私の旦那様は、とても誠実な人でした
厄介払いされるように嫁がされ、あれよあれよと迎えた初夜。
花嫁らしく全身ペカペカに磨き上げられた私は、夫婦の寝台に正座をして今日から旦那様となった殿方を見上げる。
ヴァレリオ・マーロア次期侯爵様。宰相補佐官。
後頭部で結われた細く美しい銀髪はサラリと流れ、わずかな灯りに浮かび上がるご尊顔はそれはそれは麗しい。
社交界のご令嬢から引く手数多であろう美貌のヴァレリオ様であるが、どうやら女運には恵まれなかったらしい。
社交界の華を手に入れるのも容易かっただろうに、二十四歳まで仕事に明け暮れ女性に興味を示さなかったがために私というハズレを押し付けられたのだから。
『結婚する気がないなら、彼女を引き取ってあげなよ』
私たちの婚姻は、ヴァレリオ様の上司でもある王太子殿下鶴の一声により決まったものだ。
いや、引き取るって、もう少し言い方はなかったのか。
まあ実際、生家である伯爵家では使用人以下の扱いを受けていたから、ある意味ピッタリなのかもしれないけれど。
私――アメリアは、愛のない政略結婚をした両親の娘に生まれた。
父は貴族の義務として母を受け入れたが、結婚から三年経ってようやく授かったのが娘だったのでたいそう落胆したそうな。
母は産後の肥立が悪く、私が物心つく前に病床で一人息を引き取った。
父は母の見舞いに部屋に寄るどころか、母の最期が近いと悟ると、結婚前から懇意にしていた男爵令嬢と逢瀬を重ね、母の死後間も無く後妻として屋敷に迎え入れた。
その後、男児と女児を授かり、四人は幸せに暮らした。
――長女であるはずの私を除いて。
私は母によく似た藍色の髪で、瞳の色も母と同じアメジスト色。
父は私を見ると母との冷え切った日々を思い出すからと離れに閉じ込めた。
最低限の食事は与えられたが、離れには使用人はつけられず、毎日掃除や洗濯を自分で行わなければならなかった。おかげで家事の腕は随分と磨かれたけれど、時折風に乗って聞こえてくる賑やかな笑い声が羨ましいと思いながら静かに過ごした。
貴族の令息令嬢が十五歳で迎えるデビュタントにはもちろん出してはもらえず、十八歳になっても社交の場に姿を現さない私を心配する声がいくつも上がったという。
私を外に出すつもりがなかった両親は、「娘は精神を病んでいる」「暴力的ですぐに妹にも手をあげる」「散財癖があり、外には出ないくせに流行の宝石やドレスばかり欲しがる」など、好き勝手吹聴して回り、おかげで私は伯爵家の厄介者のレッテルを貼られてしまった。
そんな私に興味を示したのが、まさかまさかの王太子殿下だった。
聡い殿下はペラペラと伯爵家の品位を落とすようなことばかり言いふらす両親を訝しみ、私が不当な扱いを受けているのではと勘繰ったのだ。
そして、外の世界から遮断された私を救い出すために持ち上げたのがヴァレリオ様との縁談だったというわけだ。
両親としては私を厄介払いできる上に、侯爵家との繋がりができるからと何の疑いも持たずに大喜びで私を差し出した。もちろん嫁入り道具として持参できるものはほぼなく、付き添ってくれる侍女すらいなかった。
私はというと、離れで一人寂しく死んでいくものだと思っていたところを救い出されたのだ。嬉しくないわけがなかった。
けれど、私のために結婚する羽目になってしまったヴァレリオ様にはどうしても同情してしまう。
両親のおかげで社交界での私の評判はどん底。
ヴァレリオ様の結婚を嘆き、彼を憐れむ人は後をたたず、まあ、私もそのうちの一人というわけだ。
そうして迎えた結婚式には、ヴァレリオ様の両親と、当人である私たち、そして立会人として王太子殿下が参加したが、他に参列者は招かず、侯爵家の使用人だけが会場にまばらに配置されていた。
押し付けられた結婚。
望まぬ結婚。
愛のない結婚。
私は自分の立場を弁えている。
この婚姻は慈善活動のようなものであり、ヴァレリオ様には私を愛する義務はないのだ。
文句一つ言わずに侯爵家に迎え入れてもらえただけありがたかった。
伯爵家では家事以外にやることがなかったため、唯一両親が与えてくれた本だけが私の生き甲斐だった。
その中には娯楽小説も多くあり、流行りの恋愛ものもそれなりには読んできた。
近頃は評判の悪い妻を娶った夫が初夜にあるまじき暴言を吐くところから始まる物語が流行っている。
それはまるで、私自身を表しているようで――
そう、私はきっと初夜を前にしてこう言われるはずだ。
――『君を愛するつもりはない』と。
その覚悟を持って臨んだ初夜。
私より少し遅れて夫婦の寝室にやってきたヴァレリオ様は、首元までしっかりとボタンを止めたシャツにスラックスという、およそ寝衣とは思えない服装をしていた。
やはり、私の推測は正しかった。
別に、予想通りだから落胆はしない。そもそも期待なんて微塵もしていないのだから。
さて、小説だとここらでお決まりのセリフが飛び出すのだけれど……
そう思いながら動向を窺っていると、ヴァレリオ様は私を見下ろすようにジッと見つめてから一つ息を吐いた。
――来る!
「私たちが夫婦となったのも何かの縁。私はこれから君のことを知っていきたいと思っている」
「君を愛するつもりはない、ですよね。はい、分かっておりま……え?」
私は何度も脳内で予習していたセリフを口にしながら、ん? と首を傾げた。
「君を愛するつもりはないとは言っていないのだが……」
パチパチ目を瞬く私に対し、ヴァレリオ様もどこか困ったように眉を下げている。
そして「失礼」と断りを入れてから浅くベッドに腰掛けた。
「確かに私たちは自分たちの意思で結婚したわけではない。だが、私は断ろうと思えばこの婚姻を断ることができたのだ」
「えっ、ではどうして私を娶ったのですか?」
きっと他にヴァレリオ様に相応しいお嬢さんはたくさんいるだろうに。
よりにもよって、この私を妻に迎えるなんて正気の沙汰ではない。
「結婚前に一度だけ顔を合わせただろう? 王太子殿下が無理やり設けた場だったのだが、私は本当はあの日に断るつもりだった。だが、君のまっすぐに澄んだ瞳を見て思ったんだ。私は他者からの評価でしか君のことを知らない。自分の目で見て、たくさん話をして、向き合って、君という女性のことを知りたいと思った」
「ヴァレリオ様……」
「私は君に誠心誠意向き合おうと思っている。だから、君もこれから私のことを知ってほしい」
「……はい」
どうやら私の旦那様は、とても誠実な人らしい。
◇
そして私は予想に反して穏やかな毎日を送っている。
侯爵家の使用人たちはとても良くしてくれるし、ヴァレリオ様も必ず朝食と夕食は私と共にしてくれる。
伯爵家では与えられなかった学習の機会まで与えてもらい、私は自分の世界が広がっていくのを日々感じている。
ヴァレリオ様との時間はとても楽しくて、就寝前に夫婦の寝室に集まって軽い晩酌をしながら今日のできごとや自分のことを話すひとときが何よりの癒しとなっている。
ゆっくりと、着実に、私たちの距離は縮まっているだろう。
ああ、初夜がどうなったかって?
あの後ーー
『それで、初夜……についてなのだが』
『は、はい』
『伯爵家では粗末な食事をしていたのだろう。我が家に迎えてからは少し顔色も肉付きも良くなったように思うが、まだまだ健康とは言えないだろう。それに互いのことを何も知らない状態で身体だけ求めるようなことはしたくない。互いに歩み寄り、確かな絆が生まれてから、真に夫婦となれるといいと思っている。使用人たちにも私の気持ちや考えをよく言い聞かせているから、君を粗末に扱うものはいないから安心してほしい』
初夜に放り出された妻が、使用人に軽んじられて屋敷の女主人として受け入れられないのは当然のこと。
侯爵家にやってきてまだ日は浅いけれど、ここの使用人が伯爵家と違ってとても優しく信頼できる人たちだということはとっくに理解している。けれど、まさかそこまで気を配ってくれているとは。
『……ヴァレリオ様は、本当に誠実なお方なのですね』
『そうだろうか? 君は社交界から距離を置いているから知らないだろうが、政略結婚で迎えた妻をよく知りもしないまま蔑ろにする男が後をたたないと王太子殿下が頭を悩ませているのだよ。私は彼らのような男にはなりたくないし、どうして妻に迎えた女性を無下にできるのかと常々疑問に思っているよ。アメリア、君はもう私の大切な妻なのだ』
そう言いながら柔らかく微笑み、私のまだ骨の浮いた手を優しく撫でるヴァレリオ様。
こんなにまっすぐに私自身に向き合ってくれる人は、彼が初めてだ。
……本当に、誠実な人。
ヴァレリオ様の大きな手をジッと見つめながら、私はすっかり熱くなった頬を隠すように俯いたのだった。
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