ユカの霊感
仕事帰り。
二人はお好み焼き屋に入ると、すみっこのテーブルに陣取った。
「ねえ、なんにする?」
智子がメニューを開く。
「これ」
ユカはミックス焼きの絵を指さした。
「じゃあ、あたしはそれの大」
「なら、あたしも大」
大は五割増しの量である。
この二人、なにがあっても食欲満点だ。
店員が冷水の入ったグラスを運んできて、手際よく鉄板に油を引いてから火を入れた。
「ミックス焼きの大をふたつ」
堂々とした注文が終わり店員が去ると、智子がユカを見てねぎらう。
「たいへんだったね」
「そうなの。それに明日の朝、係長と中央署に行かなきゃならないの」
ユカは小さく肩をすくめてみせた。
五時前、警察から係長に電話があった。あらためて話を聴きたいということらしい。
「アップル、閉まってたんでしょ?」
「うん。ドアのガラスを割って、内鍵をはずしたの」
「密室だったってこと?」
「ほかに入るところがなければね」
「だったら自殺じゃないの?」
「警察の人、他殺で捜査してるみたい。背後から首を刺されていたから」
「そうなんだ」
「それでね、智子に聞きたいことがあるの」
「なに、男の捕まえ方?」
「なんでそうなるのよ」
ユカは口をとがらせて笑った。
「ユカの場合、それしかないと思ったのに」
「失礼ね、絵のことよ」
「絵って?」
「ほら、アップルのレジのところに大きな肖像画があったじゃない。その絵、智子は覚えてる?」
「もちろんよ。表題がリンゴをむく女で、女の人がリンゴをむいてるものでしょ」
「その女性、果物ナイフを持ってたよね」
「うん。でも、それがどうしたの?」
「果物ナイフ、なぜか絵から消えてたの」
「ウソ!」
「ほんとだってば」
「別の絵だったとかは?」
「ううん、まちがいなくあの絵だった」
「なら不思議ね」
「でしょ。凶器が果物ナイフだったから、そのことと関係があるのかなって」
「まさか?」
「そのまさかなの。だって声、女性だったのよ」
女性の声を聞いたことは、来る途中、智子には一番に話していた。
「そうか、ユカは女の人の声も聞いたのよね」
「レジの方から聞こえたし」
「そのこと、警察には話したの?」
「ううん、話さなかった」
「どうしてよ?」
「信じてくれないわよ」
「頭の中身、疑われるだけか。それでその声、係長たちは?」
「聞いてないみたい」
「確認してみたの?」
「なんだか聞きづらくて」
「そうよね、信じてくれないだろうし」
「ねえ、智子は信じてくれる?」
「もちろんよ。ユカは男にもてないけど、ウソをつくような女じゃないもん」
智子がうれしそうに言う。
「ひと言よけいだけど、ありがとね」
ユカは笑って返したのだった。
店員が具を盛った器を運んできた。
この店は客が自分で焼く。
二人は具をかきまぜてから、その三分の一ほどを焼けた鉄板に乗せた。それから特製ソースとマヨネーズを小皿に移し、それぞれ自分好みのタレを作った。
智子が中断していた話の続きを始める。
「ほかに変なことはなかった?」
「アップルの中に入ったとたん、ここがムズムズしてきたの」
ユカはひたいをさわってみせた。
「地下に行くとなる、いつものあれね」
「うん、そう。でも今日は、いつもよりずっとひどかったの」
「ねえ、それって霊感じゃないの? だから声が聞こえたのかもよ」
「あたしもそうかなって」
「ユカはね、生まれもって霊を感じる、そんな特異な体質なのよ。おうち、代々神社だしね」
「それは関係ないわよ。だってお母さん、霊感なんて無縁の人だもの」
「なら、おばさんはどう? 占い師をやってるって言ってたじゃない。そんな能力、もしかしたらあるのかもよ」
「そうね。幸子おばさんの占い、よく当たるって評判だから」
幸子は母の妹である。
若いころ婚約者を交通事故で失い、以来ずっと独身生活を送ってきた。今は街中にあるビルの一画で占いの店を開いている。
「でもね。幸子おばさんに霊感があるって話、一度も聞いたことはないけど」
「たぶん、本人も気づいてないのよ。ユカだって今度のことがあるまで、それが霊感だなんて思わなかったんでしょ」
「うん、ずっとホコリアレルギーだって」
あの声を聞くまでは……。
ユカも自分に霊感があるなんて、これっぽっちも考えたことがなかった。ひたいに感じる不快感――それをホコリアレルギーだと思っていたのだ。
「ねえ、焼けてきたんじゃない?」
お好み焼きをヘラで返しながら、智子が鼻をヒクヒクさせる。
「みたいね」
さっそく二人は、焼けた分のお好み焼きを小皿に移し取った。
会話がいったん休眠状態となる。食べ始めると同時に、二人の思考は止まってしまうのだ。
食べるはしから鉄板に具を移し、焼けるはしから胃袋に収めてゆく。
しばらくの間。
食べる、焼く、食べる、焼く、そのうれしい循環が続いたのだった。