実家にて
土曜日の夕方。
ユカはひさしぶりに実家に帰った。
休みにかかわらず夕方と時間を遅くにしたのは、母親へのせめてもの抵抗である。それに夕食どきであれば、おいしい晩ごはんにもありつける。
玄関に入ったとたん、ハンバーグの匂いに鼻をくすぐられた。
――ラッキー!
つい顔がほころぶ。
母親手作りのハンバーグは子供のころからの大好物なのだ。
足が勝手に台所へと向かった。
「遅かったわね」
ユカの顔を見るなりの、美子のひと言。
ウソのひとつでもつい言い返したくなる。
「デートで忙しいのよ」
「猫とでも?」
こともなげに返された。
――えっ?
今日、大家が飼っている白猫――ムサシがアパートの階段で日向ぼっこをしていた。そのムサシと、ユカは長いことじゃれ合っていたのだ。
「ねえ、なんでわかったの?」
「あら、ズボシだったようね」
「でも、よく……」
「そんな気がしただけよ」
なぜか美子は日ごろから、こうしたことを鋭く言い当てることがある。
――もしかして?。
ふと、ユカは思った。
母親のこうしたカンも、ある意味、特殊な能力なのではと。
と、そこへ。
父親の康二が姿を見せた。
ユカを見て顔をほころばせる。
「帰ってたのか?」
「わたしが呼んだのよ、あのことでね」
美子がユカにかわって返事をする。
――あのことって?
ユカは母親の顔をうかがい見た。
神社の手伝いならもっと具体的で、いつもはそんな言い方をしない母親なのだ。
「そんなに急がなくても」
康二が顔をしかめる。
あのこと、それだけで父親は的確に反応した。父親も知っていることのように思われた。
「急いだ方がいいのよ。ほっといたらいつになるかわからないでしょ」
「だからといって……」
康二が口ごもりながら、渋い表情を崩さずいつもの席に腰をおろす。
――なんの話なの?
気になりながらも、ユカも自分のイスに座った。
「ユカは小さいころから、お母さんのハンバーグが好きだったな」
康二がうれしそうに話す。
「あなたが来るんで、いっぱい作ったのよ」
母親らしく言ってから、美子はユカに目をやり言葉を継いだ。
「じつはね、いい人がいるのよ。今度、その人と会ってみない?」
「それって、もしかしてお見合い?」
びっくりである。
まさか、お見合い話だとは思ってもみなかった。
「そんな正式なものじゃないけどね」
「会わない。あたし、結婚相手は自分で探して、自分で決めるから」
「あなたね、いつもそんなこと言ってるけど、いつまでたってもできないじゃない。結婚相手どころか、カレシの一人もね」
美子が痛いところをついてくる。
「これからよ、まだ若いんだから」
「若い若いって思ってるうち、女ってね、すぐに老けちゃうものなのよ」
「そのときは結婚しないから」
「そんな強がり言えるの、今のうちだけよ」
「それでもいいの」
「とりあえず会うだけ会ってみたら。人の出会いなんて縁なんだから」
美子が出会いを縁だと言う。
今度お見合いをする智子は、男と女の出会いは運命だと話していた。
いずれであれ、ユカは素直に受け入れられない。
「その人ね、とってもいい人らしいの。それに跡取りじゃないみたいだし」
美子が肝心な点を言い添える。
その相手が婿養子の条件にかなっているということなのだろう。
「いくらそうだとしても、うちは神社だぞ。ユカのことを気に入ってくれても、おいそれとこの家に来てくれるかどうか」
康二がめずらしく口をはさんだ。
「話してみなきゃ、それもわからないでしょ」
「この話って、もしかしたら、お母さんが勝手に進めようとしてるの?」
ユカが聞くと、それには康二が答えた。
「そんな男がいるって、お母さんが聞きかじってきただけなんだ。それも、友達の知り合いのところにいるってな」
「その人、このこと知らないの?」
「まあ、そうなんだけど。でもね、とりあえず進めてみないと、こういうことは始まらないから」
美子がとりつくろうように言う。
受け継いだ神社を守ろうとする、その母の気持ちはわからないでもない。
ただ母のやり方は強引で身勝手である。自分だけでなく、お見合い相手の気持ちさえもないがしろにしている。
「ひどいわよ!」
ユカはつい声を荒げていた。
「ユカの言うとおりだよ」
康二が助け船を出してくれる。さらに美子に向かって、なだめさとすように言った。
「なあ、お母さん。たとえ、こちらにその気があってもな、こうしたことは相手があることだ。そのことも少しは考えなきゃあ」
「でもねえ」
「それにだな。うちの養子になるってことは、神主にもなるんだ。相手は、それだけで考えるぞ」
「いい話だと思ったんだけどね」
美子が口ごもってしまう。
どうやらあきらめてくれたようだ。
――ありがとね、お父さん。
そっと心の中で、ユカは父親に向かって手を合わせたのだった。




