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「もうひと月経ちましたけど、その後どうですか? アプローチをかけてきたのは、女子大生ちゃんのお兄さんだけですっ、かっ? はいはいっ!」


「アプローチはかけられてません。ただご飯食べに行って家まで送ってもらうだけの日常、ですっ、ほいっ!」


 優一の家で絶賛ライブ中継鑑賞中の奈都は、ペンライト片手にソファで飛び跳ねた。おそろいのライブTシャツを着て、ふたりでお高いソファを裸足で踏んづけて、跳ねる跳ねる。


 優一のマンションは広い。そして防音に優れており、多少のジャンプや奇声もなんら問題ない。そしてなにより、テレビの大きさと言ったら……。


 持つべきものは変人でもお金持ちの同志だ。自宅アパートだとこうはいかない。


 ふたりで叫んでは踊ってを数時間続け、なかよくソファで伸びたとこで、優一は息を整えると改めて尋ねてきた。


「だけど普通、好きでもない女性とご飯なんて行かないですし、毎回家まで送りませんよ。そいつ、怪しいなぁ」


 奈都は少しむっとした。


「一切口説かれてないんだから。万が一これがハニートラップだったら、やる気なさすぎだと思いませんか?」


「実は口説かれてるのに、なっちゃんさんが気づいていないだけでは? それはそれで結果オーライですが……」


 奈都が鈍感みたいな言われようだ。こう見えても過去の経験が生きて、悪意には鋭くなったのだ。


 理世のときも流されて友達になったが、それは共通の趣味があったためであって、見ず知らずの人に友達になってとお願いされても、丁重にお断りする。


 見た目で判断されがちだが、嫌だなと思ったときには、きっぱりと断る度胸はあると自負している。


「今はまだ大丈夫なようですが、焦れて押し倒されないようにきちんと手綱は握っておくんですよ。イニシアチブはなっちゃんさん、あなたの手にあるんですからね?」


「これまでの人生、主導権を握った試しがないんですが……」


 主導権を握るどころか、場合によっては意見すら訊かれないこともままあった。


「なっちゃんさんって、そういうところ、見た目で損してますよねぇ。押しに弱そうな、なんなら無理やり押し倒しても泣き寝入りしてくれそうな雰囲気ですし」


「ええ、ええ、よく言われます。優しそうとか、おっとりしているとか、おとなしそうとか」


 顔立ちなのか雰囲気なのか。初対面の人にやたら話しかけられるのも、そのあたりが起因しているのだろう。


「それに比べて、ゆうちゃんさんは外見で得してますよねー」


「いやいや。外見に合わせて演じるのも、これで結構大変なんですよ。最悪バレても構わないとは思ってますが、イメージが崩れて仕事がやりにくくなるのだけは困りますし」


 憧れの上司が二次元の美少女にご執心。知った部下も相当仕事がやりにくくなるだろう。取引先もびっくりだ。会社全体に一定の損失が出るかもしれない。


 だから優一の擬態は完璧なのだろう。


 器用に顔を使いわける男。その中身は真性の人間嫌い。絶対恋人にはしたくない。


 優一が立ち上がって食べかけのピザとペットボトルのお茶を持ってきた。料理は絶対にしない男である。


 冷めたピザをはむりと食べると、お高い水を飲んだ優一が訊いてきた。


「今日どうしますか? このまま泊まっていきますか?」


「そうですね……今日は……帰ろうかな」


 ハッスルしすぎて足腰がつらい。帰って慣れたベッドで横になるのが一番だ。


 それに優一の家に泊まると、かなり気を遣わなくてはいけないので大変なのだ。


 廊下ですれ違ってうっかり体に触れようものなら悲鳴を上げるし、湯船は絶対貸してくれないし、洗濯機は気前よく使わせてくれるが、下着を干したら卒倒されて困り果てた。


 だがなにより奈都が不満に思っていることは、寝巻き代わりのTシャツはみのりん以外の子のものかジャージ(プライズ品)しか貸してくれないことだった。予備、保存用、永久保存用……と何枚もあるのにだ。


「じゃあ帰るときはタクシー呼びますね。それまでは今日のライブについて熱く語り合いましょう」


「いいですね」


 ふたりお茶で乾杯して、夜更けまで彼女たちの素晴らしさを語り合った。





 徹夜がつらく感じるようになったのはいつからか。


 結局徹夜した。


 あの感動を、一晩では語り尽くせなかった。


 仕事中、寝落ちしそうになるのをなんとか気力で乗り切り、帰って寝るぞと息巻いていたのだが、純誠がいつもの場所で待っていたので、少しだけ予定変更。


 毎回食事を共にするわけではない。今日は家まで送ってもらっただけ。


 なんの見返りもなく、だ。


 親切すぎて、優一が疑り深くなる気持ちも、わからなくはない。


 他愛ない話をして、家まで無事到着して、そこで奈都ははじめて、中でお茶でもどうかと誘ってみた。彼がただのいい人なのか、それとも思惑を持って近づいてきた人なのか、見極めるにはもうこれしか思いつかなかった。


 捨て身の提案。


 心臓が早鐘を打つ。これは緊張による動悸だ。決して、そういうドキドキではないのだと自分自身に言い聞かす。


 もちろん簡単に断ってもらえるように、さりげない感じを装えたはずだ。


 言われた純誠はやはり驚いた様子で、視線をさまよわせていたが、どこか遠くを見つめて思案しはじめると、答えを出した。意を決したようにうなずき、誘いに応じた。


(えっ!)


 実際了承することを本気で想定していたわけじゃないので、奈都は焦ったが、なんとか取り繕った。


 なんとなくお互い無言で階段を上り、奈都は鍵を回したドアの前でひと呼吸ついてから、重々しい口調で前置きをした。


「ひとつ伝えておきたいんですが」


 言い終わる前に、彼は苦笑した。


「不埒な真似はしませんよ」


「いや、そうじゃなくて……」


 この先は完全なプライベート空間。足の踏み場もないほど散らかり放題というわけではないが、人を招くことなど想定していない、自分にだけ優しい世界が広がっている。


 つまり……察してほしい。


 一般人には到底想像もつかないのか、よくわかっていない顔の純誠にしびれを切らし、奈都は深呼吸をして、異次元への扉を開いた。


「わっ」


 それが玄関を目にした純誠の第一声だった。


 ひっ、じゃなかっただけ、ましな反応だろう。


 奈都はいつものごとく、入ってすぐの暖簾がわりのみのりん特大マルチクロスにお出迎えされる至福を味わい、純誠が硬直している間に、靴を脱いで靴箱に入れた。もちろん靴箱の上にはフィギュアがずらり並んでいる。今は春先なので、春カラーの衣装を身につけたフィギュアたちだ。


 室内の小物は基本的にみのりんカラーのオレンジと壁の色に合わせて白で統一されており、明るく健全な雰囲気なのだが、当然、壁には厳選されたアートポスターやらタペストリーやらがかけられている。


 リビングはまだ、ましな方だ。寝室に比べれば。


 これでもこだわって居心地のいい空間を演出しているので、飾らないグッズ類はきちんと収納されている。


 オレンジ色のスリッパを履いて、奈都の後ろをあっけにとられた顔でついてきた純誠にテレビの前のソファを勧めた。クッションはもちろんのこと、テレビ台の上もひたすら微笑む美少女たち。


 純誠はどこを見ていいのかわからない様子で、困惑が浮かぶ目を忙しなく動かしていて落ち着かない。


 みのりんのぬいぐるみとクッションに挟まれた純誠に、奈都はコーヒーと軽くつまめるものを出しながら肩をすくめて言った。


「びっくりしましたか?」


 どんな下心を持った輩も、この部屋を見たら回れ右することだろう。


「あ、いや……、びっくりした」


 正直に言ってもらえて逆に助かる。


「さすがにこの部屋でどうこうする気は起きないでしょう?」


「それは人それぞれじゃ……」


 ぽろりとこぼれたその言葉に奈都が瞠目すると、彼は慌てて手と首を振って否定した。


「いや、俺がというわけじゃなく。あー、彼氏はなんと?」


 論点をすり替えられた気がしたが、ひとまず保留にして答える。


「あの人も同じ穴の狢ですから」


 グッズに驚いたりするはずがない。そして極めすぎた男は目をつけるポイントからして違う。


 フィギュアの角度が全然なっていないとか、このぬいぐるみとこのクッションを一緒に置けるセンスが無理とか。そんな辛辣なダメ出しを食らい、挙げ句の果てには寒気がするとまでのたまい出したので、二度と呼ばない。未来永劫。


「えっ、まさか、彼氏も?」


 純誠がぐるりと部屋を見渡し、奈都に戻す。


(言ってなかったっけ?)


「あっちの方がオタク度高いですから。わたしなんてまだまだ、足元にも及ばない」


「オタク……そうなのか……」


 優一のオタク度などこの際どうでもいい。


 純誠が借りてきた猫状態なので、奈都もなにを話せばいいのかわからない。


「……えぇと、DVDでも観ますか?」


「……ああ、うん」


 純誠はどこか上の空でつぶやいた。意見を翻す間を与えず、奈都は手早くDVDを再生した。してやったり。


 第一話。


 みのりんがアイドル活動をすることを決意し、メンバーを募るところからはじまる。


 オープニングはまだみのりんひとりのステージだ。これが全員揃ったときの感動を思い浮かべるだけでもう泣ける。なんならもう涙目だ。


 ようやくおかしな流れになっていることを悟ったのか、戸惑いながら声をかけてきた純誠の肩を掴んで、自分でも引くくらいの形相で訴えた。


「絶対感動するから! 騙されたと思って、せめて一話だけでも観て! だけどできれば八話までは観てほしい! そうしたら必ず最終話まで観たくなるから!」


「わ、わかった……」


 奈都はぱっと顔を輝かせた。純誠が面食らっているのもお構いなしに、嬉々としてクッションを抱いて隣へと座った。


 しかし奈都はすっかり失念していたのだ。


 前日完徹したことを。


 そして、エンディング曲を毎晩、子守唄にして聞いていることを。




色っぽい展開にならない残念なふたり……

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