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奈都は本が好きだ。
特に小説が。
ミステリーやファンタジー、時代もの、SF、ホラーだって、なんでも好きだ。そこに恋愛要素が入っていると、なおのこといい。
現実の恋愛こそ諦めた奈都でも、物語の中のヒーローとヒロインの恋模様はフィクションとして最大限に楽しめる。
だって恋愛はファンタジー。
するものではなく、見守るもの。
現実世界に愛する人がいなくても、案外人は生きていける。
ただ少し、ほんの少し、寂しいだけで。
これまであまり人と深く関わらないようにすごしてきたのに、ここ最近の変化は目まぐるしくてついていけない。
奈都はパソコンの画面に向かって、これ見よがしに大きなため息をついた。
「なんでそんなことになってるんですか。なっちゃんさんの浮気者」
画面の向こうで優一が非難の声を上げている。
優一は若い女子のパワーを知らないから、そんな簡単にものが言えるのだ。
「断れなかったんだから、仕方ないじゃないですか」
(わたしだって、行きたくない。なに着ていけばいいのかまったくわからないし……)
てっきり理世の兄である純誠が冷静に断ってくれると思って期待していたのに、気づけばあれよあれよという間に日時までが決定していた。
教訓。女子大生の行動力を侮るな。
「でもまあ、その女子大生ちゃんが何者だとしても、なっちゃんさんに僕以外の男の影がちらついているその状態は、うちの両親にとって好都合なことです。ただ、ダブルデートにはもしかすると尾行がつくかもですが」
「尾行……」
「あの人たちは、表向きは穏便に僕らが別れることを期待しています。なっちゃんさんに手切れ金を渡すよりも間男を差し向ける方が安いと踏んで行動するのは確実です。だからハニートラップ男でなくとも、なっちゃんさんがよその男とできてしまえば勝ちだと思っているでしょうね。僕の気持ちも、なっちゃんさんの気持ちもお構いなし。我が親ながら、人を人とも思っていない最低な人種なんですよね……」
なかなか確執が深いようだ。優一の根深い闇の一端が垣間見えた気がした。
「……ああ、それで? 映画とランチでしたっけ? なっちゃんさんは細かいところは気にせず、とりあえず楽しんできてください」
「楽しむって言っても、ねえ……」
映画は好きだが、映画館にはあまり行く機会がなかった。遊園地とか、待ち時間が長いものでなかったのは救いだがと、奈都は頬杖をついた。
「ですがぐれぐれも羽目は外しすぎないように。その女子大生ちゃんのお兄さんとどうにかなったりはしないと信じていますが、十分注意してください。それと、手を繋ぐくらいの浮気は大目に見ますが、それ以上となると庇えませんよ」
(他人事だと思って)
「いいですか? 誘惑になびくふりをして、手玉に取って転がすんです。男なんて目の前にニンジンをチラつかせれば走る馬みたいなものです。だけどくれぐれも、引き際を間違えてぱくんと食べられたりはしないように! 変なところで優しさ発揮しないでくださいよ!」
「そうですねえ」
優一があれこれ気をつけろと散々言い続けるのを尻目に、奈都はさっさとおやすみを告げて退室した。
だからそんなこと、いちいち言われなくてもわかっている。
*
奈都は迷いに迷った挙句、淡い色のブラウスとジーンズに決めた。彼氏がいないのにいる設定で、しかもほかの人とダブルデートする悪い女の着ていく服など、わかるはずがない。高難度すぎる。
若い恋人たちのデートに保護者同伴。それが一番しっくりとくる状況なので、気取らず、かといって手抜きすぎてもないギリギリを極めた。はずだ。
アパートの前で待っていると、一台の乗用車が奈都の横にゆっくりと停車した。運転席に純誠、そして後部座席に理世と、いかにもスポーツをやっていそうな快活な男の子が。
彼が噂の亮太だろう。笑顔がいい。
理世の彼氏なので大丈夫だとは思っていたが、嫌味なナルシスト系の人でなくてほっとした。初見ですでにいい子そうだ。スポーツ少年は特に好感が持てる。
「奈都さん乗って乗って」
狭いとこだけど、と理世が続けると、純誠がおまえの車じゃないだろうと妹をねめつけた。
空いてる席は、助手席しかない。奈都は意を決してそこに座り、シートベルトを締めた。人の車の匂いがする。でも嫌な匂いではない。三人の和やかな雰囲気も胸に優しい。
「奈都さん、わたしの彼氏です!」
間髪をいれずに、彼は敬礼しそうな勢いで自己紹介をはじめた。
「こんにちは! 菅原亮太二十歳! 好きな食べものは親子丼です! よろしくお願いします!!」
第一印象通り、ノリが完全に体育会系だった。奈都は身をよじってふり向き、よろしくね、と微笑み返す。こちらも名乗って自己紹介を終えると、すかさず理世が亮太を肘で小突いた。
「ねえ、なんで親子丼?」
「え。親子丼おいしいじゃん……?」
「おいしいけど、今そんなのいらないし」
「えー……」
うん、なかよしだ。よきかな。よきかな。
リアルの恋人たちはこうでないと。
親戚のおばさん目線で和んでいると、純誠に横目で盗み見られていることに気づき、少し慌てた。なにか言わないとと口を動かす。
「えぇと、お似合いのふたりだなぁ、と思いまして」
純誠はちらりとバックミラーを見やる。未だ親子丼問題について話し合うふたりにそっと苦笑した。
「幼なじみだからですかね。まぁ、俺も亮太のことは弟みたいに思っています」
「幼なじみ……」
小さなときから一緒にいたら、お互いのいい面も嫌な面も全部知っているわけで。
全部ひっくるめて、好き、なんだろう。
そんな人が人生にひとり現れるだけで、それはもう奇跡だ。
昔の嫌な思い出が胸をかすめかけたが、すぐさま愛してやまないみのりんの笑顔と、アニメ第一期のオープニング曲を頭で再生する。すると一瞬で気持ちが晴れた。さすがだ。彼女たちの軌跡が走馬灯のように蘇ってきて、逆に涙ぐみそうになることだけは問題だが、どうせ泣くなら感動の涙がいい。
とはいえ今はどうにか泣くのはこらえた。
理世との話がひと段落したのか、亮太がずいっと後部座席から身を乗り出して来た。
「奈都さんの苗字のサキサカって、咲くに坂ですか? それとも先に坂ですか? ナツは夏?」
「ううん。匂うに坂で、匂坂。ナツは、奈良の都と書いて奈都だよ」
「奈良の都って、なんかかっこいいですね! この辺の出身なんですか?」
「地元はここから駅をいくつか行ったところにあるんだけど……そうだね、大きく括ればこの辺りかも」
奈都がのんびり地元を口にすると、隣にいた純誠がぎょっとしたように驚きの声を上げた。
「えっ? ひと昔前まで、めちゃくちゃ荒れてた地区?」
純誠とは対照的に、理世と亮太はいまいちピンときていない様子だった。改めて世代の違いを実感する。
ちょうど奈都の学生時代くらいまでだっただろうか、単車に乗った不良少年たちがそこかしこをぶんぶん駆け回り、あちこちの空き地や廃墟が彼らの溜まり場だったのは……。
実際はそこまでのテンプレな昔の不良たちではなかったが、素行のよくない少年たちが多かったのは間違いない。
時代なのか、あの町も人も、昔に比べたらずいぶんと大人しくなって久しい。
「荒れてたって言っても一部だし、あの辺の不良少年たちも、実はそんな悪い子ばかりじゃなかったんですよ」
今は悪意なく人を傷つけることのできる時代なので、悪いことをしている自覚と罪悪感がある分、まだ彼らはまともだったと思っている。
「この辺りに比べたら、特になにもない場所だから、エネルギーの発散方法があんまりなかったんだと思います」
ちょっとだけ田舎だったのだ。ゲームセンターは寂れていたし、娯楽があまりなく、バイクは隣町へ行くための必要な交通手段だった。
ひょいっと亮太の横に理世が乗り出してきた。
「だけど、おいしいラーメン屋さんがありませんでした?」
「ああ、うん。あるある」
たまにローカルテレビで紹介されるようなのが。大抵どこの町にも、ひとつくらいは有名な飲食店があるものだ。
競うように亮太が言う。
「有名ボクサーを排出しているジムもありますよね?」
「あぁ、うん、そうだね」
なので地元の有名人にアスリートはいても、芸能人とかは残念ながらいない。
「でも、地元がその辺りだったら結構近いですよね? それなのに、ひとり暮らしですか?」
「実家は今、従弟夫婦も暮らしてるから、ちょっと居づらいかなって」
正確には実家のそばに、だが。実家には今も変わらず祖父と両親が住んでいる。優一ではないが、帰れば結婚はまだか孫がどうこう、口うるさく言われそうで足が遠いている。
奈都があまり話したくないと察し、理世はすぐに身を引いた。気を遣えるいい子なのだ。
そして後部座席から聞こえて来たのはこんな会話。
「奈都さん、わたしの言ってた通りの人でしょう?」
「うん。見たまんま、優しくてすごくいい人って感じ」
この少しの間に、なぜだろうか、絶大な信頼を得てしまっている。
奈都としては、これといってなにかした覚えはまるでないので、焦りしかない。
「でしょう? やっぱりお兄ちゃんにはもったいないかなー?」
「……理世」
運転に集中していた純誠が、バックミラーを一瞥して妹をうなるような低い声で呼んだ。
「いや、そんなことないって! 超お似合いだよ、純兄!」
「亮太まで……。すみません、頭が痛いやつらばかりで」
「いえいえ。楽しいですよ」
理世はおそらく、兄をからかうのがおもしろいだけだろう。奈都だって本気にしていない。
純誠は案外苦労性っぽい人だなと思いつつ、終始和やかな雰囲気で車は目的地へと到着した。
亮太(20) 理世の幼なじみで彼氏 理世の方がちょっとだけ背が高い




