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「このぬいぐるみかわいい!」


 理世が興奮した勢いで亮太の腕をぱしばし叩きながら指すのは、大きなパステルカラーの猫のぬいぐるみ。


 理世がはしゃぐ様子に触発された亮太が、クレーンゲームのコイン投入口に百円玉を入れようとしたその手を、奈都は素早く止めて真顔で訊ねる。


「亮太くん。百円で取る自信があるの?」


「え、えーと?」


「五百円だと一回分多くできて、おまけがもらえるの」


 シークレットで誰が出るかは運だが、誰が出ても嬉しい。みのりんならば、泣くほど嬉しい。


 奈都の目は完全に据わっていた。亮太がちょっと引いている。


「でも、だけど、五百円以下で取れたら損だし……」


 ずいっと距離を詰めた。


「いい? 六回以下で取れたとしても、残った回数は別の台に移してもらえる。つまり、損はしない。オーケー?」


「オ、オーケー……」


 亮太が引きつりながら五百円を出そうとするのを押し留め、奈都はすかさず近くにいた店員を呼んだ。そして五百円を入れるところを確認してもらうと、店員が亮太へと尋ねた。


「何年生がいいですか?」


 きょとんとする彼の代わりに、奈都はにっこりして言った。


「二年生でお願いします」


 できればみのりんでお願いします。


 ストラップを受け取り、ついでにポストカードももらい、そこにきてようやく奈都は正気に戻った。


 三人の感情の読めない視線が、奈都へと注がれている。


(や、やってしまった……!)


「えぇと……はい、どうぞ」


 なに食わぬ顔顔で、だが、震える手で亮太にストラップを渡す。


 しばらくそれに目を落としていた彼は、首を横にふった。


(拒絶された……)


 受け取ってもらえなかったことにショックを受けていると、彼は違う違うと言って邪気なく笑った。


「あげる。ほしかったんでしょう?」


「え……いいの?」


「だって俺そのアニメよく知らないし。それにさっき失礼なこと言っちゃったし」


「それはもういいのに」


「それに、お礼もしたかったから」


「お礼って……わたし、なにもしてないのに?」


 困惑していると、亮太が周りに聞こえないように小さな声で囁いた。


「俺、見た目普通でしょ? りーちゃんの彼氏ですっていうと、みんな、似合わねーって顔するんだ」


(似合わない?)


 それはきっと相手が同年代の子供ばかりだったからだ。多くは嫉妬だろう。だから奈都くらいの年の人から見れば、かわいらしい恋人たちにしか見えない。なので、お礼されることではないのだが。


 しかもこんなアニメに夢中になって我を忘れるような残念な大人だ。むしろ寛大に受け入れてくれている彼にこそ感謝したい。


「だからどうぞ。ほしい人にもらってもらった方がいいし。ね?」


 理世はうんとうなずいた。騒々しい店内だが、亮太がなにを言っていたかわかっていたのではないか。でなければ彼氏がほかの女に耳打ちするのをそうも優しい目で見ていたりはしないだろう。


 なんとなくだが、理世の方が亮太に対する愛情の割合が大きいのではないかと思った。


 しかし。ただでもらうのも気が引ける。五百円を返そうかとも考えたが、亮太も自分のお金と力で理世にぬいぐるみを取ってあげたいだろうと思い直し、あとでなにかあまいものでもおごろうと決めた。


 亮太が猫のぬいぐるみの獲得目指して奮闘し、理世が横から指示を出しながら応援する。そんな様子を静かに眺めていると、すっかり存在ごと忘れかけていた純誠が隣にきて、落ち着いた声で話しかけてきた。


「そのアニメ、好きなんですか?」


 ここまで醜態を晒した以上、今さら隠しても無駄だろう。奈都は黙って首肯した。なぜかといえば、口を開けば布教してしまいそうだったから。


「へぇ。どの子が好きとか――」


 彼が言い終わる前に、奈都の人差し指はいたるところに貼られたポスターの真ん中をびしりと示していた。


「みのりんです。ほら、この瞳がピンクでオレンジがかった茶色の髪の、元気で明るい女の子。かわいいですよね?」


 しまった。またやってしまった。慌てふためく横で、純誠はポスターをざらっと眺めてつぶやいた。


「そう、ですか? 俺的には、そっちの子の方がかわいいと思いますが」


 優しげな面立ちの黒髪の女の子。普段はおっとりとしているが、締めるところではきっちり締める。だけど守ってあげたくなるような庇護欲をそそるキュートでかわいい先輩。


「ゆんちゃんですか! お目が高い!」


 たぶん誰を選んでも、奈都は同じことを言っただろうが、一番人気の子を選ばなかったことにはなかなか好感を持てた。


 もちろんみんなすばらしい子たちだ。誰ひとり、欠けてはいけない奇跡のような存在。


「まぁ、性格を知らないので、見た目が、ですが」


「DVD貸しましょうか?」


「いや、それは」


 やはりさすがにそれはないか。


「あ。ひとつ断っておきますが、オタクではないので」


「……へぇ」


 まるで信じていないその反応。


 理世たちの方を見ると、かなりおしい位置までぬいぐるみが動いていた。よし、行け! と心の中で応援していると、純誠が奈都の手元を指さして言った。


「それ、開けないんですか?」


 ストラップは中身が見えないようになっている。


 いま開封していいのだろうかと亮太を見やるが、あっちはあっちで忙しそうだ。純誠に視線を上げると、彼はどうぞというように手のひらを向ける。


 奈都はいそいそと封を開け――



(いよっしゃぁぁーーーー!!)



 奈都はクレーンゲームの台に片手をついて、くずおれた。


(やばいやばいやばい、みのりん衣装かわいすぎる!)


 特に、ちょこんと乗ったオレンジ色の小さな帽子、最高。


 口元を手で押さえていると、肩に純誠の手が置かれた。


「いや、あの、大丈夫?」


「だ、大丈夫です……」


 といいつつ、立ち上がれない。はぁ、と妙に艶めいた吐息がもれた。


 なにせ初回から推しが出たのなんて、はじめての経験なのだ。くじでもいつも、ほしいものは絶対にあたらない。


 優一のようにロットで買う金銭的余裕もないのだ。嬉しすぎて泣きそうだ。


「いや、本当に大丈夫?」


 そう言って手を差し出してくれたので、その手に自分のものを重ねたとき、彼は苦笑しながら続けた。


「というかすごい人に見られてるし、恥ずかしいから早く立ったほうが――」


 その瞬間、奈都は反射的に繋がりかけていた手を、ぱっと放して引っ込めた。


 おそるおそる見上げた先の純誠は、少し驚いた顔をしている。奈都の顔色が悪くなったのがわかったのかもしれないが、繕えなかった。


 きっと彼はそんなに深い意味で言ったのではない。それはわかる。口調にいたわりがこめられていたし、なにより奈都を見る目が優しかったから。


 だけど、奈都にとって、その言葉はある意味地雷だった。



『奈都と一緒にいると、恥ずかしいんだよねー』



 昔の話だ。


 大昔。


 とは言っても、実家を出た後のこと。


 家業を継ぐのは無理だと後のことは年下の従弟に任せて実家を出て、新しい土地で就職してはじめて、友人と呼べる子もできたし、恋人もできた。


 けれど奈都はどこにいても、少しだけ世間とずれていたらしく。


 その仲のよかったはずの友人が、陰でそう自分の悪口を言っているのを偶然、聞いてしまったのだった。


 それにわかると深く同意していたのが、つき合っていたはずの恋人で。


 友人と恋人。


 信じていたふたりは、腹の底では奈都のことが嫌いだったらしい。


 ふたりが自分の陰口を言い合い、人格を否定し、誹謗中傷めいた言葉で貶め、そして、楽しそうに笑っているのを眺めて、奈都は頭が真っ白になった。


 そういう、陰湿な悪意に慣れていなかったのだ。


 何年経っても、あのときの記憶が生々しく蘇って来ると、もうだめだった。


 関連して別の記憶も呼び起こされる。


 恋人に別れを告げたときのことだ。


 嫌いなら一緒にいる意味などないと言って、別れてほしいと言った。


 だけど彼は、頑として受け入れなかった。


 プライドの高い男だった。別れると言った奈都は、はじめて、彼に殴られた。


 あのときの衝撃は今でも忘れられない。


 これまでの優しかった態度が嘘のように、まるで別人へと豹変して、呆然とする奈都に再度殴りかかってきたのだから……。


 後から知ったことだが、彼は友人を排除して奈都を孤立させ、自分に依存するように仕向け、その上で暴力で支配するつもりだったという。


 過去の恋人たちも同じような目に遭っていたのだと聞いた。


 つまりDVの常習犯であり、奈都は黙って暴力を受け入れそうだから選ばれだけの、生贄だった。


 幸い奈都はそれ以上被害に遭うことなく別れることができたが、その後の悲惨な結末については、できれば記憶から抹消したい。


 心配して顔を覗き込んできた純誠に、奈都は無理やり微笑んでから、ちょっとトイレに、とごまかして足早にその場を離れた。


 そしてトイレ前のベンチにへたりと座った途端、頭を抱えたくなった。


 せっかく気遣ってくれた純誠に、悪いことをしてしまった。


(あー、もう……)


 スマホをチェックすると、いくつか優一からメッセージが届いていた。すべて奈都を心配するものだ。とりあえず、みのりんのストラップが出たことを送った。


 それにしても、いつになったらハニートラップは仕掛けられるのだろうか。


 優一の警戒とは裏腹に、思惑を抱えて近づいてくる男はいないのだが。


 そんなことを考えているときに若い男の人に話しかけられて、奈都はびくっとした。


 だがなんのことはない、いつものよくわからない勧誘に、逆にほっとして、またかと苦笑い。このままお茶でもと言われてのこのこついて行くと、最終的によくわからない投資話を聞かされるのだ。


 案の定、お茶に誘われてやんわり断ろうとしたとき、奈都の横からすっと影が差した。見上げると純誠が立っていた。彼は奈都の前に立つ男性へと鋭い眼差しを向けて言った。


「彼女になにか?」


 それが普段の彼らしくない冷たい声だったせいか、勧誘の男性は逃げるように足早に去って行った。


 再び純誠を見ると、今度は、怒っているような困っているような、妙な表情に変わっていて、案外顔にでるタイプの人なのだなと奈都はひそかに思った。


「なんで少し目を離した隙に次々と話しかけられているんですか。もっと警戒心を持ってください」


「次々というほどでは」


「ここに入ってすぐにふたり、映画館でひとり、それと今」


 映画館で彼がチケットを買っているうしろで、孫を連れたおじいさんおばあさんにトイレの場所を聞かれたのもバレていたのか。


「今日は比較的少ない方ですよ」


(まだかばんがティッシュでいっぱいになってないし)


 純誠は片眉を上げ、これ見よがしなため息をついた。


「そうやってほいほい人を引きつけていると、そのうち本気で痛い目に遭いますよ」


「誰が人間ほいほいですか!」


 別に引き寄せたく引き寄せているわけではないのに。


 純誠は人間ほいほいがツボに入ったのか、うつむいた。しかしその肩が小刻みに震えているのを隠せていない。


 奈都がジト目でにらむと、ようやくごほんと咳払いをして、少し距離を空けて隣に座ってきた。改まった口調で軽く頭を下げた。


「さっきはすみませんでした」


「さっき?」


「たぶん、なにか気に障ることを言ったんでしょう、俺」


 気づいていたのか。ああもあからさまに避けて逃げたら、どんな鈍感でも気づくか。


「大したことじゃないんですよ」そもそも奈都が恥ずかしい行動を取ったのが原因で。「自分が悪いです。わたしの方こそ、すみません。なので全然、お気になさらず」


 奈都が丁重に謝罪を断ると、彼は不服そうにつぶやいた。


「……それって、もう今後のつき合いは遠慮したいっていう、遠回しな拒絶ですか?」


「えぇ?」


「そうやって突き放されると、こっちもなにが悪かったのかわからなくて、反省のしようがないんですが」


(真面目だなぁ……というか)


「今後があるんですか?」


「ないんですか?」


 聞き返されて奈都は驚いた。世の中にはほかに親しくなるべき人がたくさんいるだろうに、なぜ自分なのかと。


「だけど……別にわたし、話し上手でも聞き上手でもないし、一緒にいても特に楽しくはないでしょう? それに、ほら、わたしみたいなのが隣にいたら……恥ずかしいんじゃないですか?」


 ちょっと当て擦りみたいな口調になってしまったと思ったときには、彼はすべて察したようで、更にごめんと深く頭を下げていた。


「あれはあなたが恥ずかしい思いをすると思って……いや、でも! 本気でこいつ恥ずかしいやつだなと思ってたら、手を貸すどころか無視して見捨ててるから!」


「それは、はい」


「……許してもらえますか?」


(わたしが許す立場なのか……?)


 わからないが、奈都はうなずいた。彼は名前の通り誠実な人のようだし、このままわだかまりを残しておける性分でもない。


 純誠はにっこりと笑って、手を差し出してきたので、おずおず受ける。


 シェイクハンド。


「これで仲直りで」


「あ、はい」


 修復するような関係ははじめからなかった気がするが、この状態でそんな無粋なことを言う勇気はない奈都だった。




合流後、きちんと亮太にあまいものを奢った奈都

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