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奈都は部屋の一番映える場所に複製原画を飾り、やはり自分の決断は正しかったのだと確信した。デザインといい、構図といい、この狭い乾いたアパートに、これほどの潤いと活力を与えてくれるとは。
「ああっ、みのりん! その笑顔、最高っ……!」
奈都はわななく口元を覆い、くずおれた。
もちろんみんな愛すべき少女たちではあるが、やはり主役のみのりんは別格。
過去の苦い経験から立ち直れたのは、ひとえに、みのりんたちのおかげなのだ。彼女たちの笑顔に救われ、困難に立ち向かう姿勢に胸打たれ、心に響く歌に立ち直るきっかけをもらった。
そしてこのユアステで、本物の友情というものを知った。
これは単なるアイドルを目指す美少女たちの物語でない。
第八話、紆余曲折ありメンバーも八人になったところで明かされる、みのりんがアイドル活動をはじめた本当の理由と、伏線の回収。そしてタイトルの真の意味を知ったとき、奈都は号泣した。はじめてアニメで声を上げて泣いた。
彼女たちの歌と笑顔に救われたひとりとして、全身全霊で感謝を捧げなくては。もちろん、激レアグッズをくれた、優一にも、ほんの少し。
優一と言えば。くれぐれも誘惑に屈しないようにと、帰り際まで口酸っぱく言っていたことを思い出し、深いため息をついた。
何度も言われなくてもわかっている。
人に道を尋ねられることはしょっちゅうだが、口説かれたことはほとんどない。たまにおじいちゃんが冗談で口説いてくるくらいだ。年配層からの支持はわりと厚い奈都だ。
なのでそんな人が現れようものなら、当然、はなから疑ってかかるだろう。優一との契約があろうと、なかろうと。
とにかくそれっぽいフラグがあればへし折っていけばいい。そう考えると、案外簡単なことのように思えるから不思議だった。
当面の問題は、敵が誰なのか、ということ。
個人なのか、複数なのか。
まあいい。今はみのりんたちに癒されよう。
奈都は面倒な考えを頭から押しやった。
*
誰が刺客なのかと戦々恐々、内心ピリピリ警戒しながら一週間も過ごしていると、悲しいかな、誰彼構わずみんな怪しく見えてくるもので。
「せんぱーい。なんか最近、挙動不審じゃないですか?」
最近バイトに入った男子大学生の充希が、人の気も知らないでくすくすと笑う。
若者らしく茶色の、ふわふわした髪と猫を彷彿とさせる目を持つこの後輩に、果てしないジェネレーションギャップを感じつつ、丁寧に指導する。たまに叱るが、まあ効かない。
こんなことになるのなら、教育係など引き受けるのではなかった。精神的に忙しい。
嘆息していると、すみません、と声をかけられ、奈都は肩をぴくりとさせて振り返った。
そこにいたのは初老の夫婦で、ほっとしながら丁寧に対応した。
最近では、適齢期の男性だけでなく、かなり年上年下の人にも疑惑の目を向けてしまうようになっている。困ったものだ。
店員はそれなりにいるのに話しかけやすいのか奈都ばかりが声をかけられるので、誰もが怪しく思えてしまい、このままでは仕事にならない。
たいていは本当にお客様だ。むしろ今のところ十割お客様。それらしい人が接触してくるのなら、まず職場だと思っていただけに、少々困惑している。
となると、敵はこの一週間を、調査に割り当てていたと考えるべきなのか。
趣味を探り、そこから懐柔しようと画策しているのかも。とはいえ奈都のオタク(認めていない)活動もとい、推し活は徹底的に周囲に隠しているし、優一やほかの同志たちも似たようなものなので、調査報告書的なものに記載されているかどうかは不明。
だが、そこから切り崩しにかかろうとしてくる人は、要注意だ。
趣味を同じくする者たちを疑わなければならないなんて、酷な話である。
「すみません」
しかし本物の同志ならば、少し会話すれば真偽のほどが確かめられるはずだ。マニアックな質問を考えておかなければ。
「すみません!」
「えっ、あ、はい!」
ほかごとを考えていたせいで反応が遅れた。そこにいたのは、目を見張るほどの長身の若い美女。モデルさんだろうか。こんな地方にモデルさんがいるのかはわからないが。
(わたしが男だったら、こういう人をハニートラップに使ったんだろうなぁ)
「なにをお探しでしょうか?」
美女は顔の横に垂れてきた茶色の髪をわずらわしそうに払い、スマホの画面を奈都の方へと差し出して言った。
「この本って、在庫とかありませんか?」
どれどれ。奈都はひょいとのぞきこんだ。それは海外のロマンス小説の日本語訳版で、残念ながら絶版しているものだった。しかも何年も前の話だ。ここには在庫はもうない。
「申し訳ございません。こちらではもう扱っていないですね……あ、でも、たしか隣町の図書館には閉架ですが、まだ置いてあったと思いますよ」
奈都は本が好きだが、とりわけ海外のロマンス小説が好きなので知っている。これも読んだが、とてもよかった。が、結構古いものだから絶版になってしまっている。
図書館を勧めるのはどうなんだという気もするが、読みたい本をすべて買っていたら破産する。冗談ではなく。
奈都は基本、図書館で借りて面白かったものを買うというスタイルだ。あとは好きな作家さんの新作は絶対に買う。たまにジャケ買いもする。
彼女は、そうですか……、と、ひどく落胆した様子で申し訳なくなった。
もしかすると大型書店を回って、最後の最後にここにたどり着いたのかもしれない。
読みたいのに読めないつらさはよくわかる。痛いほどよくわかる。特に海外のものは訳してもらわなければ読めないわけで、シリーズものなど、すでに海外では続きが出版されているのに読むことができず、もおっ! って頭をかきむしりたくなることが多い。
英語ができればよかったと、この歳になってはじめて、義務教育の大切さを身に染みて感じるのだ。
だからだろうか。
つい、魔がさした。
「えぇと、わたしの私物……中古でよれよれなんですが、もしそれでもよければお貸ししますが……?」
美女がきょとんとしたような顔で奈都を見た。といっても、身長差があり、さらにヒールを履いているので、かなり見下ろされるかたちだが。
白い肌に、目力のある切れ長な瞳、すっと通った鼻筋。さらに化粧も完璧の、まごうことなき美人さん。なんと言うべきか迷ったように眉を下げ、唇は薄く開いているからか、どこかかわいくも見えた。
やっぱり初対面の人間の本を貸すと言われても困るだけか。提案を引っこめようとしたとき、彼女はおずおずと口を開いた。
「……いいんですか?」
「あ、はい。この時間でしたらだいたい出勤しているので、都合のいいときに寄ってくだされば――」
「いえ! 持ってきてもらうなんて悪いです。わたしが取りに行きます! 今日のシフトは何時までですか?」
「え? 今日はたしか、二十時までですが……」
「あと一時間くらいなら待ってます!」
向かいにあるコーヒーショップ指差し、食い気味に言う。
(えっ、えー……?)
押しの強さに戸惑っている間に、彼女はコーヒーショップへと入って行ってしまった。
まさか本当に家までついてくる気なのだろうか。
しかし自分から提案した手前、今さら断るのは難しい。
(まあ、いいか)
女同士だし。
いくらなんでも、ハニートラップが彼女ということはないだろう。
奈都は楽観的にそう結論づけた。
実はアニメや漫画よりも小説派の奈都