求むるミカン
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ほ〜っ、やっぱりこたつに入ってミカンを食べてると、心が休まる〜。
子供のころは、みかんをバカスカ食べることに抵抗なかったんだけどね。こうして大人になると、おいしさより栄養を気にすることが先立つようになっちゃった。
みかんって、一日2個ぐらいがちょうどいいんだっけ? それ以上だと果糖の摂りすぎになるかもと、聞いたことがあるよ。
カロリーが低いからといって、たくさん食べたら元のもくあみ。過ぎたるはなお及ばざるがごとしとは、名言だねえ。
しかしこれは、僕たちの基準においての話。
過ぎていると思っても、実は不足しているのなら、やはり十分じゃないといえる。
僕の聞いた昔話なんだけど、耳に入れてみないかい?
江戸時代より、すでに紀州はみかんの名産地であったということは、ご存じの通りだろう。
1630年代には、すでに江戸への出荷が行われており、年を経るごとに送られるミカンの数も増えていったらしい。江戸近くの駿河などからもミカンは献上されていたものの、やはり紀州のものの方がいいと、訴える人は大勢いた。
これがかの紀伊國屋の豪商伝説につながったという話もあるけれど、語り継がれるほどの成功があるなら、その影に語られない失敗も多くあるものだ。
とある商人の船もまた、紀伊國屋ほどでないにせよ、紀州で買い上げたミカンを江戸まで届けて、もうけを出そうと画策していた。
支店さえ出すほどの力の入れ具合だったが、すぐに出費を取り戻せる算段は、奇妙な妨害によって阻まれることになる。
船の水難事故だ。それだけをあげるなら、別段珍しいことでもないだろう。
問題は、船も水夫もほとんど痛手を負わないという点。沖合に漕ぎ出した船が順調に進んでいると、予期せぬ向かい風が吹き寄せるときがあるのだとか。
船そのものを後ずさらせるほどの強さに、水夫たちがひるんだところで、今度はだしぬけに頭上から強い圧がかけられる。
外に出ていた者はこらえられず、甲板に押し付けられるのみならず、ほどなく景色そのものも落ち込んでいくのを目にする。
やがて訪れるのは、水没。船もろとも、たっぷりと海水に沈んでしまい、誰もがこのまま没するかと想像してしまったそうだ。
それがない。
時間にして、船が海面の下にあるのはおよそ10拍を数えぬ間。水に慣れた者ならさほど慌てることはない短さだ。そして再び浮き上がった甲板からは、海の水がひとりでに傾き、流れて滝のように、元あった海へ帰っていく。
沈む前とほぼ同じ状態へ戻る船だが、積んでいたミカンに限り、その大半が波にさらわれている。残ったものもたっぷりと塩をかぶってしまい、数日の間に傷みが見られるようになって、とても売り物にすることはできなかった。
すべての船が同じ目に遭うわけではないが、損失と利潤を計算してみると、やや赤字といったところ。近場の京都、大阪で売れる分を補填し、どうにか持ち直していたとか。
すぐに中止とまではいかないものの、対策を講じずにはいられないといった有様だったという。
そこへ、まずいことが降りかかる。
ミカンの人気に目をつけた殿様が、このたび「ミカン税」なるものを導入する動きを見せてきたんだ。
ミカンの販路を利用する者は、あらかじめ決められた税を藩へ納めるようにという通達だ。その代わり、納めた者には商売に関して有利なはからいをいただけるとのこと。
支店を任されていた番頭たちは、話し合いの末に、先んじてこのミカン税を納めることを決定した。その与えられる「はからい」とやらに期待をしたんだ。
これまでにない厳しい審査のもと、ある期間の間、ミカンを運ぶ船に藩の役人がともに乗り込むことになったんだ。
しかしその役人というのが、見知った裃を身に着けるような、改まった格好じゃない。
髪はボサボサであちらこちらを向いていたし、来ている服は何年も山で籠っていたかのようなみすぼらしい衣が一枚。あまつさえ、スキを見ては身体の周りにハエらしきものを飛ばし、まとわせている。
それははるか昔の人々が、航海の安全を願い、海の神の怒りを鎮めさせるために乗せたという「じさい」の姿にそっくりだったんだ。
航海中は彼の指示に従うようにという、申しつけもされたのだとか。
そうしていよいよミカンが確保され、大型の弁財船は出航と相成った。
「じさい」はというと、最初こそだんまりだったが、鳥羽を出て府中へ向かう航路に乗るや、忙しく舵の切り方へ指示を出してきた。
それは、はかったように生まれる潮の流れから、いち早く逃れるものだったという。
彼のいう通りに舵をきり、船体が完全にそっぽを向くや、先ほどまで船のあったところに向かい、潮が集まる気配を見せるんだ。
その様子を何度も見せられ、船に乗っている者たちは次第に気づき始めてしまう。
「じさい」が避けていたのは、単に潮の流ればかりじゃなかったんだ。
ごくギリギリでかわした船体近くの流れ。それは一点でたちまちグルグルと回り出すと、船員たちの見ている前で、その中心を海の底めがけて、へこませていったんだ。
小さな渦巻の姿がそこにできていた。目がよい船員かつ、浅いところであったならば、渦の中心が海の底に至っているのが見えたらしい。
周囲を高々として水の壁として、あたかも地表に現れたかのように、干上がった底を見せる海。そこにはいくつものミカンが散らばっているのが、見受けられたという。
「どうも、この店が仕入れるミカンはえらい人気のようですな」
回避のひと段落がついたとき、じさいはそう切り出した。
「しかし、どうも目をつけたのが人に限らない。この海そのものだったということです。ゆえに船をざぶんと沈ませ、とるものをとったら、ささっと返す。
人にも船にも傷を与えぬのは、やりすぎることによって、二度と食べられなくなるのを防ぐためでしょうな。
しかし、今度はことごとくがかわされる。あの渦はいわば、彼らの食指。いい加減、腹を空かせておりましょう。
ぶしつけですが、船を使ったミカンの商いは、以降は控えることをおすすめいたす」
やがて久方ぶりに江戸へミカンを運ぶことができた商家の船は、大いに江戸の人々に歓迎されたそうだ。
先の渦の影響もあるのか、他の船よりのものはほとんど江戸には出回っておらず、一時的な独占状態にあったという。思い切りふっかけたこともあって、どうにかこれまでの赤字をほぼ取り戻すことに成功したらしい。
しかし、やはり神の機嫌を損ねたバチが当たったか。
かのじさいは関西へ戻る折に、急な事故に遭って世を去ったという。そして向こう数年間、ミカンの有無を問わず水難事故が多発し、その間の廻船の被害は類を見ない大きさであったとか。