108話 知らぬが仏
「そうだ、エノク。最後に一つ聞いていいか?」
「なに?」
別に聞いて何かが変わるわけでもないが、一つだけ違和感があった。
「どうしてオレがウリエルの末裔だって気付いたんだ?」
オレ自身ですら知らなかったこの事実を、どうしてエノクは気付いたのか。あの日、どうしてオレを見つけることができたのか。
「君が伝承のウリエルとそっくりだったからというのと……。もう一つは秘密」
「なんでだよ」
「君は翼なき天使のことを知らないでしょ?」
翼なき天使。頭の隅に、何かが引っかかる。
「翼なき天使……。つば……?もしかしてメトフェスが言ってたやつか?」
「そう、それ。知らないなら知る必要はないよ。これは100%知らない方が幸せだから」
「そんな断言するほどの話なのか?」
「うん。だからもし君が思い出せたのなら、その時は教えてあげるよ」
「思い……出す?」
どこかで知ったらとかそういう言い方じゃなくて、『思い出せたら』といった。それはつまり、オレも忘れているだけで知っているということか?
「未だに思い出せないなら、多分最初から知らないんだと思うよ。じゃあそういうことで。お休み~」
「あっ、おい……!」
そうしてエノクはまた意味深な言葉を残してそそくさと部屋を出て行ってしまった。それからしばらく悩んでみたものの、思い出せる気配もないので諦めて寝た。
それから二日後、オレ達は首都へ戻ることになった。一時的に屋敷にいた住民や傭兵はこの一週間の間にほとんどいなくなり、残ったのは重傷者や家を失ったものだけだった。昼に出発するから、せめて朝だけは手伝いたいというアザレアの提案で、残った患者へ最後の世話をすることになった。いつもどおり包帯を変えようとして、患者の男に近づくと声をかけられた。
「なあ、あんた」
「……なんだ?」
大きな傷を負っているこの男は、つい最近漸く目を覚ました。いつも不機嫌そうな表情でどこかを見つめたまま何も言わないから、こちらも何も言わないでいたのだが、話しかけられるとは思わなかった。
「あんたが喋る魔物を倒したってのは、本当かい?」
「ああ」
喋る魔物とはネフィリムのことだろう。彼もネフィリムに遭遇していたのか。
「魔物は……どんな風に倒したんだ?」
「首を落とした」
「……そうか」
それっきり男は黙ってしまった。オレも特に話しかけはせず、包帯を変えていく。
「これでよし、と」
もはや慣れた包帯の交換を済ませ次の患者へ向かおうとすると、
「ありがとな。……仲間の、仇を取ってくれて」
「……ああ」
それだけ言うと、男はどこかをまたどこかを見つめていた。