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「……お風呂、ありがとうございます」


 よく温まって湯気を立てながら戻ってきた純誠は、でかでかとゆんちゃんがプリントされたTシャツがよほど着慣れないのか、なんともいえない表情で戸口に立ちつくしている。


「よく似合ってますよ」


「褒められてる気がしないけど……。それに、これ……」


 歯切れ悪く服をつまむ純誠の言いたいことはなんとなく察した。男物の衣類があったのなら、それは彼氏のものだと誤解してもおかしくない。奈都はくすくす笑って否定した。


「それ全部、わたしの私物ですよ。パンツもね。スウェットは男女兼用のやつだけど……」


 それはそれでどうなのかという顔をしているが、無視して足元を見定めた。やはり中途半端に足が出てしまっている。


(まあ、いいか)


 なにも履かないよりはましだろう。


「一応夕食用意したので、ソファで待っていてください」


 立ったままなのもあれなので、座るよう促した。あいにくうちにはダイニングテーブルという場所を取るものは置いていない。ひとり暮らしなど、ローテーブルさえあればこと足りる。


 彼はなにか用があって来たのだろう。食事中も思いつめた表情を崩さないまま、食べ終えてからようやく口を開きかけたのだが、ふと、さまよっていたその視線がローテーブルの横に置いてあったごみ箱へとそれて――息を呑んだ。


 そこにあるのは例の写真の束。


 無造作にそのままごみ箱に捨てたせいで、そこに写る自分の姿に気づいてしまったようだった。


「これは?」


 そんな写真のことなど、どうでもよすぎてすっかりと忘れ去っていた。奈都が手を伸ばすより先に純誠が取り上げてしまう。断りもなく中を見て、ぐっと眉を寄せた。


 なんと言って釈明すればよいのか。わからない。ちゃんと細かく破いて処分しておけばよかった。後悔しても、もう遅い。


 知らない間に自分の写真を撮られていたのだ。こんなの誰が見ても気持ち悪いだろう。


 ――終わった。


 そう思った。


 純誠がなにか言う前に、奈都は即座に低姿勢で謝罪した。


「ごめんなさい! こんなのどう見ても気味が悪いと思うけど、大丈夫、犯人の目星はついているので! 純誠さんには絶対に迷惑をかけたりしないようにするから! だからっ――!」


 なにを懇願しようとしたのか、自分でもわからない。ただわかるのは、なにを言ったとしても、すべて、彼の胸に飲みこまれてしまっただろうということだけだった。


 抱きしめられていた。


 驚くほど強く。


「あなたが謝ることなんてない! ごめんというのは……こっちだ」


 なぜ巻きこまれただけの純誠が、そんな風に後悔をにじませ謝るのか、奈都にはわからなかった。


 家に泊まったのが迂闊な行動だったと責任を感じているのだろうか。それを感じるべきは奈都であるし、それっぽく撮られてはいるが、実際にはなにもなかったのだ。彼が謝る必要なんてどこにもない。


 後先考えず部屋に招いた奈都が責められはしても、誰も彼のことを責めたりしないのに。


「あ、あの……」


「俺が守るから」


 覚悟を持ってそう告げた純誠の声の響きを体全体で感じ、心臓が大きな音を立てて跳ねた。彼の匂いと自分のシャンプーの匂いが混じり合っていることに気づくと、どうしようもなく焦ってしまい、ますます体温が上昇していく。


 そんなことを言われたのは、生まれてはじめてのことだった。


 ふり返ってみても、親にだって言われたことがない気がする。自分の身は自分で守るのがあたりまえの家であり、家訓でもあった。


 容姿に反して、誰かに守ってもらうなどあまったれた考えを持たなかったのは、ひとえに祖父の教育の賜物である。


 奈都は見かけほど弱くない。


 誰かに守ってもらわなくても、ひとりで生きていける。


 そう拒絶さえすれば、純誠をこの茶番から解放できるのに。それで嫌われてしまっても、彼が嫌な思いをするよりずっといいはずなのに。


 ――でも……。


 彼の腕の中が居心地よすぎて、もう少し、もう少しと、断りの言葉を口にするのを先延ばししてしまう。


 それでも彼が本当に守るべき相手を思い浮かべると、意志を持って彼の胸を押していた。


「でも、嬉しいけど、わたしではなく理世ちゃんを守ってあげて? あの子、誰かの視線を感じるって言ってたから心配で」


 純誠の目に、ふとなにかがよぎった。後悔に近いなにかが。


「理世のことは……たぶん、もう大丈夫」


 理世はきちんと兄に話したようだ。妹思いの彼が大丈夫というのなら、まあ大丈夫なのだろう。人様の家庭のことに、他人がこれ以上口を挟むわけにもいかないので根拠を聞き出すことはせずにおとなしく引き下がった。


 胸に引っかかっていた案件だったので、今の状況も忘れて、よかったとほっとひと息つくと無意識に目の前の広い胸に寄りかかっていた。


 頰が触れると純誠が途端に我に返ったように、狼狽しながら、ばっと奈都の体を引き剥がした。その顔はほんのりと赤い。


「友人として! あくまで友人として、なにかあったら力になるということで……!」


「あ、はい。……友人として」


 その勢いに押されてつい返事をしてしまった。


 やたら友人と強調されたことにほんのり落胆している自分をどうにか向こう側へと追いやる。なにを期待していたのか。もう恋愛はこりごりだったはずだろう、匂坂奈都。


(だけど、本当に大丈夫なんだけどな……)


 なぜだか彼も少しだけ肩と視線を落としているような気がしたが、静かに床に散らばった写真を集めると、それらを元通り封筒へと収めた。


「これ、俺が預かっていても?」


「どうぞどうぞ」


 そんな気持ち悪い盗撮写真でよければ。


 彼は几帳面そうなので、なにか起きたときの証拠として取っておくのかもしれない。そう考えると、捨てるという選択肢は短絡的すぎだったかと反省した。さっきまで抱き合っていたのは幻だったのかと思うほど、冷静沈着で的確な対応だ。


 だけど、そのままポケットにしまおうとしたのだろうが、あいにく今着ているのはかなり痛いTシャツで。彼は憮然と顔をしかめると、自分のスーツを探し出してそのポケットへと丁寧に封筒をしまった。やっぱり動揺していたのだとわかってほっとした。


 そしてふたり、改めて、少し距離を空けてソファへと座る。


 ……さて。


 この後の、会話の糸口が見つからないのだが。


 純誠はどうするつもりだろうか。


 来客用の布団も、あることはある。


 だけど自分から、泊まっていってとは、口が裂けても言えない。雷が鳴ったらさすがに引きとめるが、今はまだタクシーなら帰れる程度。


 純誠は友人。


 本人がそう言ったのだから。


 こんな風に緊張しているのがばからしくなってきた奈都は、ひとつ友人らしく提案してみた。


「この間の続きを、観ませんか?」


 目を丸くした彼は、奈都をまじまじと見つめると、気が抜けたようにふっと微笑んだ。


「それ、すごくあなたらしいな」


 これは、褒められたのだろうか。それとも、貶されたのだろうか。


 きっと前者だ。


 彼は人を貶めるようなことを言ったりしない。


 そう信じれるくらいには、彼を知っている。


(俺が守る、か……)


 友人としてでも嬉しい。


 奈都は頬を染め、いそいそとDVDプレーヤーを立ち上げた。





 ――数時間後。


「八話までは絶対に観てくれと懇願する気持ちが、今ようやくわかった……」


 第八話のエンディングで、純誠は危うく泣きそうになったことを隠すために顔を覆ってしまった。


「でしょう? 八話は神回ですよね!」


「……まさかだった。一話目の頭から主人公と幼なじみがよくふたりで会話している場所が、学校の校庭や公園とかじゃなく、病院の中庭だったなんて……」


「ねー」


「主人公を励まし、ときには叱咤し、落ち込んでいるときにはそっと抱きしめ慰めていたあのみきちゃんが、まさか、病気だったなんて……」


「うんうん」


「おかしいと思ったんだ、彼女が一番はじめにメンバーに入りそうなものなのに、なかなかそういう展開にならないし」


「そうそう」


「能天気なだけの主人公だと思っていたのに、アイドル活動をはじめたきっかけが、実は手術を控えたアイドル好きの幼なじみを励ますためだったなんて……気づけなかった」


「ねえ、今、さらっとみのりんをバカにしなかった?」


「すべて、タイトルも含めて、みきちゃんのためのステージってことだったのか……。あ、そういえば……サブタイトル」純誠が唐突にDVDのパッケージへと手を伸ばした。「まさかこの『未来』は、『未来みきちゃん』とかけている、とか……?」


 奈都はにんまりすることで答えた。


 純誠がユアステの魅力にはまりかけている。しめしめ。


 ユアステを、成人男性向けのアニメだと侮ってもらっては困る。偏見なしに見てもらえたのなら、女性だろうが子供だろうがお年寄りだろが、泣けるいい話なのだ。保証する。


「はっ、もしかして! 次のオープニングにはみきちゃんが?」


「そればご自分の目でお確かめください〜」


 すでに深夜のテンション。


 雨はやまないし、それどころかアパートの前はちょっとした小川になっている。


 結局最終話まで通しで観て、純誠は要所要所で間違いなく泣いていのだが、最後まで認めることはなかった。




嬉々として布教中

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