黒鉄の父
こういうことを引き合いに出すのは、組織人としては不適切かもしれないが、時代の節目には奇妙な噂が蔓延する時期がある。
現代であれば、汚染海域の拡大と、それに伴う他国との関係性の変容。そんな変革期に流布される噂は、カルト的なものから、迫真の陰謀論と多種多様で。────その中には例に漏れず、特務海上保安庁に関連するものだってある。
「特務海上保安庁設立の裏には、なにか公にできない真実がある」
「奴らは裏でハイドラを捕獲し、生物兵器にすべく調教を施している」
だなんて、その大半が言いがかりのようなものばかりな上に、為すべきことを為すべく、我が身を捧げてきた組織を疑いたくもない。
ただ、組織に属して初めてわかることもある。
この組織はあまりに広大なのだ。それこそ清廉潔白の裏側で、なにをやっているか分からないくらいには─────
それは和明自身も同様であり、「問答無用で、彼女を引き渡せ」という異例の理不尽な要求から、少女を匿うべきだと思っている。
事実、鋼助と同じ猜疑心を抱いて、隊長室に直談判に訪れる乗組員たちは多かった。
しかしながら、比較的新しく編成された第六救助隊には、組織内での政治力が足りていないのも、また事実。もし馬鹿正直に上層部からの要求を拒んでしまえば、強引な手段を取られることだって目に見えている。
だから、自分たちが選べる現状での最適解は、「少女なんて知らない」とシラを切り通し、稼いだ時間で少女の正体と、上層部の真意を探ることだった。
幸いにも和明は、組織を既に退役した、多くのベテランOBたちと今でも交流がある。昔は「和チャン」と随分かわいがってもらったのだ。隠居生活に勤しむ彼らならきっと、調査にも協力してくれることだろう。
勿論、「自分たちの心配し過ぎでした。てへっ!」というオチが一番だろうけど。
「……だけど、そう上手くもいくわけもないのよね」
甲板から港を見下ろせば、黒いスーツに身を包む数名の男たちが見えた。招かれざる客とは、ああいう連中のことを言うのだと。内心でそう噛み締める。
黒スーツたちは、上層部の派遣した監査の連中だ。
彼らの目的は〈こんぺき〉の艦内から少女の身柄、あるいはその滞在を裏付けるような証拠を押収することと見て、間違いはないだろう。
そして、黒スーツたちの先頭に立つ壮年の男にも、和明は見覚えがあった。
「玄野壮一……ほんとうに厄介な人が出てきたわね」
壮一は第一戦闘隊の保有する大型駆逐艦〈あかつき〉の隊長にして、特務海上保安庁が組織される以前から、組織の前身となる海上保安庁に籍を置いていた人物でもある。
荒々しく後ろへ逆立った髪は近頃、若干白髪が混ざってきたが、それでも獅子の立髪のような迫力を誇っていた。引き締められた表情や肉体も同様で、五十を迎えようとしても老いによる衰えを感じさせない。
「……それにしても玄野か」
同じ隊長という立場上、和明と玄野には一定の交友を持ち合わせていた。
ただ〈こんぺき〉の船員にはもう一人、玄野とは因縁とも言えるような関係にある人物がいた。────玄野鋼助。彼は壮一の養子なのだから。
◇◇◇
「あらぁ、お久しぶりね、玄野さん」
当たり障りのない挨拶と共に和明は、タラップで壮一たちを迎え入れる。
監査に訪れる人物の一人が壮一だということは事前に聞かされていたが、その両脇に控えた黒スーツたちも、またギラつく猟犬のような目付きをしていた。
この二人も第一に属する腕利きの部下なのだろう。
「つまらん挨拶なら、必要ない」
壮一はぶっきらぼうに吐き捨てる。職務には忠実だが、愛想のない人。義理の息子である鋼助でさえ、彼にはそんな印象を抱いると口にしていた。そんな言葉の通り、彼の表情は硬く、眉間には深いシワが刻まれている。
「少女はどこにいるんだ? 今なら、君たちの処分も軽いもので済むが、これ以上組織の手を煩わせようというなら」
「あら、それは脅しかしらね? けど、残念。私たちは本当にそんな女の子なんて知らないの」
「嘘を吐くのも勝手だが、君たちの隠そうとしているアレは、パンドラの箱なんだ」
「だから、何のことなの? アタシたちは何も隠してないし、お仕事も滞って迷惑してるんだから」
当然の様にシラを切る和明だが、壮一は一瞥して次の質問を投げかける。
「ところで、愚息の姿も見えないのだが。アイツはどこかに隠れているのか? それとも、何か手を離せないような任務を割り振られているのか?」
ざっと辺りを見渡しても、そこに鋼助の姿は見られなかった。
自分と最も親しい関係にあるはずの鋼助が、なぜ出迎えに現れないのか? それは壮一の抱く当然の疑問であり、そのことを問われることも想定内ではあった。
だが、和明は〝敢えて〟気まずそうな表情を作ってみせる。
「あー……あの子なら実は数日前から休暇を取っちゃってて……」
「休暇だと?」
「有給も溜まってたからって。けど、アタシたちだって止めたのよ! お義父様が来るんだから、ここに残るよう……それなのに、あの子ったら、こっちの言うことなんて聞かずに!」
「はぁ……差し詰、舌足らずなクソ親父に会いたくもないと言ったところか。反抗期の息子には困ったものだ」
壮一は短く嘆息を零しこそしたが、すぐにその表情をキツく結び直す。
「まぁ、私から貴方たち親子関係にとやかく言うことは出来ないけど……それでも、調べるなら、さっさと済ませてくれないかしら?」
大丈夫だと、和明は内心で自らに言い聞かせる。
証拠品はすべて隠したし、隊員同士で口裏も合わせた。
鋼助の不在だけが不自然にならないよう、他にも数名の隊員が理由を付けて、今日この場から席を外してもらっている。
あとは鋼助が上手くやれているかどうか? それだけが和明にとっての気掛かりである。




