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純誠視点




「彼女を連れて行こうと思っています」



 優一は自信に満ちた微笑みでそう告げた。


 手を出したのは自分の方だというのに、純誠は頭をがつんと殴られたような衝撃を受けた。


 奈都は妙に冷静で、冷やすものを探してくると言って部屋を出て行き、その後ろ姿を眺めていた優一は、純誠とふたりきりになると、それまで浮かべていた人のいい笑みだけを器用にすっと消す。


「きみは、彼女のことが好きなの?」


 純誠は否定しなかった。彼女を思って殴りつけたのだから、そう思われても当然だった。


 優一はもっと危機感を持つべきだ。よほど自信があるのだろうが、彼女が誰かに奪われることを一ミリたりとも疑っていないところが傲慢だ。


 ふたりの間に波風立たせるつもりはなかったが、自分の中で消化しきれない思いがあったのも事実だった。


 彼女があまりにも、不憫だったから。


 彼女をないがしろにして傷つけてばかりの優一に腹が立ったから。


 つい殴ってしまった理由はいくつもあるが、結局、彼が彼女の恋人という立場にいるからだろう。つまりは嫉妬だ。醜い男の嫉妬。


 その直後にあんな宣言をされ、純誠は戦う前に戦意喪失して儚く散ったわけだが。


 しかし優一が聞きたかったのは、そういう感情的なことではなかったらしく、純誠をまじまじと見ながら怪訝そうに口を開いた。


「彼女を落とせと、誰かにそう指示されているからじゃ、なく?」


 油断していた純誠は、思わず息を呑んだ。


 もしかして、知られているのだろうか。


 自分がどこの誰で、なにをしているのか。


 全身から血の気が引いていく。


 今すぐにでも弁解をしなくては。ふたりの仲を引き裂くつもりはない。脅されて仕方なく近づいたのだと。


 言わなくてはならない、のに、躊躇してしまった。


(本当に? 本心から、そう言えるのか……?)


 焦る純誠をよそに、優一は腕を組み、ゆるく首をふった。


「理解しがたいな。本気ならなおさら。彼女に近づくな――」


 優一の言葉にかぶせるように、奈都が声を張り突入して来た。


「氷もらって来ましたよー!」


 会話はそこで中断した。彼女がいて、話せる内容ではなかったからだ。


 その彼女の手には氷嚢が。甲斐甲斐しく優一へと氷嚢を渡し、なぜか、純誠へと同じものを手渡した。


「素手で人を殴ると、結構痛いでしょう?」


 痛みなど、すっかり忘れていたのに、思い出すと痛み出すのが不思議だ。拳が震えていることにも今さらながら気がつき顔をしかめた。


 氷嚢を手に当てて、優一をうかがうと、彼はすでに穏やかな表情に戻って奈都を見ていた。憎らしいくらいの切り替えの早さだ。


「なっちゃんさんは誰にでも優しいから、誤解させてしまいますよ?」


「誰にでも優しくはしませんよ。キリがないじゃないですか」


 そう言いながら、自分を貶した優一の自称婚約者にまで、ブランケットをかけてあげているのだから優一がそう思う気持ちもわかる。


 優一が苦言を呈した通り、彼女は誰にでも優しすぎて、純誠は自分が特別な存在なのだと勝手に錯覚していたのかもしれない。


 こうして目にして痛いほど理解した。


 ふたりの仲に、割って入れるような隙間は存在しなかった。


(……滑稽だな)


 さっき優一は、たしかに、こう言った。



 彼女に近づくな、と。



 だったら純誠は、身を引くしかない。釘を刺された以上、彼らを煩わせることはできない。


 しかしまた理世が被害をこうむることになるかもしれないと思うと、奈都のそばから離れがたい。


 必死にいいわけを探して、彼女のそばにいなくてはならない理由で固める。


 理世のため理世のためと言い聞かせながら、そのうちのどれだけの割合が利己的な欲求なのか、もはや純誠にもわからなかった。


 だがこの後、優一がすべてを話すかもしれない。


 純誠が何者か、すでに察しはついているのだろう。


 純誠の想いがどうあれ、真実を知れば彼女の方から離れて行くに違いない。


 ひとつだけ言い訳させてもらえるのなら、出会いはたしかに偶然だった。どうやって接触を図ろうかと悩んでいたとき、理世が連れて来たのだ。


 なにも知らず、彼女と出会っていたのなら、どうなっていただろうか。わからない。


 黙ったままの純誠を不思議そうに見ていた奈都が、冷静に提案をした。


「お互い怪我も大したことなさそうだし、彼女が目を覚ます前に、さっさとばっくれません?」


 優一の頰はすでにかなり腫れており、純誠の拳は未だ小刻みに震えているのだが、奈都の目にはどうしてだか軽傷に映っているらしかった。


 しかしここは彼女の提案通り、早々に退散した方がよさそうだ。


 優一はすぐに着替えをするために自分の服を探しに行き、少しの間、彼女とその場に残された。


 彼女は目が合うとやわらかく微笑んだ。


 さっきまで怒っていたことを、すっかりと失念しているようで、純誠は苦笑した。


 彼女の笑顔は、もしかするとこれで見納めかもしれない。


 次に会うとき、彼女はすべて知ってしまっているだろう。


 最後だから。


 素直に好きだったと白状してしまおうかとも考えたが、やはりそれは裏切りだろうと未練がましい想いを押し込めて諦めた。


 服を見つけて着替えてきた優一と彼女は、外に出てタクシーに乗り込んだ。ドアの前に立ち尽くしたままの純誠に、奥につめかけていた奈都が戻ってきて問いかける。


「乗らないんですか?」


「俺は、別ので帰ります」


「え? 方角一緒なのに。この人だって、殴られたこと、全然怒ってませんよ?」


 いきなり殴られて怒らないはずがない。許された覚えはないし、なにより純誠も謝る気もない。


「いえ、先に帰ってください」


 運転手に行ってくれと目で伝えて、タクシーはゆっくりと走り出した。見えなくなるまで彼女がこちらを見ていた気がした。




 帰宅すると、理世が純誠の氷嚢を当てた手を見て、一瞬ぎょっとしたが、大したことないとわかると冗談めかせて言った。


「それどうしたの? 誰か殴って来た?」


「……ああ」


「え、嘘! あのお兄ちゃんが!? パトラッシュって名前の犬がいただけで泣いてた、あのお兄ちゃんが!? ラスカルって名前の犬がいても泣いてた、あのお兄ちゃんが!? 人を殴った!?」


 いつの話だ。


 反論する気力も起きず、ソファに座ると、さすがの理世も空気を読んでおずおずと尋ねて来た。


「もしかして……奈都さん関係?」


 なにも言わずにソファに横になると、理世はすべてを察したのだろう。クッションを抱き、うむむ、とうなった。


「噂の彼氏(仮)が、サイテーのやつだったんだ? それで、殴っちゃった? こんなこというと不謹慎だけど、お兄ちゃん、よくやったよ」


 理世はなぜか未だに、奈都の彼氏の存在を認めていない。


(なにが(仮)だ。海外赴任について行くってことは、もう、そういうことだろう……)


 結婚、するのだろう。


 つまりは純誠に出る幕などない。


 あの男の思惑通りにいかないことは痛快だが、なぜだろう、胸が痛い。


 いっそ軽蔑されてひと思いに嫌われた方が楽かもしれない。


「お兄ちゃんさ……今までこんなことなかったよね? 彼女にふられても、たいてい二、三日不機嫌になるだけで後はけろっとしてたし。……本気、なんだよね?」


「……」


 そう言われてみれば、そうだったかもしれない。


 思ったのと違っただの、詐欺だの、見掛け倒しだの、散々な言われようだったが、落ちこむことは不思議となかった。かなり腹は立ったが。


「……わかった。もうこれは、傍観してるだけじゃなくて、わたしが協力するしかないよね」


「いや、よけいなことはするなよ。絶対に」


 純誠は妹に釘をさすが、うんうん、大丈夫大丈夫、と請け負った理世が、果たして聞く耳を持ったかどうか。


 頭が痛い。


 明日からのことは、もう、明日考えよう。


 腕を額に当てながら、純誠はゆっくりとまぶたを閉じた。





 会いに行けるはずがないと思っていたのに、足は彼女の働く書店へと向かっていた。


 幸い、と言っていいのかわからないが、彼女は不在のようだ。


 安堵する純誠の背中に、声がかかった。


「先輩なら今日、休みですよ」


 ふり向き、そこにいた青年を目にした瞬間、眉間にしわを寄せていた。たしか名前は充希だったか。彼の紛らわしい行動のせいで勘違いし、嫉妬に駆られた挙句奈都を怒らせてしまったのだ。


 いや、もうすでに、怒りを通り越して完膚なきまでに嫌われているのかもしれない。知るのを先延ばしにできたことにほっとしている自分がほとほと嫌になる。


「先輩が休みだって、知らなかったんですか? ああ、そっか、そうですよね? おたく、二番手ですもんねー?」


 純誠に対する敵意を、隠そうとする気もないらしい。彼の不興を買った覚えはないというのに。


 妹よりも年下の彼の相手になるのも大人気ないと思い、黙っていたが。


「人の彼女寝取るって、どんな感じなんですか?」


 純誠は怒りに飲まれかけた精神を、なんとか、どうにか、大人の余裕を持って、落ち着けた。穏やかに反論する。


「彼女の名誉のために言っておくが、俺たちはそういう関係じゃないよ」


「……知ってるよ」


 ぶっきらぼうに言った充希の瞳の奥に怒りのような感情がよぎった気がした。


「……あんたのこと、すっげぇ、嫌い」


「それはどうも」


 純誠としても、ここまで言われて好意を持てるほど人としてできていない。


「……あんたの、せいで……」


 彼がなにかつぶやいたとき、ほかの店員から呼び出しがかかった。


 充希は毛を逆立てた猫のようにピリピリとした空気をまとったまま、純誠に背を向け走っていった。


 さっきまで、嫌われることをした覚えはないと思っていたが、はっきりした。


 彼はきっと、奈都のことが好きなのだ。


 それが男としてなのか、人としての好意なのかは、判然としなかったが。


 それを苦々しく思う自分に、呆れ果てるしかなかった。




仲の悪い男たち

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