姫君の名
男物の下着であれば、適当なものを買うだけでいい。実際、匂いがキツくなってすぐに捨ててしまうからと、百均で済ませている隊員が殆どだ。
だが、女性にとって下着とはデリケートなもの。わざわざ米印で「可愛いもの」と注意書きされた以上、適当なものを買い揃えるわけにもいかなかった。
そんなわけで、ランジェリーショップに立ち寄ったのだが。
「な、なんなんだ、この空間は……⁉」
鋼助にとっては何より縁遠い店舗だ。緊張で額には嫌な汗が浮かんでいるし、姫様はその愛らしい外見のせいでとにかく目立つ。気付けば自分たちにはフードコート以上の人目が集まっていた。
彼女を監査の目から隠すためにやっている偽造工作のはずが、何故こんなところで注目を集めているのだろうか……
「こういう状況になるんだったら、絶対に同性の蛍先輩やドクターの方が適任だったよな……」
普段から苛烈な訓練を押し付ける蛍はともかくとして、ドクターのことをここまで恨めしく思ったのも初めてじゃないだろうか。
「あの、コースケくん……これはどれを選べば良いんでしょうか?」
「えっ……」
姫様の思わぬ問いかけに鋼助は絶句する。当然ながら鋼助がそんな質問に答えられるわけもなく
「あ、えっと、その……」
どうしたって、しどろもどろな対応になってしまう。
しかし、姫様の表情は真剣そのものだ。
「えっと、あれ! ……とかでしょうか?」
その視線から逃れるため、反射的に指をさしてしまった。
「アレですか?」
鋼助が指をさしたのは、ピンク色のフリルが付いたもの。果たして、これが正解なのだろうか。その隣の黒い紐みたいなヤツよりはマシだと思うが、果たして。
「と、取りあえず試着した方がいいかと……」
「試着ですね。分りました!」
どうやら、姫様は気に入ってくれたようだ。下着を手に、そのまま試着室へと走って行く。
取り残された鋼助からは、肩に張っていた力が抜けていた。自嘲気味に変な笑いを零してしまう。
「はは、やっぱりこういうのは、向いてないな……」
試着室の前で姫様を待っていると、「本日ご来店いただき」という定型文と共にアナウンスが流れてきた。
「迷子のお知らせです。ヒーローもののリュックを持った小学一年生程度のお子さんが、サービスカウンターにてお父様をお待ちしています。お心当たりのあるお客様は、」
何気なく鋼助は、そのアナウンスに耳を傾けていた。残念ながら、迷子の子供の父親に心当たりはない。
しかし「お父さん」という単語はどうして気になってしまう。
「父さんか……そう言えば、俺も迷子になったことがあるんだっけ」
いつだったかは忘れてしまったが。普段は口数も少なく、表情の変化にも乏しい壮一が、血相を変えて、自分を見つけ出してくれたのだ。
かなりキツめに叱られてしまったので、迷子になったこと以上に怒られてしまったという記憶の方が、強く印象に残っているだろう。
「ほんと、あの人は何を考えてるんだろうな」
ポツリと漏らしたその言葉には皮肉だけでなく、どこか寂しげな感情が混ざっていた。
「コースケくん」
不意に扉を一枚隔てた向こうから呼ばれた鋼助は、慌てて聞き返す。
「は、はい! 試着は終わったのでしょうか!」
「終わりましたよ。けど、これであっていますか?」
試着室のドアが開け広げられる。
「ちょっ⁉」
そこには、当たり前に姫様がいる。まだ、そこまでなら良かっただろうが、問題はその格好とサイズだった。
同年代の少女の下着姿というだけでも、鋼助をノックアウトするには充分すぎる刺激だ。それなのに、ブラはそのサイズが大きすぎるために全くその機能を発揮していない。
しかも、彼女はそれを支えようと前屈みになっているのだから、隙間からは形の良い胸が零れそうになってしまっている。
鋼助が顔を赤くし固まっていると店内のいたるところから 「ねぇ、なにあれ?」「やだ、変態よ」「どんなプレイだよ」という問答無用なヤジと、蔑むような視線が飛んできた。
「似合いますかね?」
「似合っていますッッ……だけど! なんで、ドアを開けるんですかッッ!!」
ほとんど力任せに試着室のドアを閉める。
「俺は何も見ていない! 俺は何も見ていない!!」
必死にそう言い聞かせたが、あの姿は鋼助の脳裏にしっかりと焼き付けられてしまった。
◇◇◇
結局、下着は店員の助言を頼りに必要な分を買い揃えた。
思わぬハプニングこそあったものの、これでリストもほとんど埋められたはず。そのままモール内をブラついていると、不意に姫様が足を止める。
そこは、書店の前だった。
「あっ────」
店頭に出されたワゴンコーナーが目に止まったのだろう。
鋼助も傍からワゴンを覗き込めば、そこに平積みされるのは、どれも売れ残っていそうな古い書籍ばかりで、ジャンルもバラバラ。娯楽小説から、何らかの専門書までもが小高い山を築いていた。
姫様はその山の中から、数冊の本を手に取る。
「えっと、そういう難しそう本が好きなんですか?」
「いえ……そういうわけではないんですけど。私……この本をどこかで見たような気がして」
『生物の到達点』
『遺伝子操作の果て』
『人体の限界』
生物学系の本だろうか? 彼女が手にした本のタイトルはどれも、同い歳くらいの少女が読むものとは思えないほど仰々しいものである。
「……すいません。……やっぱり私の記憶違いかもしれません」
笑顔で誤魔化しこそしていたが、姫様の表情にはどこか焦りが滲んでいるようにも見えた。
続く彼女の言葉にも、どこか自分を責めるようなニュアンスが入り混じる。
「早く思い出さなくちゃいけないのに……そうじゃなくちゃ、コースケくんや皆さんにもまたご迷惑を、」
「あの、姫様。少しよろしいでしょうか」
彼女の言葉を、鋼助が遮る。
「俺たちは、困っている貴方の力になりたいと思っているんです。だから、そうやって自分を責めたりしないでください。」
その言葉は、姫様にとって予想外のものだったのだろう。驚いているようで、それでいて呆けているような、曖昧な表情を浮かべてしまう。
そんな姫様に、鋼助は屈託のない様子で言葉を続けた。
「それに記憶なんて、そのうち思い出すもんですよ! まぁ……同じく記憶喪失のままの俺が言うんじゃ、説得力のカケラもないかもですけど……」
「えっ、ちょっと待ってください⁉ そんなこと一言も聞いてなかったんですが、コースケくんも記憶喪失なんですか⁉」
姫様が少なからずの戸惑いを見せる。そういえば、伝えるのを完全に忘れていたような気が。
「あれ……言ってませんでしたっけ? ま、まぁ、とりあえず! 俺の方がこと記憶喪失に関しては姫様より先輩なんです! そんな俺が言うんですから! 安心してください!」
今のアドバイスに果たして安心できる要素はあっただろうか。咄嗟に出た言葉は、自分でも的外れだと分かってしまうような残念極まりないものだった。
しかしながら、
「ふふ。何ですか、記憶喪失の先輩って」
すぐに訂正しようと焦るも、返ってきたのは意外にも好意的な反応であった。
声は抑えるようにして、けれども彼女は楽しそうに笑う。
「でも、そうですね。思い出すのに、焦りは禁物かもしれません。先輩のお言葉、確かに受け取りましたよ!」
そう言って、もう一冊。今度はワゴンの中からではなく、児童書コーナーから本を手にして戻ってきた。
彼女が大切そうに抱えるのは、先ほどの難しそうな本とは打って変わり、幼児向きの絵本であった。
「私。この本も、覚えてるような気がするんです! 海の中で暮らしている女の子のお話でしたよね」
『人魚と海のお城』────彼女が抱き抱えていたそれは、どこの書店でも取り扱われているありふれた絵本だ。
汚染海域が広まり始めた頃には、色鮮やかかつ繊細なタッチで表現された青い海の描写が評価され、市場から姿を消したこともあったが、今ではそれもすっかり落ち着いている。
「この本なら俺も、知ってますよ。病院かどっかで読んだような。確か……でっかい貝のお城には悪い魚たちに捕らわれた人魚姫様がいて、最後は人間の王子様が囚われの姫様をカッコよく助け出すってお話だったような」
「そうです! そんな感じのお話です!」
彼女から本を受け取って、ペラペラとページを巡りながら内容を確認する。内容は概ね、鋼助が語ったものと変わらない。
ただ、そこに描かれる金髪をした人魚の姿が、目の前の少女と妙に重なって見えた。
「あっ、ここ!」
姫様がページを指差すのに、鋼助は思わずハッとする。自分の手にした絵本を覗き込むような彼女の顔が、いつのまにか随分と近くにあったのだ。
「綺麗ですよね。青い海は────」
深い青で彩られたページには、ところどころに白が散っている。様々な生き物が泳ぎ、どこまでも澄み渡った海中の一枚絵に、彼女は目を奪われていた。
しかし、そこに描かれる情景は、もう絵や写真の中でしか見ることのできない〝過去〟のものでもあった。
領海内こそ天柱型浄水システム〈みずかみ〉によってバクテリアの汚染を免れているが、その向こうは悪趣味な銀で濁っている。
そして、潜んでいるのは歪に肥大化した「ハイドラ」の名を冠した化け物どもだ。
「コースケさんは海が好きですか?」
「えっ……」
唐突に投げかけられた質問に、鋼助は答えを詰まらせる。
「……どうなんでしょう……俺もハイドラは嫌いですし。正直、潮の香りもあんまり」
汚染海域がバクテリアとハイドラの坩堝である以上、鋼助に限らず「海が好き」と答えられる人間の方が少ないのだろう。
それでも鋼助の答えに、姫様は物憂げな表情を伏せた。
「私は好きですよ。海は確かに恐いところです。けど、やっぱりこの絵本みたいに、青い海は綺麗だと思うから」
彼女の目には、もう届かない場所への強い憧れがあるように見えた。
そこでふと、鋼助の頭にアイデアが浮かぶ。
「……青い海……青い海────そうだ、『アミさん』というのは、どうでしょう!」
「えっ」
「名前ですよ! ほら、自分で言ってたじゃないですか、名前を決めて欲しいって。だから、本当の名前を思い出すまで、青い海と書いて『青海』ってのはどうですか?」
由来を説明しながら段々と、鋼助は自らの頬が気恥ずかしさから熱くなっていることに気付いた。それは彼女も同様に、両頬がポッと紅くなる。
「もしかして……お気に召さなかったですか?」
「ううん! 青い海と書いて、アミ。すごく気に入りました!」
彼女はその場でくるりと回り「改めまして」と鋼助の方へと向き直る。
「改めまして、アミと申します。よろしくお願いしますね、コースケくん!」




