第1話 ご乱心の姫
波が打ち寄せては引いていく。
物見台のように大きな異形のモノが、砂浜に横たわっていた。
額に角。胴体は隆々とした体つき。目は空洞。手からは蛸の足のような細長い触手が何本も生えている。足は退治する際に切り落とされていた。
それを囲む役人たちが「物見台型か」と意見を交わし合っている。
「最近多いなぁ。物見台型」
「犠牲者はありません」
「鎮守様がたのご様子は?」
「白藤宗柊様、朱鷺玲珀様ともにご無事です。家中の方々も一切損害はなく。お二人とも紫紺へ戻られました」
「さすが弓の鎮守様がたお二人と申し上げるべきか……」
役人は、ずっと口と鼻に手拭いを当てている。異形から出る瘴気を避けるためだ。
鬼。
この国を襲う怪異だ。瘴気を撒き散らし街を襲い人肉を好む。
それを退治できるのは神通力を持ち瘴気を受けない鎮守と呼ばれる存在。
鎮守を輩出する六家を、「鎮守六家」と呼び習わす。すなわち、筆頭・白藤家、次席・呉須家、三席・朱鷺家、四席・山吹家、五席・柳染家、末席・卯花家である。
鎮守も異様な姿をしている。
ヒトの形はしている。しかし銀の髪を持ち、瞳はそれぞれの家特有の不思議な色を宿す。
白藤家の者は藤の花か紫水晶のような紫。
朱鷺家の者なら血のような鮮やかな赤。
役人たちがひそひそ話をしている中、ぱんぱん、と手が打ち鳴らされた。
「はいはい! 持ち場に戻る!」
明るい声が聞こえたとともに、三十路くらいの女が砂浜にやってきた。
「資料を採取するよ」
役人たちは「すんません」と、やる気のない声を出すと、散っていった。
短い黒髪にすらりとした体つきのその女は、上級役人だろう。高級そうな灰色の紬を着ている上、数人の配下を連れていた。
この女は山鳥明衣。
寺社奉行配下吟味物調役という重責についている。寺社奉行所はこの世界では鎮守の世話をし、鬼について調査する役割を持っている。山鳥は鬼について吟味する立場の人間だった。
退治された鬼について精査し、次の襲来に備えた情報を収集することが彼女の務めだ。
彼女は口と鼻を手拭で覆った。
「さてと。──」
✿
この国の都・紫紺にある山鳥の屋敷。
それなりには庭の手入れや掃除が行き届いている小綺麗な屋敷だ。
ひとりの娘が縁側で絵を描いていた。
滝のように広がる銀の髪に水銀をこぼしたような白銀の瞳をした、非常に美しい娘である。
明衣は、仕事から戻るとすぐに彼女に御膳を持ってきた。
「樒様。朝餉でございます」
「……」
樒、とよばれた娘は顔を上げた。周囲を見回し、目を瞬かせる。
「朝餉!? 朝餉のお時間ですか!?」
彼女は顔を青ざめさせ、急いで土下座した。
「す、すみません! 今日こそは朝餉のお手伝いをすると申し上げましたのに……うっ、私はどこに行っても役立たず、ここで殺して下さい、いや、むしろ死にます」
「し、樒様?」
娘は髪を振り乱し懐剣を取り出した。
「じ、辞世の句を詠ませて頂いてもよろしいでしょうか」
明衣は「ちょっと!」と叫んで御膳を置き、娘の手から懐剣を離した。
「樒様、お手伝いなどしなくても構わないと申し上げましたし、家賃は払ってくださっているのですから」
「うおあぁぁぁぁぁぁぁ、でも、でも!!」
樒は白銀の瞳からドバドバと涙を流した。
それを見て、明衣は困った。非常に困った。何だこの娘は。
「鎮守様にお手伝いをさせたとあっては山鳥家の名折れでございます」
「私を鎮守だと思わないで下さい……! 私は」
樒を引き取ったのはつい一週間前のことだ。
鎮守六家の末席にあたる卯花家の娘である彼女には婚約者がいる。
しかし結婚を嫌がって輿入れの前日に脱走した。恋人がいたというわけでもなく、本人曰く相手が嫌だったわけでもないらしい。
ただ、自分は彼にふさわしくない、彼とは結婚できないとだけ繰り返す。
あまりに珍事なので鎮守六家の筆頭白藤家の当主である白藤宗水が対応し、彼女の「乱心」が落ち着くまで山鳥家で預かることとなった。
──いや、マジでご乱心の姫だろ。
明衣は樒に接するたびにそう思っている。樒は自己卑下が激しく、事あるごとに死にたがる。
一応絵が趣味。この絵がよく売れる。
その金で幾ばくかの家賃を支払ってもらっている。
ただで居候してもらってもよかったのだが、「ただで養ってもらうくらいなら死にます」と樒が入水しかけた。
今日も今日とて樒は朝から注文を受けた絵を描いていたらしいのだが。
そのせいで昨日だか一昨日だか、朝餉を作る手伝いをするという約束をしていたのを忘れたらしい。
それで大騒ぎ。
すると、樒の影からぬっと九尾の子狐が出てきた。
『うるさいのよ』
「もも」
樒が目を丸くする。ももと呼ばれた九尾の子狐は大あくびをする。
『あさごはんなんだからいただいちゃいましょうよ。せっかくやまどりのみなさんにつくってもらったものが、さめちゃう。そっちのほうがぶれいだわ』
「……」
こくりと樒はうなずいた。
九尾の狐といえば大人の女狐というのが鉄板だが、この雌の子狐にももっさりと九本尻尾が生えている。樒はこの九尾の子狐を眷属として手元においている。
鎮守の眷属を飛鬼という。鬼を浄化した存在だ。鎮守に篤い忠誠心を持つ。
他の鎮守は何十体も眷属を率いているが、樒にはもも一匹しかいない。
ももに促された樒は膳に手をつけ始めた。明衣はほっとする。
……というより。
明衣は樒の隣で自分の朝餉を待っているももを見た。ももは明衣を見返す。
「申し訳ない、もも殿」
『え?』
「飛鬼は食物を必要としてないそうだから、もも殿の分は用意してなかった」
『なんですって!?』
ももは明衣を小さな足で蹴飛ばした。
朝餉を口に運んでいた樒がそれを見てむせこむ。
「ごめんなさい! ごめんなさい! ももは油揚げが大好きなんです! 伝えてなくてごめんなさい!」




