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 その日、出勤直後に奈都は店長に呼ばれて、言われるがままに店のパソコンをのぞきこんだ。


 メールの中でひとつ、見知らぬメールアドレスのものが。店長が黙ってそれを開く。中を読んで納得。奈都を名指しで、男関係に関する誹謗中傷と、こんなふしだらな社員は辞めさせろという内容のコメントがつらつらと記されていた。


「いたずらだとは思うけど、一応知らせておいた方がいいと思って」


「……まあ、そうですよね。内容もおおむね、嘘ですね。というか、社員じゃないし」


 契約社員という名のただのバイトだ。


 店長が気まずそうに目をそらした。別に責めてない。


 犯人の見当もついている。おそらく優一方面だろう。さすがにこれは抗議案件だ。


 ひとまず謝罪しておくと、店長は気に病まないようにと慰められた。


「知らないうちにどこかで恨みを買うこともあるだろうし、気にすることない。だけど念のため、しばらくは表に出ない仕事を任せるよ。なにかあってからでは遅いからね」


 悔しいが、うなずくしかない。


 なんとなく歯をギリギリ鳴らしたら、店長がびくついた。


 だから、店長には怒っていない。


 休憩中になるとすぐに優一に電話したが繋がらず、仕事終わりにようやくつかまり厳重に抗議した。これ以上仕事に支障をきたして辞めるようなことになれば、次の職が見つかるまで失業手当を払え、と。


「なっちゃんさん程度を数ヶ月養うくらいの蓄えはあるので問題ありませんが」


「程度って……」


「それはさすがに、やりすぎな気もしますね。よほど焦れてるのかな? なっちゃんさんがうまく立ち回ってくれていますからね。僕からも遠回しにちょっと脅しをかけておきますよ」


「いや、脅しって?」


「恋人が職場で嫌がらせを受けて悩んでいるから、もういっそ仕事なんて辞めさせて、永久就職させようかな……と、さりげなくつぶやけば一発です」


「なるほど、そういう脅し」


 勝手に結婚されては困るので向こうは引かざるを得ないだろう。寄生されても困るので今後は奈都の職場にだけは手を出して来ないはずだ。たぶん。


「ちょうど今日会食に呼ばれているところですので、ものすごく嫌ですが、なっちゃんさんのために行ってきます」


 いくらなんでも、恩着せがましい。


「もしそれでだめなら、本当に結婚してもらいますからね?」


 奈都も脅しをかけておくことを忘れない。息を呑む音が聞こえて、重たい沈黙が数秒続く。向こうで優一が言葉を失い、身震いしているのが伝わってきた。


(そんなに嫌なのか……)


 むしろこちらからお断わりだが。


 ふぅ、と嘆息して、スマホをトートバックにしまい、帰るかと裏口のドアに手をかけたとき、突然背中にずしりとした重みがのしかかってきた。


「うっ……!」


「せんぱーい! ご飯行きましょう、ご飯」


「わたしに奢らせる気じゃ……というか、断りもなく年長者の背に乗るんじゃないの。降りなさい!」


「あはは、先輩意外と体幹しっかりしてる? すっごい安定感! 乗り心地抜群なんだけど!」


(この子、本気でおぶさってきやがった!)


 つい心の声の語調が乱れた。人のキャラを崩壊させる天衣無縫さに恐れ入る。


 人懐っこい子だとは知っていたが、いくらなんでも距離を一気に詰めすぎだ。


 充希の方が頭半分背が高い。腕を首に回してのしかかって来ても、足は地面についているはずなのに、わざと浮かせて腰に絡ませて来たので、仕方なく両手で腿の裏を支えてやった。男の子にしては華奢な充希くらいの体重ならば、まあ、奈都でも余裕だったが、そういう問題ではない。


「あのね、充希くん。仮にも年上の女性相手に、しかも職場の先輩に、断りもなくおんぶを強要するって人としてどうかな?」


 相手が奈都だからと調子に乗った可能性が高いが、店長とかに同じことをしないとも限らない。きちんと叱っておかないと、後で困るのは彼自身だ。


「年上の女性……? あぁ、なんか、ばあちゃんの背中が懐かしくなって来ちゃった……」


 人の背中でしみじみと懐かしまないでほしい。おばあちゃん子なのか。やはりいい子だった。


 首にしがみつく腕がきつくなり、少しの間充希の顔が肩にうずもれたかと思えば、また愉快そうに笑った。


「先輩、ご飯行きましょう! ファーストフードでもファミレスでもいいから」


「もう、この子は! 行くから、降りなさいね? それともこのままファミレスまで背負われて恥ずかしい思いをしたいの?」


 やむをえない事情でない限り、絵面的に厳しいだろうに。


 しかし相手が悪かった。


 充希は気にするそぶりもなく、子供のように足をばたつかせた。


「先輩号、出発進行!」


(……仕方ない。その挑発、受けて立とうか)


 奈都の中にあった、謎の負けん気に火がついた。


 そろそろこの子とも、サシで腹を割って話し合わないとなるまい。


 せっかく会食の機会を得たのだ、せめて年長者を敬うことぐらいは覚えて帰ってもらわないと。


 意気込み裏口から堂々と出た。


 奈都が有言実行した結果、五分と経たないうちに充希の方からすごすごと背中から降りていった。


「本当にやります? ノリが通じないなぁ……」


 目上の相手ならばここで薄く微笑みやり過ごすが、相手は後輩。


「相手がわたしだったからいいけど、きみ、いつか誰かにしばかれるからね? だいたい、ひと回りも年上のわたしに若者のノリを求められても困るんだけど」


「えっ、先輩って三十!? 意外と歳食って……いや、年齢の割に若く見えますね」


(言い直しただけ、ましと見るべきか、否か……)


「あ、わかった! 男ふたり相手してるから若々しいんだ。やらしー」


 彼の中で奈都はどんな風に見えているのか。サキュバスなのか。そんな精力気力があるなら、すべてユアステにつぎこんでいる。


 昨日だって、スーパーでユアステのクリアファイルほしさにペットボトルのお茶を十二本買って帰った。自転車のタイヤが鳴いていた。そして、アパートにエレベーターがないことに、ちょっと泣いた。


 ファミレスに入り、メニューを注文してから説教する態勢に入るが、充希はスマホから顔を上げない。


(まったく!)


「充希くん。まずね、言っておくけど」


「二股なんてかけてない、でしょう? それと、スマホはしまいなさい?」


 充希はきちんとスマホをテーブルに置いた。


「……わかってるなら、よろしい」


 奈都が、大人の余裕大人の余裕……、と自分をなだめながら引き下がると、充希がテーブルに肘をついて身を乗り出してきた。


「で? 先輩、どっちが本命なんですか?」


「どっちって……。そもそも先輩ののろけとか聞かされて、楽しいもの?」


「んー、まあ、それなりに?」


 その程度で遊ばれてたらたまったものじゃない。


 奈都は薄い微笑みを引きつらせる。


「だいたいね? 純誠さんしか見たことないでしょう? どうしてもうひとりを知っているのかな? あの人、うちの店に来たことなんてないのに」


 充希は目をぱちくりとさせた。


「そうだっけ?」


「そうだよ」


「えー……? だったら、どっかで見たのかも? 先輩と一緒に歩いてた? ような?」


(ふわっふわしてるなー……)


 まあ、優一と出かけることもたまにあるので、見られている可能性もなくはないが……。


 怪しい。


 優一のことを知っているというのが、怪しすぎる。


 今まさに、目が泳いでいるし。


「あ、先輩、ドリンクバーでなにか持ってきてあげるね!」


 ついにタメ口で、逃げた。


(この子がハニートラップなんじゃ……って、口説かれてないから違うか)


 最近のハニートラップは、自分から口説かないのだろうか。だったらわからない。そっちに関してはもうお手上げだった。


「はいどうぞ! 充希スペシャル」


「……この泥水を、飲めと?」


 ドリンクバーにないものは混ぜてはいないだろうが。


 まあ、もったいないので飲むが、おいしくはない。


「それで先輩、ご飯食べた後どうしますか? ホテル行く?」


 ぶはっ!


 コーラやらオレンジジュースやらを混ぜに混ぜた充希スペシャルを、盛大に噴き出した。


「うわ、汚い……」


「っ、そこはっ、大丈夫ですか? 一択でしょう!」


 炭酸が鼻から抜けて本気で痛い。つんとする。ほとんど自分で浴びたが、飛び散った液体は台拭きで拭き取り、奈都は真顔で充希を見据えた。


「充希くん」


「……冗談なのに。でもまあ、別に先輩が行きたいのなら、行ってもいいけど」


「行きません」


 断わられてちょっとほっとしている様子の彼を眺めて、奈都はますますこの子のしたいことがわからなくなった。


 特に奈都に想いを寄せているというわけでもない。単なる遊びの誘いとも、また違う。


 なんとなく、気持ちと言動が一致していないように見えた。


「充希くんは理世ちゃんが好きなんでしょう?」


「好きっていうか……タイプ? つき合うのなら、美人なお姉さんがいいって思うのは健全な男として、普通のことですよね?」


「人それぞれ、かな?」


 美人なお姉さんがいい人もいれば、かわいい年下の女の子がいい人だっている。千差万別。十人十色。


「僕、正直、先輩がモテるのがよくわからないです。体はまあまあイケてるけど、顔がそそらないし」


「モテてないし。この顔がそそらないのは、まあ、悔しいけど同意します」


 体に関しては、聞かなかったことにしておく。さっきのおんぶのせいだということはわかっているので、その点では二度とあまやかさないことに決めた。


「それに先輩、見た目と違って結構口うるさいし」


 誰が口うるさくさせているか、この子はわかっているのだろうか。


「あなたの先輩は、こう見えてはっきりとものが言える人間なんです。これでも、人の顔色をうかがうようには生きてないからね?」


 そこはきちんとわかっているのか、ふてくされた顔でつぶやく。


「絶対怪しげな壺とか押し売りされてそうなのに。新聞とか、何紙も取らされてそうなのに」


 勧誘はご存知の通りだが、撃退方法は確立している。玄関先の攻防で奈都が負けたことはない。


「充希くん、わたしのこと、嫌いなの?」


「……嫌いじゃないから、困ってるっていうか」


 むすっとしながらかわいいことを言うので、頭をなでくり回したくなる衝動に駆られた。セクハラだろうか。セクハラだろうな。


「男を弄んでいるのはどうかとは思いますけど」


 本当に、ひと言多いのが難点な子だ。


「ひとりでご飯するのがさみしいのならつき合ってあげるけど、そうやって先輩をからかう暇があったらお勉強しなさいね」


「なにそれ、ばあちゃんみたい」


「いいおばあちゃんじゃないの」


 充希は顔をしかめてみせたが、照れ隠しだろう。認めるのは恥ずかしいが、純粋におばあさんのことが好きなのだ、きっと。


 なんだかんだいっても、いただきますをちゃんと言えるし、箸の持ち方も正しいし、おばあさんにきちんと教育されてきたのだろうことが随所に感じられる。


 奈都もおじいちゃん子だったので親近感が湧く。


「おばあちゃんと暮らしてるの?」


「……うん、ばあちゃんとふたり暮らしです」


 両親はどうしたのか、聞かない方がよさそうな雰囲気だった。


「そっか。おばあちゃん、かわいい孫が一緒にいてくれて安心だね」


「……まあね」


 若い男手があるとなにかと助かるだろう。それがかわいい孫で、実家を出ずにそばにいてくれるのだから、なおさら嬉しいのではないか。


 ちょっと浮かない顔を見せた充希は、スマホのバイブにびくりとして、ちらりと奈都をうかがいつつ、テーブルの下で確認する。


 そこまでうるさく言いたくないので、奈都は見て見ぬふりをした。よほど気乗りしないメッセージが来たのか、充希が深いため息をついたのをめずらしいと思いながら黙々と食べ進めた。




充希スペシャル コーラ3:オレンジジュース2:メロンソーダ2:ジンジャエール1:烏龍茶1:コーヒー1+フレッシュ

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