ユカの日常
ユカ自身のことだが……。
四年前、地元の短大を卒業したあと、ストレートで地元の市役所に就職した。
十月、誕生日を迎えると二十五歳になる。
――まあまあ、かわいいかな。
ユカは自分のことをそう評価している。
その思いは当たらずとも遠からずで、目元のすっきりとした色白で、ふっくらとしたほほをしている。スタイルは抜群とはいえないまでも、こちらもまあまあといったところだ。
ただ趣味は歳ごろの娘らしくなく、市役所内にある将棋同好会に在籍している。これは将棋好きの祖父の影響を受けた。
将棋を覚えたのは、小学校にあがって間もないころだった。祖父は趣味である将棋の駒で、ユカと遊ぶことを思いついたのだろう。はじめは駒を使っての遊びだったのが、そのうち将棋のルールまで教えこんでしまったのである。
ユカも祖父と遊ぶことが楽しかった。いつも身近にいる祖父のことが大好きだったのだ。
ただその祖父は、ユカの成人式を見届けたあとあっけなく逝ってしまった。たった一人の孫であったユカは、なにかにつけかわいがられたものである。
実家は代々、地元にある神社をいくつか受け持っており、先代の祖父の死後、父がそのあとを継いだ。現在は小学校の教師をしながら宮司をしている。
神社は母方が受け継いだものであり、よって父は婿養子ということになる。なぜか昔から、鈴部家は女の子ばかりが生まれ、祖父、曽祖父も養子といった、典型的な女系家族であった。
勤め始めて間もなく母親の反対を押し切り、アパートの一室を借りて独り暮らしを始めた。母のようにすんなり婿養子を迎えるということに、ユカは大きな抵抗感を持っていたのだ。
たとえ将来、意思に反して神社を継ぐことになるにしろ、それまではのんびり自由気ままでいたい。自由な恋愛、自分で相手を決める結婚をしたい。
ユカはそう思っている。
家を出て独り暮らしを始めたことも、そうしたことの意思表示であり、母に対する反発からの自己主張でもあった。
それとは裏腹に……。
「まだいい人できないの? できたらすぐに連れてくるのよ」
母親はせかすように結婚させたがる。
しかも常々、その相手が婿入りできるのかを心配している。
母親の名前は美子で、ヨシコと読む。母親の妹にあたるおばは、幸子でサチコ。二人の名前には美と幸がつけられ、祖父母の願いがこめられている。
ところが母親は、お世辞にも美人とはいえない。いまだ独身で占い師をしている幸子も、ユカが思うにどことなく幸の薄い女性であった。
ユカは片仮名でユカ。
中学生のころ、クラスで名前のことが話題になったことがあり、そのことを両親にたずねてみたことがあった。
答えはこうだった。
ユカという響きがいいから……。
しかも、ユカは片仮名である。案外テキトーに名前が決められたことを知って、少なからずショックを受けたことを覚えている。
そのわりには早く養子を迎え、神社を継ぐことはしっかり期待されているのだ。
大学に入学してからは、祭事のあるごとに巫女の仕事を手伝わされてきた。
母親の、ユカに対する当然のような期待。それにはすこぶる不満もあったが、講義にさしさわりのない限り拒否したことはなかった。
それが市役所に勤めている今でも、神社でなにごとか祭事が催されるたび、必ずといっていいほどそれらの行事にかり出されている。
ただ、結婚のこととなると話は別だ。
母親とその話になるたびに、
「わたしね、神社を継ぐ気なんてないし、結婚しても家に帰らないからね」
ユカは意地悪く反発してやる。
このことに父親の康二は口をはさまなかった。
自分がやはり婿養子であり、積極的に宮司になったわけではない。だから口を出す気にはなれないのだろう。
この父親に、今のところは救われている。
だが、母親が心配する必要はなかった。
なぜなら実家に連れ行くような相手がいないのである。欲しいと思っている恋人はずっとできないでいたのだ。
それはともかくとして。
今の生活にはおおいに満足している。炊事や洗濯などの家事はわずらわしいが、なによりも自由で気ままな生活が気にいっていた。
自炊はたいてい夜だけ。
朝はパンなど、とにかく腹が満たされればそれでいいし、平日の昼は出前の弁当をとることができる。それに市役所地下一階には職員用の広い食堂、そして購買にはパン屋もある。
ユカはほとんど弁当ですませていた。
地下まで行くのがおっくうだったのではない。いつも弁当ではあきてくるし、たまには食堂でいろんなメニューを食べてみたくなる。
だが、なぜか地下へ行くと……。
いつもというわけではなかったが、鼻の上――おでこのあたりがムズムズするような、じつにイヤな感覚におそわれることがある。さらに換気の悪い地下二階の書庫に降りたときなどは、鼻の上がムズムズしっぱなしになる。
それはマスクをつけても、いっこうに効果のほどはなかった。
――わたしって、ホコリアレルギーなのかしら。
ユカはそう思い、できるだけ地下に行くことを避けていたのである。