11話 いつか返したいと思った
「はぁ……」
「どうしたの?」
時は少しだけ流れ、冬の寒さが和らぎ始めた頃。オレはある問題を抱えていた。訓練自体は至って順調そのもので、最初の頃は帰ってすぐ寝るような生活を送っていたが、今ではこうして帰ってから勉強できるほどになった。本格的に剣術を教えてもらえるようにもなって、今は毎日が充実している。のだが、どうやらそれを気に食わない奴がいるようで……
「最近、妙に突っかかってくるやつがいるんだけど、言い返すわけにもいかないから困ってるんだ」
「ふーん?誰?」
「あー……なんて言ってたっけ……」
今まで生きてきて身につけた処世術として、オレに対する嫌味や罵倒は全部聞き流すようにしている。聞くだけ嫌な気分になるだけだし、どうせ聞いていなくても殴られることには変わりない。そんな風に生きてきたので、何を言われていたのか本当に覚えていない。
「思い出せない……ちゃんと聞いておくべきだったか?」
必死で思い出そうとしていると、エノクが小さく笑った。
「ふふっ……突っかかっても全部無視されるから余計に突っかかってくるわけね」
「そういうことなのか?……あ、なんとか男爵家とか名乗ってたな」
「男爵家ね。それだけでだいぶ絞れると思うよ」
かろうじて思い出せた情報だったが、なんとか役に立ったようだ。だがエノクは小さく難色を示した。
「でも男爵家かぁ……」
「なんか問題でもあるのか?」
「爵位としては最低だけど、一応貴族だからねぇ。できて君に無駄に関わらないように注意するくらいかな。下手するとエスカレートしちゃうかも。一応、君のことは無視しろって既に伝えてあるんだけどねぇ」
エノクはため息をつく。オレのために色々と手を回してくれているようだが、どうしても完璧には行かないようだ。
「それでも一応、エノクかもう一度言ってもらえるか?」
「わかった、騎士団長にもっと注意するよう伝えておくね」
「助かるよ、ありがとう」
普通に礼を行ったつもりだったが、何故かエノクは変な顔をして固まっている。
「……?なんだよ?」
「僕にお願いをして、お礼までちゃんと言ってくれるようになって……すごく嬉しいよ僕は」
小さく震えながらそんなことを言うものだから、なんだか恥ずかしくなってくる。
「大げさだっつーの……」
「ふふふ……」
「くっ……そうだ、相手が貴族じゃなかったらもっと楽なのか?」
生暖かい目で見られるのが嫌で、無理やり話題を変えてみる。
「んー?平民だったら貴族侮辱罪をチラつかせれば一発だよ」
「貴族侮辱罪……」
貴族に失礼な態度を取ったというだけで、最悪処刑までされてしまう理不尽な刑法だ。当然あまりいい印象はない。
「もちろん僕もこんな理不尽な法律をむやみに使う気はないよ。でも身内にちょっかいかけてくるなら話は別」
あんまりにも当たり前のように出た言葉に、思わず聞き返してしまう。
「オレは、お前の身内なのか?」
「え?うん。カインもディオンもアワンもみーんな、僕が守るべき人達だと思ってるよ」
エノクは、それがさも当然であるかのように答えた。
「実際に戦いで守るわけじゃないよ?身分とかさ、そういう面倒なの」
エノクは姿勢を正すと言葉を続けた。
「うちって爵位こそ伯爵位だけど、家格は公爵家と同等だからね。まだ爵位を継いでないから実際には大したことできないけど、家の権威を振りかざすことはできてしまうのだよ」
胸を張って自慢気に話すエノク。そして、優しく微笑むと
「だから今回みたいな面倒なのは僕に任せて」
と、優しい声でそう言った。
「……頼りにしてる」
今は受け取ることしかできないけど……いつか、必ず返したいと、そう思った。