみならず、陸上生活をする節足動物から見ても最大級のスケールを保有する椰子蟹。その因子を埋め込まれた彼らの姿は、堅牢な装甲車を思わせた。
「第二派来ます!」
またも水柱を上げて、今度は四人の隊員たちが〈こんぺき〉へと乗り込んできた。
第一戦闘隊は、その名が示す通りハイドラとの戦闘に特化された部隊。戦力も実績も組織内、最強────今、政府が動かせる駒の中で、最も確実に和明たちを潰せる駒だ。
人命救助に特化し、新設されたばかりの第六救助隊では、保有する戦力も隊員の練度も遥かに劣っている。
半分以上の隊員が船を降りた今の第六救助隊に、この状況を覆せる人員はいない。
「あら、コレって詰んでないかしら?」
ただし。────それはある隊員を除いての話だ。
大隈和明。その中に宿る因子ならば、この逆境を覆せる。
「……仕方ない。……久々に暴れちゃおうかしら」
強面な顔に狂暴な笑みが宿る。因子の起動剤を手に、和明は席を立った。




